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2010年3月21日 (日)

時代は回るのか?

 15日の毎日新聞夕刊に「谷川雁 再びの息吹」の見出しで谷川再評価の動きが報じられていた。<60年安保>闘争とは現在どのように回想され現実に意味を持ち得ているのだろうか?少し後の世代のアカショウビンは<70年安保>の後に遅れやって来た世代である。既に苛烈な学生闘争は下火で名残のようなものは学内に残っていたが既に学生たちは興味を別に移していた。それは享楽の時代への入り口のようにも思えた。アカショウビンも授業に出るよりはバイトで稼いだ金で名画座、将棋道場通い。映画館と道場が学校のようなものだった。

 しかし高校の頃の三島の割腹事件、連合赤軍事件は時代を画する事件として多感な高校生に他人事ではすまない切迫感を感じさせた。それは全共闘世代にも共通する時代感覚ではなかろうか?その後もオウム事件など日本という国の不可思議さが問われる事件は続いている。あの頃は論壇や文壇に昨今のレベルとは格段に高く深い論説・言説が溢れていた。アカショウビンの20歳前後の数年間は沸騰する湯の中に放り込まれた痛さと心地よさの中で経過したと言ってもよい。

 夕刊には吉本隆明さんが記者のインタビューに自宅で入れ歯を入れて応じた、とあり面白く読んだ。吉本隆明健在で何よりだ。谷川には言いたいことが山ほどあるだろうに記事内容では物足りない。谷川健一さんもご健在で何より。弟の詩作品をもっとも深く理解していた詩人の一人が吉本隆明だっただろう。その感想を少し述べておられた。谷川雁と吉本隆明の思想的なスタンスはともかく、若い人たちが谷川や吉本を読み直すことは好いことだと思う。時代は変わっても彼らが熱く議論した問題領域は現在も決して古びていないと確信するからだ。

 時代は回っても同じようには繰り返さない。時代は異なっても人はそれぞれ新たな生の軌道を生きる。時に並行して会話が続けられればそれでよい。時代はそれで新たに変転していくだろうからだ。

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