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2010年5月 5日 (水)

陽の光

 仕事先で10mはある樹の姿を眺めて厭きない。天辺の枝葉は太陽の光を真っ先に浴びる。それは何物かと交感しているようでもある。それは太陽の恵かもしれない。夜の間に地下の根茎から吸い上げた養分を生かすために陽の光は不可欠であろう。葉先は一本の木の死活を負う。風が枝葉を揺らす。それは神々の吐息かと妄想する。

 「ミツバチのささやき」(ビクトル・エリセ監督 1973年)というスペイン映画があった。寡作の監督は9年後にやっと「エル・スール」という次作を撮った。前作で無垢な演技で観客を驚愕させた少女は9年の時の間に大きな変貌を見せる。幼女から少女へ成長する変化は時の流れを追い越すようでもある。それから10年後に監督は「マルメロの陽光」という作品を撮った。それは前2作のような物語ではない。淡々と画家がマルメロの木を描く過程を追うだけの作品だ。それは何事かの事件と意想外の物語を期待する観客を裏切る。しかし事件とは何か?物語とは何か?そのような問いを映像は喚起する。

 一本の木が陽の光を浴びて風に揺れる姿を眺めているとアカショウビンの故郷の奄美のガジュマルの樹も想起する。耳を澄ませば、木肌に触れれば植物・樹木の生命の鼓動が伝わるだろう。近代文明の波に翻弄される現代人に古代人の研ぎ澄まされた五感はない。しかし異なる生を生きる生き物も現世の存在者である。仕事の合間の無聊を一本の樹の姿を眺めて不可思議な想念に導かれた。気がつけば時間を切り売りする賃仕事に戻る自分がいる。人間だけが生きているのではない。木々も花も鳥たちも凌ぎの生を生きている。そこで陽の光とは何か?という問いが突きつけられる。

 さぁ、暫し黙考し瞑目し陽の光を浴びながら、夜の闇の吐息を伺いながら回答を模索しよう。

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