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2010年5月30日 (日)

沖縄への視座(続)

 先日、沖縄から高校の同窓生であるH山君が上阪し梅田で他の同窓生たちや恩師のY田先生とも高校以来お会いした。先生は今は亡き画家の平山郁夫氏に続くシルクロード研究者である。今年これまで50数度も訪れた中国の様子を講演したDVDも頂いた。H山君とは5年前に都下で行われた同窓会のとき以来の再会だ。あの時はスナックのカラオケで中年オヤジ達が若者達の呆気に取られる顔を尻目に歌いまくり絶叫したねぇ。今回はせっかくの機会だから話題の米軍基地の帰趨問題を聞いてみた。戦闘機や爆撃機、戦闘ヘリが頭上を飛び交う恐怖感は基地の街に住む者でなければわからないと言う話はさもありなん。アカショウビンは激烈な「沖縄・奄美独立論」を聞き語り合いたかったが実に温厚なH山君は、アカショウビンには心身共に欠落している琉球貴族(見たことはないけれども)の風雅を漂わせながら大人の風格でやんわりと応答してくれた。言外の胸中は及ばずながら察さねばならない。同席された奥様は東京の人。H山君は少し照れながら出会いから結婚までのオノロケを話し、奥様は奥様で沖縄に住んでしばらくは東京モンとして敬遠されましたよ、と涼やかに微笑んだ。異郷でのご苦労も含めてお話を伺いながら御夫婦を暫しアカショウビンの我田引水で酒の肴にさせて頂いたのは恐縮。

 それはともかく。沖縄へのアカショウビンの関心は沖縄の人々にとって恐らく米軍機が頭上を飛び交う恐怖を知らぬ多くの日本人と大差はないものと聞こえるだろう。しかし異同は少し明らかにしておかねばならない。それは下記のかつて書いたブログを介して考えたい事柄であるからだ。奄美出身のアカショウビンにとっては昨年の薩摩による奄美・琉球侵攻400年の歴史とも相関することは言うまでもない。 

 「昔、海の向こうから戦がやってきて、あの日、鉄の雨に打たれ父は死んでいった」と「さとうきび畑」という作品で森山良子が歌っている。さらに「夏の日差しの中で 私の生まれた日に 戦の終わりはきた」と歌詞は続く。それは、時の移り変わりの不可思議さに歌詞の私はぼんやりと思い至っている、という印象だ。

 「知らない父の手に抱かれた夢を見た」という一行は心を撃つ。この作品の歌詞の中の「私」は亡き父を求めているわけだが、父は、あの激しい戦闘の中で殺され、この世には存在していない。「私」の記憶と想像の中の父親が森山良子の声を通して聴こえてくるだけだ。「私」が見る景色と感情の中で「夏の日差しの中で」、それは或る「意味」を生じ「私」は現実には存在しない父を「想い起こす」のだ。

 人という存在の不気味さを私達は忘れてなるまい。その事に気づくのはある極限状況でもある。「さとうきび畑」の舞台である沖縄の、1945年4月、米軍の艦砲射撃による地獄絵図の島に向け「大日本帝国」の戦艦大和は特攻をかけ数百機(千機とも)の米軍機の波状攻撃を受け、そこでもまた沖縄の大地同様の地獄絵図が繰り広げられた。私達は、この史上最大の戦艦の激闘と最期を奇跡的に生き残られた当時二十一歳の海軍少尉、吉田 満の「戦艦大和ノ最期」という稀有の記録と文章で読むことができる。敗戦後、GHQの検閲を受け書き換えた「戦艦大和ノ最後」、「鎮魂戦艦大和」、それと実に貴重な初出テクスト「戦艦大和の最期」は保阪正康氏が編纂された『「戦艦大和」と戦後』(ちくま学芸文庫 2005年)で吉田の戦後の文章と共に読めて貴重だ。初出テクストは批評家・江藤 淳が米国のプリンストン大学で日本文学を講義するため渡米していた間に図書館か公文書館に奇跡的に保管されていたのを江藤が昭和50年代に発見した。それは後に書き換えられたものとは異なる二十一歳の若者が経験した初めての苛烈な実戦体験が記されている。それを読むとアカショウビンは「さとうきび畑」を聴きながら米軍の猛攻を受ける沖縄で最後の戦闘を挑むべく片道燃料で出陣し志半ばで殲滅させられた当時の科学技術の粋を集めた戦艦大和に象徴させられる日本という国家の歴史にも思い至さざるをえない。「さとうきび畑」の感傷と悲哀と、大和の激戦と乗組員達を描いた吉田 満の著書と氏が生きのびた戦後の論考を併せ読むと、日本という国家の悲壮と壮烈と愚劣がアカショウビンの思考の中で乱雑に混在し響き合う。それはほとんどが不協和音というものであるけれども時に一人の歌い手の声を介してハーモニーともなるのだ。

  現実に目を向けると昨今の普天間問題で改めて明らかになった事実の一つに日本政府が肩代わりしていたと思われた米軍基地の借地料に伴う利権問題がある。テニアンへの基地移転について平野官房長官が沖縄米軍の受け入れを検討するという先方の鳩山首相との会見をなぜ阻止したのか?そこには政治屋や土地の利権に群がる沖縄人だけでなく多くは本土の人間たちであるという搾取の構造が透けて視える。「さとうきび畑」の精妙なハーモニーの裏には金銭に絡む実にドロドロした金銭確執が渦巻いているのだ。それは米軍を介した自民党政権から鳩山政権までの権力者たち、辺見 庸氏が「糞蝿」と吐き捨てるマスコミと結託している政治屋とそれに寄生する沖縄人、日本人がいるという事実だ。沖縄の米軍基地が有する「抑止力」などという概念は日米両政府のでっち上げと言ってもよかろう。なぜなら韓半島に於ける「有事」の際の米軍は沖縄に基地がなくても内地の米軍で十分対応できると米軍の戦略専門家が明かしているからだ。対中国についても日本や米国に中国が武力侵攻したことはかつてないし今後も可能性は実に低いと判断している。しかし「捨石」の沖縄が万が一、中国から攻撃されたとしても米軍が守るのは自国の駐留家族であり沖縄の人々ではないというのだから何をか言わんやだ。敗戦による米軍駐留で日本政府は金銭的に多大の投資を行い、それに伴う巨額の利権が生じた。それを沖縄、本土の金の亡者共が食い物にしているのだ。その現実を生み出したのは、本土、沖縄での米国の巨額の軍事予算と敗戦国政府の卑屈で空いた口が塞がらない愚劣な「思いやり予算」だ。日本国民として心から恥ずかしい。それもこれも、かつての仮想敵国ソ連が今度は中国という仮象として受け継がれている事に起因する。そこに世界の2大金満大国の金銭亡者たちが糞蝿のように群がっているのだ。

 「さとうきび畑」のハーモニーの底に蠢く不協和音をしかと聴き取らねばならない。そこには、かつて「西洋というペニスに掻き回されるアジアというヴァギナ」と国士・竹内 好が洞察した姿も透かし視られるからだ。地獄の地上戦から復興していくなかで沖縄は二重に搾取されているのだ。

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2010年5月28日 (金)

裁判の結果

先日の毎日新聞に加藤一二三・九段(元名人)が「猫裁判」の控訴を断念した記事が掲載されていた。「判決文を熟読すると、私の取ってきた行動を認めてくれている」とのコメントがあり、それを考慮し控訴を断念。204万円という賠償金を支払うことになったようだ。204万円という賠償金がどのように計算されたのか知りたいものだが、それはさておく。氏の著作に世話になった一将棋ファンと敬虔なクリスチャン棋士加藤氏に関心をもつ者としては残念な結果となってしまった。

新聞やネットで知り得た情報は上記と下記の通りである。

先日、福岡で行われた名人戦第4局で福岡出身の加藤氏が立ち会いを務めた。その折に米長邦雄将棋連盟会長は棋界の名人経験者が裁判で起訴されるという事態を憂慮し懇談の機会を持ったと思われる。米長会長はブログに「猫について詳しくなった」と素っ気なく記し、加藤氏の「神と将棋と猫」についての熱弁を聞いたことを明かしている。

敬虔なクリスチャンである加藤氏の「神と将棋と猫」論は興味深い。それを控訴で展開されることを期待したが残念だ。恐らく米長会長や御家族、周囲の説得に折れた結果と推測する。

この裁判は記事では、十数年前に最初は親を亡くした子猫に加藤氏が餌をやったことで他の猫が餌を求めて集まり増えて糞尿などが周辺住民に迷惑をかけたことが発端となっている。個別の遣り取りはあったようだが終に裁判に到った。加藤氏は一期であるが当時最強を誇った中原誠名人を激闘の末に破り将棋界最高峰の名人位を獲得した人である。将棋に対する求道心は棋士のなかでも際立つ存在だ。アカショウビンは30数年の間の氏の言動には格別の関心を抱き専門紙、雑誌、専門書で読み、噂話なども耳にしている。それだけに一般紙の紙面に登場した裁判の帰趨は他人事では済まなく関心を持った次第である。

猫をはじめ犬やペットとしての他の動物と人間の関係はそれほど単純な問題ではない。その点が裁判を通して明らかになれば単なる裁判が新たな論点を天下に示す機会ともなったと思う。その点は別の機会に考察していくようにしたい。

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2010年5月26日 (水)

時は移る

 先日のNHKテレビの将棋トーナメントで有吉道夫九段と高橋道雄九段の対戦を見た。現役引退を明らかにしている棋界最年長(75歳)の棋士の差し回しを眼に留めておくつもりで。戦形は先手をもった氏が得意の相矢倉に誘導する。後手の高橋九段も矢倉は表芸である。名人戦で当時の中原名人をあと一歩まで追い詰めたことを思い出す。かつて「火の玉流」と恐れられた有吉九段の攻め将棋を期待したが高橋九段の巧妙な差し回しでいつのまにか有吉九段の非勢に。残念ながら有吉九段の攻めを切り返した高橋九段の完勝譜となった。しかし戦いが終わった後の感想戦では将棋とは裏腹に温厚な氏の姿と感想が清々しかった。

 氏は5月24日の対局を最後に引退した。次の日は既に引退した大内延介九段の引退パーティがあったようだ。米長将棋連盟会長のブログで知った。氏も現役時代には中原名人を土俵まで追い詰めた名棋士である。中原名人も病で現役を去った。大山、升田の名人達が死闘を繰り広げてから約半世紀。その間に大山名人から中原氏が名人位を奪い長く中原時代を築いた。時代は移る。今や棋界は羽生時代である。いつのまにか役者達が入れ替わっている。半世紀とはそういう時の推移に気付かされる時間でもある。

 先日のブログでも書いたけれども加藤一二三元名人の「猫裁判」の後日談を少し。米長会長と加藤元名人が先に福岡で行われた名人戦第4局の時に話をしたらしい。加藤元名人は「神と将棋と猫」について会長に考えるところを話した、と米長会長が書いている。会長は「猫について詳しくなった」とそっけなくコメントしているが元名人は意気軒昂で控訴して闘うようだ。この裁判は私見では様々な論点を孕むものとして注目する。同時代を生きた先の両氏は引退されても加藤元名人は未だ現役である。将棋と共に裁判でも問題の本質を神と将棋と猫を介して存分に論じて頂きたいと期待する。

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2010年5月20日 (木)

鉄斎美術館を再訪

 先日、天気が好かったこともあり宝塚の鉄斎美術館へ出かけた。先月の富士を描いた作品群を展示したとき以来二度目である。あの時は美術館に到着したのが遅く作品を十分に堪能することができなかった。今回は早起きし午前中に会場に到着した。阪急の清荒神(きよしこうじん)駅は梅田から急行電車で30分くらい。最初に訪れたときは意外に近い事に驚いたものだ。ところが駅から山中にある美術館までは坂道を20分近く歩かねばならない。しかしながら途中には清澄寺参道の各店舗があり楽しみながらいつの間にか美術館に着く。

 今回は「粉本に見る学びの跡」と題して多くが模写である。鉄斎は自ら自分の画業を、特に師承はなく、すべては盗み絵と語った。それが謙遜などでなく本音と受け取れもする今回の展示群だった。しかし89歳で亡くなるまで古今の技法を模写を通じて鉄斎は独学で習得し習熟した。今回の展示作品は、それを伝えようとする意図もあるだろう。前回の富士や山水の晩年の自在の境地の傑作群を俯瞰すると、そこに達するまでの点景を確認した思いに誘われる。晩年に益々冴え渡る筆の技と構想の境地の作品は前回の富士や山水に幾つか見られた。晩年の山水は何度も見たい。生涯二万点ともいわれる全作品のうち1200点を収蔵する同美術館だ。いつか何点か目にすることもあるだろう。

 それらの完成された傑作群からすると今回の模写の作品群は物足りなさを感じた。しかし原画との比較は考証的興味を掻き立てる効果はあった。等伯の「千利休像」は流石に等伯には見劣りするが鉄斎の視線と精神が感じ取られる。それは顔輝を模写した「達磨像」にも言える。雪舟の「慧可断臂図」も想い起こされたのは錯覚でもないだろう。顔輝を模写する時に雪舟伝とされる「達磨図」を想起したかもしれないと邪推するからだ。展示品は85点。その中には狩野探幽、渡辺華山、牧谿の模写など実に興味深かった。こういう機会をもてるのが関西に転居した功徳というものである。

 先月来たときは桜が満開だったが先日は既に葉桜で初夏の陽射し。鶯も鳴いて季節の移り変わりを実感した。 

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2010年5月18日 (火)

ハンク・ジョーンズ追悼

 昨夜の夕刊にハンク・ジョーンズが死去したという記事。享年91歳というから大往生だ。そのキャリアは赫々たるものである。ミシシッピーで生まれ1940代にニューヨークへ。エラ・フィッツジェラルドの伴奏を務めベニー・グッドマン楽団にも参加した。その後のアルバムはロン・カーターらと組んだ演奏を時に聴いた。日本のテレビCMにも出演していた。かつては麻薬やアルコールにのめり込み短命なプレーヤーが多いジャズ界で91歳まで現役を張ったピアニストは驚異である。今宵は1946年にスタン・ゲッツと組んだ『オパス・デ・バップ』の4曲を聴いて故人を偲ぶ。

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2010年5月17日 (月)

名人戦と或る裁判

 明日から将棋名人戦7番勝負の第4局が始まる。これまで羽生名人の3連勝であるから挑戦者の三浦弘行八段にはカド番の1局である。かつて囲碁界のタイトル戦で3連敗後の4連勝の逆転は何度かあった。しかし将棋界でそれはなかった。ところが先年そのジンクスが破られた。竜王戦で羽生名人の挑戦を受けた渡辺竜王がそれを成し遂げたのである。他の棋士ならいざ知らず、こともあろうに羽生名人をである。それを成し遂げた渡辺竜王の評価は棋界で特別なものになったのは言うまでもない。今回の名人戦で恐らくそれはありえないだろう。しかし三浦挑戦者には是非ともカド番を凌ぎ意地を見せてもらいたい。

 第4局の立会い人が加藤一二三元名人であることを米長邦雄将棋連盟会長のブログで知った。加藤元名人は野良猫への餌やりで猫の糞尿が周辺住民の苦情となり元名人が訴えられ裁判となっていることはアカショウビンも加藤ファン、将棋ファンとして気にしていた。その判決が先日下されたばかり。結果は原告の勝訴。米長会長としては元名人が世間を騒がすことに穏やかではなかろう。文章には軽い揶揄も込められていた。

 将棋界のニュースが対戦以外で世間に伝わることは少ない。昨今では中原名人との不倫騒動で世間を騒がせ棋界を去った林葉直子が女流棋界に復帰のニュースも読んだ。まぁ、この記事はさほど大きな話題ともならないだろうが加藤元名人の話題は裁判沙汰である。新聞以外のマスコミでどのように報道されているか知らない。善良な一般市民は裁判の結果で将棋界と元名人に或るイメージを持つだろう。しかし事の詳細はそのイメージとは異なることもある。一将棋ファンとして異見を述べておきたい。

 知る人ぞ知る加藤元名人は棋界では異色の人である。異色と言うのは氏が敬虔なクリスチャンであることでもある。その信仰の厚きことはかつてローマ法王からも賛嘆され表彰された。将棋指しがユダヤ教徒であろうが仏教徒であろうがイスラム教徒であろうがブードゥー教徒(そんな棋士がいるか詳らかにしないが)であろうが信教の自由は日本国憲法で認められている。何の問題もない。しかし米長会長が日本の国技にもしようと尽力している将棋は長い伝統を持つ文化的な格式を持つ。

 元名人は対局中にあからさまではなかろうが賛美歌を歌うというのは棋界では有名な話である。その後の事実は知らないが、かつて対局相手からそれで苦情も出たようだ。アカショウビンは若い頃に将棋に入れ込み当時は将棋の純文学(@米長邦雄)と目された矢倉という戦法は加藤一二三元名人の本で学んだ。その恩を忘れるわけにはいかない。アカショウビンは以来加藤一二三元名人のファンなのである。

 その氏が裁判で負けたという新聞報道にはウラまで読まねばならない。野良猫に餌をやることを世間では多くの日本国民が、いや諸外国でも決して「悪いこと」と思ってはいない筈だ。猫は人類と長く付き合っている生き物だからだ。我が国では犬猫として並び称される身近な動物である。しかるにその数が一匹や二匹なら許されて数十匹になりその糞尿の臭いが近所まで及ぶと訴訟騒ぎになる。この違いは如何なる理由によるのか?

 近年の用語では「住民エゴ」というのがある。今回の裁判のケースにもそれを看取する。もちろん事は簡単である。敬虔なクリスチャンでありながら常識を弁えない有名人が訴えられ裁判で負けた。それだけの事である。しかし野良猫に餌をやる事はそれ自体決して悪いことではない。にも関わらず行為が常軌を逸すると裁判にまで及ぶ。ここで常軌とは何か?それは常識ということであろう。

 裁判で負ければ事はいちおう落着する。しかし事実とは何か?真実とは何か?

 加藤元名人は世間的な常識で判断すれば少し奇矯なところもある人である。よく言えば純粋、悪く言えば世間知らずなのかもしれない。言うまでもなく敬虔なクリスチャンや仏教でも信仰に厚い人にとって世間と信じる宗教の世界は次元が異なるのであろう。しかし今回の場合、野良猫を哀れに思ったであろう元名人の心情が世間という常識と抵触し司法は原告の住民側の意を汲んだ。加藤元名人が控訴するかどうか知らない。しかし裁判の争点などの詳細は記事から不明である。今後の成り行きを見守り更に新事実が出るのであれば再考してみたい。

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2010年5月15日 (土)

沖縄返還から38年

 沖縄が米国から返還されて38年目。返還という政治交渉の裏には密約も絡んでいる事実が徐々に明かされている。アカショウビンの故郷奄美が返還されたのは56年前のクリスマスだ。米国のクリスマス・プレゼントという粋な計らいを奄美では提灯行列で祝ったと父と母は話していた。

 現在の沖縄の沸騰は一応の収束をみるだろうが未だ戦後は終わっていないということだ。沖縄の苦しみを日本国民は殆どが他人事だ。不況から抜け出せなくとも家庭だけは維持できる貯えはあるのだ。60年安保から70年までが高度成長期を経て日本という国が安定期に惰眠を貪りながらも国民が政治とも誠実に渡り合った短い期間であったと日本史には記されるだろう。

 晩年の頑迷固陋は功績を汚したが佐藤栄作は沖縄返還に政治生命を賭けた。それは現在のどの政治家たちよりも高く評価されなければならない。

 戦争の後遺症は簡単に消えるものではない。惰眠に耽り続けるツケは常についてまわる昨今だ。38年という期間は生まれた子供が成長し親たちも落ち着いて物事を考えられる時期だ。そこで平均的な日本人が沖縄の熱気に協調する動きを見せないことは沖縄への戦後日本人の立ち位置を示して余りある。日本政府が気骨を示すなら米国に沖縄から駐留米軍の即時撤退を要求することだ。しかしそれは無理だろう。恐らく密約ならずとも日米で妥協案は遣り取りされている筈だからだ。

 

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2010年5月12日 (水)

日々雑感

 現在の政治状況どころの話ではないアカショウビンの困窮生活だが沖縄の熱気はテレビ・新聞で騒がれていても日本国民に広く協調の機運が盛り上がっているわけでもない。お隣の韓国とはそこが決定的に異なっている。それが日本という島国の国際政治に対する感覚で惰眠は安眠でもあり国民はマスコミや政治家よりも直感的にそれを理解しているということでもあろう。

 先日、中央公論という月刊誌の4月号を久しぶりに読んだ。吉本隆明(以下、敬称は略させて頂く)と中沢新一の対談が掲載されている。昨年の正月号以来だ。昨年のほうが面白く今回は物足りない。写真の吉本は亡き碁打ちの藤沢秀行と似てきた。二人とも壮年の頃の男っぽい面構えがちんまりとしたお爺ちゃんになった。ガン闘病で中年から晩節を生き抜いた秀行の晩年の写真を専門紙で見た時は本当に驚いた。今回の吉本の写真もそれに通じるものを感じた。秀行の碁にかける熱情は烈々たるものがあったが吉本もボケもせず矍鑠たるものである。両人の老いの姿を語りや写真で拝見すると我々もかく老いたいものだと暫し感慨に耽る。

 少し抜き書きしておく。

  レーニンの思想は一面ではエンゲルスに近くて、人間の精神活動と自然の活動を一体化してしまう。それに加えて、例えばロシア正教のような宗教が考えている神ともかなり接近している。(中略) 宗教というのは、人間における最も人間的な部分を解体して、人間を超えた領域に入っていく運動です。そういうとき、ロシア人の宗教思想は、自然と神を一体化するような回路を作る傾向がある。 (中沢)

 レーニンの言う、「民営化」とは国家が管理運営してきた事業を民衆の手に委ねることで、それを推し進め、完全に成し遂げられたとききには、国家は解体するし、もちろん共産党も解体し、権力が自己解体する。ここはレーニンの立派なところで、この明瞭さを捉えれば、『国家と革命』はいまでもそこのところは生きているよと言えます。(吉本)

 沖縄問題で沸騰しているかのように見える昨今の政治状況は米国側からすれば次のような認識でもある。 

 >日本にはすでに十分すぎる米軍基地があり、他国から攻撃を受ける恐れはない。もし中国が日本を攻撃すれば、それは中国にこれ以上ない 悲劇的結果をもたらすだろう。中国に関するあらゆる情報を分析すれば、中国は自ら戦争を起こす意思はないことがわかる。中国の脅威などは存在しない。それは国防総省や軍関係者などが年間1兆ドル以上の安全保障関連予算を正当化するために作り出したプロパガンダである。過去60年間をみても、中国の脅威などは現実に存在しなかった。

 >北朝鮮は攻撃の意思はあるかもしれないが、それは「自殺行為」になることもわかっていると思うので、懸念の必要はない。確かに北朝鮮の戦闘的で挑発的な行動がよく報道されるが、これはメディアが冷戦時代の古い発想から抜け出せずにうまく利用されている側面もある。http://diamond.jp/articles/-/8060

 これは米国の世界戦略を鑑みれば妥当な見解だ。日本が敗戦国として戦勝国に譲歩するというより過剰に配慮し天皇もそれを察し「捨石」にした沖縄の地理的戦略的位置付けはそういうところだろう。

 英国でもエリートのいかにも毛並みの良い「おぼっちゃん」風エリート政権が樹立された。しかし、そのボンボンぶりには虫唾が走る。彼らに政治の清濁併せ飲む器量は感じられない。それは我が国にしても同じである。チャーチルや吉田 茂の性根が座った図太さは限りなく少ないように見える。

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2010年5月 8日 (土)

北林谷栄追悼

 遅まきながら先月27日にお亡くなりになった北林谷栄を偲ぼうと『阿弥陀堂だより』を数年ぶりに観直した。2002年公開の小泉堯史監督の佳作である。公開時に北林(以下敬称は略させて頂く)は92歳。DVDの特典映像では前年の制作発表記者会見の様子が見られ「私の最後の映画になると思う」と述べ劇団で同僚だった宇野重吉の長男「あきらちゃんが傍にいるのが嬉しい」と共演できる喜びを語っている。
 小泉監督にとっては『雨あがる』に続く第2作。黒澤 明監督に師事した同監督が前作の黒澤監督の影響を抜け出て自らの世界を造形した佳作だ。
 主演は寺尾 聡となっているが作品の主人公は北林演じるおうめ婆さん。この作品に深みを与えているのはロケ地、信州・飯山の自然の映像だ。監督は物語の進行に風景や自然の恵みとも思える映像を挟む。阿弥陀堂から眺められる棚田の自然は何とも日本的だ。保田與重郎が自らの思想の強固な基盤として繰り返し賛嘆した稲作文化の粋とも思われる風景である。信州の人々は自然の懐に包まれるように生きている。そこには醜い確執もあるだろう。しかし人間や自然の美徳と美しさを描くことがこの作品の基本姿勢である。そこで生み出された物語の進行と映像に感嘆するのだ。
 寺尾の妻役の樋口可南子は9年ぶりの映画出演という。ブランクを感じさせない佳演である。作品を支えるのは胃ガンで治療を拒否し静かに死を受け入れようとする主人公の恩師を演ずる田村高廣、香川京子の大御所。日本映画の名優たちは居るだけで風格を醸しだす。北林の天真爛漫と死を覚悟する田村と夫の覚悟に寄り添い看取る妻の姿の対比が物語に張りと効果を生み出す。おうめ婆さんの語りを文章にした、口のきけない病をもつ娘役を演じた小西真奈美の可憐な演技も言祝ぎたい。田村の死と小西の病からの蘇生。これが物語の骨格を支えている。
 特典映像のメイキングを見ると、天皇と崇められ畏れられた黒澤の演出と小泉の演出は異なる。それは出演者たちに格段の心配りをするものだ。黒澤組の先輩スタッフを受け継ぎそれはそれで実に好ましい姿だった。大女優の死を契機に現代日本映画の佳作を観直せた功徳を泉下の北林に感謝したい。

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2010年5月 5日 (水)

陽の光

 仕事先で10mはある樹の姿を眺めて厭きない。天辺の枝葉は太陽の光を真っ先に浴びる。それは何物かと交感しているようでもある。それは太陽の恵かもしれない。夜の間に地下の根茎から吸い上げた養分を生かすために陽の光は不可欠であろう。葉先は一本の木の死活を負う。風が枝葉を揺らす。それは神々の吐息かと妄想する。

 「ミツバチのささやき」(ビクトル・エリセ監督 1973年)というスペイン映画があった。寡作の監督は9年後にやっと「エル・スール」という次作を撮った。前作で無垢な演技で観客を驚愕させた少女は9年の時の間に大きな変貌を見せる。幼女から少女へ成長する変化は時の流れを追い越すようでもある。それから10年後に監督は「マルメロの陽光」という作品を撮った。それは前2作のような物語ではない。淡々と画家がマルメロの木を描く過程を追うだけの作品だ。それは何事かの事件と意想外の物語を期待する観客を裏切る。しかし事件とは何か?物語とは何か?そのような問いを映像は喚起する。

 一本の木が陽の光を浴びて風に揺れる姿を眺めているとアカショウビンの故郷の奄美のガジュマルの樹も想起する。耳を澄ませば、木肌に触れれば植物・樹木の生命の鼓動が伝わるだろう。近代文明の波に翻弄される現代人に古代人の研ぎ澄まされた五感はない。しかし異なる生を生きる生き物も現世の存在者である。仕事の合間の無聊を一本の樹の姿を眺めて不可思議な想念に導かれた。気がつけば時間を切り売りする賃仕事に戻る自分がいる。人間だけが生きているのではない。木々も花も鳥たちも凌ぎの生を生きている。そこで陽の光とは何か?という問いが突きつけられる。

 さぁ、暫し黙考し瞑目し陽の光を浴びながら、夜の闇の吐息を伺いながら回答を模索しよう。

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