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2010年3月16日 (火)

妄想する日々

3月8日の毎日新聞朝刊で山田孝男氏が「風知草」と題した論説のなかでジョージ・オーウェルの「動物農場」を引用していた。

 ある日、家畜たちが一斉蜂起して農場主ジョーンズを追っ払った。農場は、動物の、動物による、動物のための農場になった。ところが、リーダー格の豚がしだいに力を握り、いつしかジョーンズに代わる暴君にのしあがった。

 豚の言動をいぶかる他の動物たちが異を唱えるたびに、豚はこう説いた。「ジョーンズが戻ってきてもいいのか?」。この説得は「自民党と官僚の癒着時代へ逆戻りしていいのか?」という民主党応援団の常とう句とよく似ている。

 動物たちの間には「他の動物たちを殺すべからず」という盟約があった。納屋の壁に書いてあったが、豚はいつのまにか、ペンキで「理由なしには」というフレーズを書き加え、もとの意味をゆがめた。

 豚のこの立ち回りは政権半年の民主党の歩みを思わせる。民主党は衆院選の公約のうち、ガソリン暫定税率廃止を撤回した。普天間飛行場の県外移設をあいまいにした。

 「動物農場」は旧ソ連のスターリン独裁体制に対する風刺である。スターリンは今でこそ独裁者だが、オーウェルがこの寓話を書いた第二次世界大戦の末期はドイツのヒトラーをやっつけた英雄だった。(中略) 「動物農場」の豚は、人間を追い出した翌日から牛の乳をしぼって飲み始めた。オーウェルを好んだ開高健は、この寓話の主題は「一杯の牛乳から始まり、最後は他の動物を殺して食い始める革命の堕落」と書いている。(「今日は昨日の明日」1984年 筑摩書房)

 

 この戯画は何も日本や英国だけでなく世界のあちらこちらで再現されているだろう。

 それはともかく、開高がベトナムやイスラエルから報じた文章は当時の報道の中で強いインパクトがあった。それは開高が傍聴したイスラエルでのアイヒマン裁判を介して戦中ドイツの状況にも連想が及ぶ。ナチズムと関わったハイデガーは『シェリング講義』で、シェリングが説く「意欲こそが根源存在(ウアザイン)である」を通してシェリングの思索の射程を探索している。

 この悪の形而上学において、われわれは存在の本質への問いを問うことになっています。存在は同一性という本質をもっています。同一性とは、異っているものの共属性としての統一のことです。だが、異っているものがたがいに分けられているということは―すべてのものから遊離している空虚な論理学のおこなう単に思念されただけの区別の働きという意味での―単に空虚に考えられただけの区別としてではなく、むしろ分けることの生起として捉えられています。この分けることはつねに、それ以前のたがいに属しあっている状態からの別離にすぎません。悪の可能性と現実性への問いとして(p239~)。 

 「貧しさ」(ハイデガー著 フィリップ・ラクー=ラバルト論考付き 1994年 藤原書店 2007年)でハイデガーは、ヘルダーリンの詩を引き「精神」という語を次のように説明する。

 思索の長い伝統から~ギリシア語のプネウマ(気息・霊)ラテン語のスピリトゥス(聖霊)、フランス語のエスプリ~非物質的なものはプネウマ的なものであり、スピリトゥス的なものである。それが言わんとするのは、精神とは、照明と叡知の作用する力、ギリシア語で言えば、ソフィアの力ということだ。(p10~p11) 

 また東方教会では別の発展が生じ、とりわけロシア世界においては、聖ソフィア説が展開することになった。この説は、今日もなお、ロシアの神秘主義において、我々にはほとんど想像もつかない仕方で生き残っている。万物にあまねく作用する照明と叡知の力(ソフィア)としての精神の働きは、「魔術的」なものとされるが、この魔術的なものの本質は、プネウマ的なものの本質と同じく、闇に包まれている。ヤーコプ・ベーメの教えは、すでに17世紀にロシアで知られており、当時のロシア人たちは彼を説教父ヤーコプ・ベーメと呼んでいた。

ラクー=ラバルトが告発するハイデガーの「原-ファシズム」は保田與重郎の論説とも呼応する。東西で自国の戦争に独特な視角で介入した哲学教師と文人の思索・考察の響き合いが面白い。不協和音を含めてナカナカ魅力的でもある。

新聞の論説から思わぬところへ迷い込んだ感もあるが少しの光明が差し込んでこないかと妄想する。 

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