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2010年3月12日 (金)

迅速な無常

 人が死ぬように動物も樹木や植物もいずれ枯れ果て死ぬ。昨年母が死に、いずれアカショウビンも此の世を去る時が来る。それは果たして来ると言えるものなのか。無常迅速。これが世の習いだ。愛犬、愛猫の寿命は人間に比べ短い。そこで人の死とは異なる生き物の死を介し人は暗澹と悲しみに浸され生の無常に思い至る。

 無常は迅速なのか?それとも迅速でない無常があるのか?死と無常の関係性はどのように表象されるのか?死や無常は象られるものなのか?次々と湧き出て来る問いは愚考を強いる。

 日本人の死の受け入れ方というものがあるとすれば一つの典型を小津安二郎監督は晩年に到るカラーの諸作品の中で自らの生の終わりを予感したかのように実に味わい深く描出した。日本の文化と日本人たちの生き様と死に様が絶妙にあはれと可笑しみを込めて奥深く描かれている。何度観ても、というより繰り返し観るたびに新たな発見がある。このような作品を残した日本映画の到達した境地をありがたく思う。昨夜は「小早川家の秋」(昭和36年)をレンタルDVDで観直した。大阪と京都を舞台に或る家族の姿が実に見事に映像化されている。軽妙な大阪弁と京都弁で人々の情感が絶妙に過不足なく描かれる。人も風景も花瓶ひとつの調度品も何事かを語りかけてくるような深みに満ちている。削ぎ落とされ練りぬかれた台詞は「存在は言葉という家に棲む」という洞察を改めて想い起こさせる。

 

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