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2010年6月28日 (月)

隠蔽された映像と記憶

 昨夜NHKのETV特集で放映された「よみがえる戦場の記憶 新発見600本の沖縄戦フィルム」は日本国民が目を背けてはならない映像の数々である。米公文書館に保存されていた600本のうちの一本は恐らく偶然に米国自身の検閲を逃れた記録だ。それは米兵による死んだ日本兵の肉体を汚す米兵の姿である。米兵は兵士としての憎しみからだろう死んだ日本兵を何度も銃で撃つ。その映像はかつてS・キューブリックの「フルメタル・ジャケット」(1987年)という作品でベトナム兵の死体を汚す米兵の映像を想い起こさせる。

 戦場での自軍の映像は自国の「正義」を宣揚するためにプロパガンダとして国民に伝えられる。それは敗戦国でもそうだ。我が国の戦場の映像も同様だ。しかし隠蔽された映像が存在する。それは恐らく目を背けたくなるナマの映像だ。その1本は硫黄島での映像などを継ぎはぎしたフィルムという。それは恐らく戦勝国の担当官たちが冷静と戦慄の雑ざった視線から偶然と必然の間で残された記録だ。つまり「正義の戦争」というデッチアゲから必然的に漏れた「恥」とも見做される、人間という生き物が極限状況の渦中で平然と行う戦慄するしかない行為の姿である。

 フィルムの中には捕虜として捕獲した日本兵と沖縄女性の結婚式を撮影した映像もある。それは米国が「良心」で設えた結婚式だ。その子供や孫もいる夫婦が戦後も結婚の経緯を人に語らず人生を終えたことを伝える。またスパイ容疑者として日本兵に惨殺された夫婦の事実も縁者によって伝えられる。

 この全600本、約80時間の映像はNHKが日本国民に公開しなければならない映像だ。しかし恐らく、そこでは戦敗国のメディアとしてNHKの「思いやり検閲」が行われる筈だ。そこで戦勝国を慮る戦敗国の屈辱と悲哀を隠し「自己規制」が行われるだろう。震撼する「事実」は隠蔽される。鳩山、菅政権の米国への屈辱外交はそれを示して余りある。歴史を背負うわれわれ「日本国民」は、その映像に眼を背けてはならない。そこには浪花節もセンチメンタルもない苛烈で苛酷で冷静で冷徹な視線と交錯する「存在の事実」が刻まれているからだ。

 このフィルムの一部を見て新たに考察しなければならない機縁を自覚するのは以前にも書いたヤスパースが戦後に発刊した「戦争の罪を問う」(1998年 平凡社ライブラリー)で提出された4つの罪の概念を更に考究する必要性である。4つの罪とは①刑法上の罪②政治上の罪③道徳上の罪④形而上の罪 、である。

 この④がヤスパースが友人でナチの信奉者であるハイデガーに同じ哲学者として突きつけたとも推察される新たな罪という概念だ。

 先日観直した小林正樹監督の「人間の條件」(1959年~1961年)と「東京裁判」(1983年)には戦争体験者として先の大戦にこだわる小林監督の映像者としての思いが張りつめている。戦争を知らない我々戦後の生を生き延びる者たちには国が負う責任も担われている。それは恐らく風化し消滅していくだろう。しかし強制収容所や絶滅収容所で殺されたユダヤ人たち、反ナチスのドイツ人たち、オキナワ、ヒロシマ、ナガサキで殺し殺された米兵や日本兵、日本人、沖縄の人々の無念は日本国民や米国民が背負う計り知れない西洋的な「罪」と仏教で説かれる「業」である。それは哲学的言説、宗教的言説を超えて人間という生き物が背負っていかなければならないものだ。

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2010年6月24日 (木)

人間の條件

 何年ぶりだろう。小林正樹監督の「人間の條件」をレンタルDVDで見つけ観直した。全6部、9時間31分の大作を池袋の文芸座のオールナイト上映で観たのは学生時代だった。先の大戦の或る事実がどういうものか、モノクロクロームの映像に圧倒された。主演の仲代達矢(以下、敬称は省略させて頂く)の代表作と言ってもよいだろう。黒沢映画の悪役は小林作品で見事な主役を演じた。同じ頃に観た同監督の作品では「切腹」(1962年)に最も感銘した。その前1959年から一年に2部ずつ1961年まで3年かけて上映された作品を久しぶりに観直したことは先日の沖縄戦終結の地獄とは異なる、ソ連と満州の国境付近の辺境の地での戦争と軍隊の歴史を知ることである。 

 兵士として従軍した小林監督は宮古島で敗戦を迎え沖縄本島嘉手納捕虜収容所に収容された経験をもつ。監督は自らの経験を通して戦争の全容を描こうと意図したのだろう。後の「東京裁判」(1983年)にも通じる先の大戦への監督の執念が伝わる佳作だ。作品としての完成度は「切腹」を取るが、戦争へのこだわりと執念は、この作品と「東京裁判」に執拗に描かれている。

 監督はラストの主人公の表情を思い描いて仲代を抜擢した。当時を振り返った映画評論家・佐藤忠男との対談でコメントしていた。五味川純平の原作は当時のベストセラー小説だ。

 特典映像で編集を務めた浦岡敬一のインタビューも興味深い。作品が評価されれば監督に名誉が代表されるけれども編集技術というものが如何に重要な役割を担っているのかがよくわかる。

 現実を生きる中で映画作品や書物の虚構を介して歴史と相対する。それはまた現実へフィードバックされ現在のアカショウビンの現実を動かす。先の大田元沖縄県知事の新聞紙上でのコメントとも呼応し現実と歴史事実を解釈する機縁となる。沖縄は梅雨が明けたと聞く。大阪の梅雨明けは未だだが明けるまでに更に歴史を辿り続けたい。

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2010年6月23日 (水)

沖縄戦終結の日

 夕刊のトップで扱っているが今朝の毎日新聞の一面に記事はない。サッカーのワールドカップでフランスが一次リーグ敗退の記事は出ているが、それよりニュース性は無いという判断だ。これは普天間の問題が鳩山政権を潰したほどの喫緊性をもっているというのに如何なものか。裏を返せば日本という国にとって日本史に特筆されるべき地獄の地上戦を経験した沖縄に対し、それがマスコミの認識ということだ。以て瞑すべしである。

 昨日の同紙の夕刊で1990年から2期、県知事を務めた大田昌秀氏が所感を述べている。見出しは「抑止力『まやかし』」。「政府が決めても何もできない。移設反対の民意は、かつてないほど強い」と先月28日、政府が辺野古移設を決めたテレビを見ながら語ったと記事は伝えている。正しくそれは日本が米国の従属国家という事実を世界に示したテイタラクである。

 氏は65年前の沖縄戦で「鉄血勤皇隊」として学徒動員され同期125人中の生き残り37人の一人である。「ミサイル戦争の時代に、上陸部隊の海兵隊が抑止力になるとは思えない」と指摘している。その通り。所詮、海兵隊は米軍家族の安全を図るだけで反撃力などないのだ。「本土の人々は基地の実態を知らない」のである。

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2010年6月21日 (月)

嘉手苅林昌

 ひところ円生や志ん生の落語を聴きながら寝入るのが習慣となっていた。最近は嘉手苅林昌の3枚組のCDである。歳のせいなのか、古代から奄美や沖縄の南島の夜に奏でられてきた蛇皮線の響きは何とも心地よい。アカショウビンの幽かな遺伝子の記憶を甦らせ癒しの効果も齎しているようなのだ。里 国隆の絶叫と過激とは異なる飄々とした林昌の声と蛇皮線の響きが何とも無意識を掻き立てるように郷愁を誘う。

 1609年の奄美・琉球侵攻から401年目。南島に受け継がれてきた島歌がアカショウビンの生の内で西洋音楽でいう通奏低音となって響く。大和という異境から侵食され日々の労働の疲れを島人たちは歌と楽器で深い夜の闇を介し祖霊たちとも交信し癒しただろう。アカショウビンの血にも流れる島人の世に棲む日々の憂いと喜びと悲しみを嘉手苅林昌の声の奥に聴き取り共振する。

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2010年6月15日 (火)

友を選ばば

兼好は「友とするに悪(わろ)き者」に七つある、と説く(徒然草 第百十七段)。「一つには、高くやんごとなき人」。高貴な人、高位の人、僧侶なども含むのかもしれない。

「二つには、若き人」。これは面白い。法師の意図は奈辺にありや?恐らく、体力を持て余し傍若無人の若者の無神経とガサツさに我慢がならないのだ。アカショウビンも夜勤の仕事をしている時に、酔っ払ってバカ丸出しのガキ二人が昼間に比べ格段に人通りの少ないのをいいことに大通りを大声で喚きちらし、道路脇の自転車を次々と薙ぎ倒している光景を見たときには殺意さえ覚えた。法師も似たような経験をしたのかもしれぬ。ここで法師は簡潔に、未熟を自覚しない我がままで甘ったれた若者のことをいっているのだろう。

「三つには、病なく、身強き人」。これもよくわかる。病は人を絶望にも陥れるが病が癒えれば人を曰く言いがたく深くする。身体の頑健な人にその深みはわからない。太古より人は工夫を凝らしをこれを克服をする術を発展させた。治療術の進歩は人という生き物が単なる動物から更に異なる段階へ脱皮する契機となっただろう。アカショウビンも「身強き人」を羨ましいと思うことはない。病は人間が異なる心的状況へと移行を促す逆説的な経験をもたらすからだ。ところがテレビを見るとやたらに視聴者に阿る健康食品の多いこと。健康であることは幸せなことであるが、それは病と裏腹である。歳を重ねればそれを誰人も経験するが珠に健康過ぎる人がいるのである。そのような人と共に人生の妙味は語れぬ、と法師は慨嘆しているのだ。

「四つには、酒を好む人」。これはアカショウビンには異論もある。ガキの酔っ払いは論外だが古来、大和の国で酒は多くの文人に愛されてきた。先月訪れた鉄斎美術館の鉄斎の模写にも酒に酔う大伴旅人の面白い作品があった。大陸では詩人李白もこよなく酒を愛した。ここには法師の生真面目さが垣間見られて面白いけれども。

「五つには、たけく、勇める兵」。これは先の大戦の後に掌を返したようにマスコミが高唱し多くの国民も同様に同調した。当時の武具に身を固めた武士の威張り散らした姿に法師は閉口したのであろう。

「六つには、虚言(そらごと)する人」。これは現代でも同じだが当時も多かったのだろう。昨今の政治状況では前首相だ。引いては戦後に沖縄を皮切りに国民を欺き続けた権力者達である。

「七つには、欲深き人」。これは現在の金満国家国民に多く共通する心の構造であろう。経済的困窮の渦中にあるアカショウビンには実に共感する指摘である。

 法師は更に続ける。「よき友、三つあり。一つには、物くる友」。法師のニヤリとした顔が見えるようだ。

「二つには医者(くすし)」。いつの時代も病を治療する人々は敬されたことだろう。古代には呪術とも表裏一体だった。現代でも未開の地では巫者が存在しているだろう。 しかし昨今の最先端の医療技術が万能でもない。アカショウビンも先日、大腸の内視鏡検査で若い医師たちがテレビゲームを楽しむように内視鏡を操る様子を麻酔に朦朧とした眼と意識で見たとき実に危ういものを実感した。しかし医は仁術を体現されている医師もおられるであろう。そのような方とお近づきになりたいものである。

「三つには、智恵ある友」。いかにもそれは少なくとも貴重である。昨今の憂きこと多き自らの生を省みるに「智慧ある友」は不可欠である。最近はもっぱらネット上の見ず知らずの人々の中に賢人は確かに存在する。一つの事実を共に多様に語る面白さは世に棲む日々の恵みの如きものである。

法師の文を辿ると、通俗とは何か?また脱俗とは、超俗とは?という問いも生じてくるのだが。

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2010年6月 8日 (火)

故郷

 故郷には平成4年に京都の病院で逝った父の葬儀が奄美で行われて以来帰っていない。昨年亡くなった母は徳之島で育ったから母の遺骨の一部はゆかりの地に散骨したいがままならない。そのような事をアレコレ考えるのもネットで地元紙の徳之島への米軍基地一部移転報道への反対決起集会の記事を読んだためである。

 >59年前に奄美の日本復帰を求める総決起大会が開催され、復帰運動の聖地とされる同小学校校庭を会場に予定していたが、雨のため体育館に変更。大会後のデモ行進も中止となった。

 「日本復帰」という文字はアカショウビンも含めて戦後生まれの島人たちにどのように読まれているのだろう?復帰運動は現在の沖縄での基地反対運動の如く熱烈に展開された様子は父母の話や幾つかの資料で聞き読んだ。3年前に辞めるまで勤めていた都内の会社の仕事で知り合った、少年の頃に名瀬市で育ったという方のお父さんは新聞記者として復帰運動に尽力したと話していた。その縁でネットに掲載されている復帰運動の資料も読むことができた。引用した記事にある「同小学校」とは「名瀬小学校」である。アカショウビンが通った小学校は市内から少し離れた名瀬湾の海辺がすぐ近くの場所にあった。父の葬儀で帰った時は既にその海辺は埋め立てられていた。母校にも立ち寄りたかったが慌しく車で通り過ぎただけだった。名瀬に住んでいた頃に名瀬小学校は何回か訪れたことがある。近くに市庁があり市内のほぼ中心だったが「復帰運動の聖地」だったという事は記事で初めて知った。

 島を離れて千葉や京都に住んでいる従兄姉妹たちはお盆や正月に島に帰っているようだけれどもアカショウビンは実に故郷不幸なバチアタリである。しかし詩人が詠ったように故郷は遠きにありて想うものなのかもしれない。とは言え、島に住む縁故ある人たちとは浦島太郎のようになって昔話がしたくなる衝動は時に間欠泉のように噴き上がり疼くのである。

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2010年6月 4日 (金)

レクイエム

 本日、友人のI藤さんから衛星放送を録画したDVDが8枚も送られてきた。かつて学生時代以来都内に棲んでいた頃にアカショウビンの音楽好きを知ってのお心遣いである。恐悦至極。しかも好みを覚えてらっしゃる。早速、テレビやマスコミに登場の回数も増えている佐渡 裕氏の指揮で今年1月16日に西宮市の兵庫県立芸術文化センターで行われたヴェルディの「レクイエム」から聴いた。平成7年1月17日に起きた「阪神・淡路大震災」から15年。亡くなられた方々を追悼し企画されたコンサートである。CDやレコードと異なりDVDで映像と共に観聴くとソリストの表情が見えて味わいもひとしお。オーケストラは兵庫芸術センター管弦楽団。ソプラノは並河寿美(以下、敬称は略させて頂く)、メゾ・ソプラノ林 美智子、テノール松本薫平、バリトン成田博之。合唱はオープニング記念第9合唱団と大阪ヴェルディ特別合唱団、合唱指揮は清原浩斗。ソリストの中では林が素晴らしい。実に表情豊かで他ソリストとの掛け合いも絶妙で歌唱も絶品だ。

 この作品は学生時代以来、クラウディオ・アバドがミラノ・スカラ座のオーケストラと合唱を起用して録音したレコードを愛聴した。その後、大嫌いなカラヤンが同じミラノで当時の旬のソリストを起用し1967年に収録したレーザー・ディスク(今や骨董の部類か)を購入。カラヤン盤であってもアカショウビンが偏愛するイタリアの名花フィオレンツァ・コッソットがソリストになっていて名花若かりし頃の名唱が聴ける。買って損はなかった。スカラ座のオーケストラ団員や合唱団員の映像と共に作品を体験できる事は実にありがたい事である。またロシアの偉大なバリトン歌手、ニコライ・ギャウロフの若かりし頃の声と姿も聴き見られる。ヴェルディの「トロヴァトーレ」などでのコッソットの名唱は繰り返し聴いて厭きない。また晩年はビア樽のようになった世界屈指のテノール、ルチアーノ・パバロッティがトレードマークの髯をそった、すっきり顔で細身(!)の若かりし頃の姿も見られる。カラヤン嫌いのアカショウビンもカラヤンのイタリアオペラの幾つかの演奏は認めざるをえない。

 この作品が映画で実に効果的に用いられていたのが「ノスタルジア」(1983年  A・タルコフスキー監督)である。冒頭に驚嘆する効果で使われていた。アカショウビンは「鏡」(1975年)以来のA・タルコフスキー・ファンで新作を観続けていたが、この作品には「鏡」と共通する映像の深淵を覗いた思いに捉われたことを思いだす。映像と音楽の掛け算(@黒澤 明)として、これだけ見事な作品は映画史で特筆される作品と確信する。タルコフスキーは作品にバッハやヴェルディの音楽の急所を映像と絶妙に組み合わせる才能が傑出していた。

 コンサートは佐渡の統率がよく効いていた。ヴェルディの死者達への鎮魂と「阪神・淡路大震災」の死者たちへの鎮魂の思いは人々の心底で共鳴しているだろう。佐渡の精力的な指揮にソリストやオーケストラ、合唱陣は熱演で応えた。オーケストラは近年の他のオーケストラと同じく多国籍。このような大作には普通外国人のソリストを起用するのが多いと思われるが、そこには佐渡の邦人演奏者への音楽家としての見識と被災地の遺族たちへの哀悼の共有の気持が込められていると思われた。心のこもった演奏を拝見・拝聴できたことをI藤さんに心から感謝する。

 アカショウビンは、このコンサートを是非とも沖縄でやって頂きたいと思う。鳩山政権の裏切りと米軍基地への憤りの底に存する沖縄戦で殺された死者達の無念に思い及ばなければならない。これを今年は無理であろうが来年は沖縄戦終結の6月23日に演奏して頂くのは如何であろう?熱き沖縄人の血には、これまた情熱のイタリア人の歌心溢れるヴェルディの「レクイエム」は人々の心底に響くと思うからだ。

 

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