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2010年4月22日 (木)

痛みと歎き

 ニーチェはツァラトゥストラに託し次のような詩行を残した。これはマーラーもハイデガーも引用し芸術家と思索家を深く刺激する。肉体の痛みは人の心と精神を刺激し新たな回路を開くこともあるだろうか?マーラーは此の世の苦と歎きを交響曲第3番で女声の声に託した。ハイデガーは「形而上学の根本諸概念 世界-有限性-孤独」(1998年 創文社 川原栄峰訳 p577)と題した講義の最後にニーチェが自ら『陶酔歌』と名づけたツァラトゥストラの歌で証言していると説く。 「この同じ歌においてわれわれは同時に、世界とは何であるかを経験する」。 

O Mensch! Gib Acht! おお、人間よ!こころして聴くがいい!

Was spricht die tiefe Mitternacht?  深き真夜半が語っているのは何か?

"Ich schlief,ich schlif -, 私は眠っていた、眠っていたのだ--

Aus tiefem Traum bin ich erwacht;- いまこそ深い夢から目覚めたところ--

Die Welt ist tief, 世界は深い。しかも

Und tiefer als der Tag gedacht.  昼間が想い描いていたよりも深い。

Tief ist ihr weh-,  世界の嘆く悲痛は深い--

Lust-tiefer noch als Herzeleid. 歓喜は-心の苦悩よりなおさら深いもの。

Weh spricht;Vergeh!  悲痛が告げるのは、うつろい滅びよ、ということ、

Doch alle Lust will Ewigkeit-, それなのに、快楽が永遠なる不死を欲する-

Will tiefe, tiefe Ewigkeit ! "  深い、深い永遠を欲するのだ!  (深田 甫 訳) 

 世に棲む日々の憂さは晴れる時もある。しかし多くは苦である。そこで発せられる永遠とは何だろうか?それは西洋的なものに過ぎないものなのか?それともハイデガーの用語を借用すればアジアの民にも「共属する」ものであろうか?回答はそのつど発し世に棲む日々を凌がなければならない。

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コメント

<歓喜は-心の苦悩よりなおさら深いもの。

悲痛が告げるのは、うつろい滅びよ、ということ、

それなのに、快楽が永遠なる不死を欲する-

深い、深い永遠を欲するのだ!>


この<歓喜>を、

この<快楽>を、

いつかの時に、

経験されんことを。

独りアーティストとして渇望する。

投稿: 若生のり子 | 2010年5月 2日 (日) 午後 09時31分

 若生さん

 ありがとうございます。

投稿: アカショウビン | 2010年5月 4日 (火) 午前 03時02分

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