« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »

2010年3月31日 (水)

アドルノの舌鋒

 グールドの録音を聴きながらアドルノの「プリズメン」(1996年 筑摩書房)を書棚から衝動的に引っ張りだした。「バッハをその愛好者たちから守る」という表題でアドルノのバッハ観が読める。これと拮抗してバッハを語ることのできる人はグールドは必ずやその一人である。

 アドルノの舌鋒は「本来性という隠語」(1992年 未来社)でハイデガーにも及んでいた。そのニュアンスはドイツ語に習熟していなければ理解できそうもない。しかし隠語はどの国語にも言葉の中に発見できる。それが思想とか哲学になると影響は個人の裁量の外となる。しかしグールドの奏するバッハは素晴らしい。批評はともかく音楽に浸る悦びは格別だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月25日 (木)

陶酔と没我

 引っ越しで久しく観ていなかった古いビデオを日々の鬱屈から逃れるように観直した。カナダの放送局が撮影したグレン・グールドの姿を追った番組である。50歳で此の世を去った天才の日常と録音風景、コメントが聞かれる貴重なドキュメンタリー・フィルムだ。この稀代のバッハ弾きは「フーガの技法」(BWV1080)の録音はピアノでなくオルガンでしか残していない。しかも全曲でなく9曲のみである。それだけでも貴重だが、やはりピアノで全曲録音してもらいたかった。ところがこのテレビ放送ではピアノで弾く映像が見られるのである。テンポは若きグールドが世界を席巻したデビュー作の「ゴルトベルク変奏曲」のテンポとは異なる死の前に再録した演奏のテンポに酷似している。その演奏する姿は巷間に流布している恍惚とも陶酔、没我ともいえる状態での演奏である。瞑目し上半身をゆっくりと揺らし円を描くように動かしながら打鍵する。それは実に神業のような「フーガの技法」だ。それはバッハを熟知した者にしかできない演奏とも言える。

 好い機会だとオルガン演奏の「フーガの技法」を久しぶりに聴き直した。レコードは売却してしまったのでCDだが第1曲はピアノ演奏のテンポとは異なる。やはりバッハの深みは遅いテンポで垣間見える思いだ。晩年の「ゴルトベルク~」はグールドというピアニストの生涯の集大成として実に奥深い響きを醸し出していた。グールド自身も後半生に向けて新たな次元を開く可能性を掴んだのではないかと推察される。ところが突然の死は自身も周囲の人々も世界中のファンも呆然とさせることになった。

 そこで少し愚考を促すのはグールドがこだわった、聴衆を前にするコンサートを忌避しスタジオに籠り作成した幾つものトラックから最上のものを選びレコード化するという手法である。ライブとは異なる録音機器を通じた聴衆不在の人工的な演奏の持つ可能性とでもいうのか。それは量産されるテレビ映像とは異なる想像力を促すラジオ・ドラマ放送が開く世界の豊饒さに通じる。現代人はテレビ映像を介して視覚に鈍感になっている。日常でテレビの垂れ流す陳腐な映像で感覚を麻痺させられているのが我々の日常というものであろう。グールドを聴きながら改めて耳を通じて音に集中する恵みに浸った。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年3月21日 (日)

時代は回るのか?

 15日の毎日新聞夕刊に「谷川雁 再びの息吹」の見出しで谷川再評価の動きが報じられていた。<60年安保>闘争とは現在どのように回想され現実に意味を持ち得ているのだろうか?少し後の世代のアカショウビンは<70年安保>の後に遅れやって来た世代である。既に苛烈な学生闘争は下火で名残のようなものは学内に残っていたが既に学生たちは興味を別に移していた。それは享楽の時代への入り口のようにも思えた。アカショウビンも授業に出るよりはバイトで稼いだ金で名画座、将棋道場通い。映画館と道場が学校のようなものだった。

 しかし高校の頃の三島の割腹事件、連合赤軍事件は時代を画する事件として多感な高校生に他人事ではすまない切迫感を感じさせた。それは全共闘世代にも共通する時代感覚ではなかろうか?その後もオウム事件など日本という国の不可思議さが問われる事件は続いている。あの頃は論壇や文壇に昨今のレベルとは格段に高く深い論説・言説が溢れていた。アカショウビンの20歳前後の数年間は沸騰する湯の中に放り込まれた痛さと心地よさの中で経過したと言ってもよい。

 夕刊には吉本隆明さんが記者のインタビューに自宅で入れ歯を入れて応じた、とあり面白く読んだ。吉本隆明健在で何よりだ。谷川には言いたいことが山ほどあるだろうに記事内容では物足りない。谷川健一さんもご健在で何より。弟の詩作品をもっとも深く理解していた詩人の一人が吉本隆明だっただろう。その感想を少し述べておられた。谷川雁と吉本隆明の思想的なスタンスはともかく、若い人たちが谷川や吉本を読み直すことは好いことだと思う。時代は変わっても彼らが熱く議論した問題領域は現在も決して古びていないと確信するからだ。

 時代は回っても同じようには繰り返さない。時代は異なっても人はそれぞれ新たな生の軌道を生きる。時に並行して会話が続けられればそれでよい。時代はそれで新たに変転していくだろうからだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月16日 (火)

妄想する日々

3月8日の毎日新聞朝刊で山田孝男氏が「風知草」と題した論説のなかでジョージ・オーウェルの「動物農場」を引用していた。

 ある日、家畜たちが一斉蜂起して農場主ジョーンズを追っ払った。農場は、動物の、動物による、動物のための農場になった。ところが、リーダー格の豚がしだいに力を握り、いつしかジョーンズに代わる暴君にのしあがった。

 豚の言動をいぶかる他の動物たちが異を唱えるたびに、豚はこう説いた。「ジョーンズが戻ってきてもいいのか?」。この説得は「自民党と官僚の癒着時代へ逆戻りしていいのか?」という民主党応援団の常とう句とよく似ている。

 動物たちの間には「他の動物たちを殺すべからず」という盟約があった。納屋の壁に書いてあったが、豚はいつのまにか、ペンキで「理由なしには」というフレーズを書き加え、もとの意味をゆがめた。

 豚のこの立ち回りは政権半年の民主党の歩みを思わせる。民主党は衆院選の公約のうち、ガソリン暫定税率廃止を撤回した。普天間飛行場の県外移設をあいまいにした。

 「動物農場」は旧ソ連のスターリン独裁体制に対する風刺である。スターリンは今でこそ独裁者だが、オーウェルがこの寓話を書いた第二次世界大戦の末期はドイツのヒトラーをやっつけた英雄だった。(中略) 「動物農場」の豚は、人間を追い出した翌日から牛の乳をしぼって飲み始めた。オーウェルを好んだ開高健は、この寓話の主題は「一杯の牛乳から始まり、最後は他の動物を殺して食い始める革命の堕落」と書いている。(「今日は昨日の明日」1984年 筑摩書房)

 

 この戯画は何も日本や英国だけでなく世界のあちらこちらで再現されているだろう。

 それはともかく、開高がベトナムやイスラエルから報じた文章は当時の報道の中で強いインパクトがあった。それは開高が傍聴したイスラエルでのアイヒマン裁判を介して戦中ドイツの状況にも連想が及ぶ。ナチズムと関わったハイデガーは『シェリング講義』で、シェリングが説く「意欲こそが根源存在(ウアザイン)である」を通してシェリングの思索の射程を探索している。

 この悪の形而上学において、われわれは存在の本質への問いを問うことになっています。存在は同一性という本質をもっています。同一性とは、異っているものの共属性としての統一のことです。だが、異っているものがたがいに分けられているということは―すべてのものから遊離している空虚な論理学のおこなう単に思念されただけの区別の働きという意味での―単に空虚に考えられただけの区別としてではなく、むしろ分けることの生起として捉えられています。この分けることはつねに、それ以前のたがいに属しあっている状態からの別離にすぎません。悪の可能性と現実性への問いとして(p239~)。 

 「貧しさ」(ハイデガー著 フィリップ・ラクー=ラバルト論考付き 1994年 藤原書店 2007年)でハイデガーは、ヘルダーリンの詩を引き「精神」という語を次のように説明する。

 思索の長い伝統から~ギリシア語のプネウマ(気息・霊)ラテン語のスピリトゥス(聖霊)、フランス語のエスプリ~非物質的なものはプネウマ的なものであり、スピリトゥス的なものである。それが言わんとするのは、精神とは、照明と叡知の作用する力、ギリシア語で言えば、ソフィアの力ということだ。(p10~p11) 

 また東方教会では別の発展が生じ、とりわけロシア世界においては、聖ソフィア説が展開することになった。この説は、今日もなお、ロシアの神秘主義において、我々にはほとんど想像もつかない仕方で生き残っている。万物にあまねく作用する照明と叡知の力(ソフィア)としての精神の働きは、「魔術的」なものとされるが、この魔術的なものの本質は、プネウマ的なものの本質と同じく、闇に包まれている。ヤーコプ・ベーメの教えは、すでに17世紀にロシアで知られており、当時のロシア人たちは彼を説教父ヤーコプ・ベーメと呼んでいた。

ラクー=ラバルトが告発するハイデガーの「原-ファシズム」は保田與重郎の論説とも呼応する。東西で自国の戦争に独特な視角で介入した哲学教師と文人の思索・考察の響き合いが面白い。不協和音を含めてナカナカ魅力的でもある。

新聞の論説から思わぬところへ迷い込んだ感もあるが少しの光明が差し込んでこないかと妄想する。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月12日 (金)

迅速な無常

 人が死ぬように動物も樹木や植物もいずれ枯れ果て死ぬ。昨年母が死に、いずれアカショウビンも此の世を去る時が来る。それは果たして来ると言えるものなのか。無常迅速。これが世の習いだ。愛犬、愛猫の寿命は人間に比べ短い。そこで人の死とは異なる生き物の死を介し人は暗澹と悲しみに浸され生の無常に思い至る。

 無常は迅速なのか?それとも迅速でない無常があるのか?死と無常の関係性はどのように表象されるのか?死や無常は象られるものなのか?次々と湧き出て来る問いは愚考を強いる。

 日本人の死の受け入れ方というものがあるとすれば一つの典型を小津安二郎監督は晩年に到るカラーの諸作品の中で自らの生の終わりを予感したかのように実に味わい深く描出した。日本の文化と日本人たちの生き様と死に様が絶妙にあはれと可笑しみを込めて奥深く描かれている。何度観ても、というより繰り返し観るたびに新たな発見がある。このような作品を残した日本映画の到達した境地をありがたく思う。昨夜は「小早川家の秋」(昭和36年)をレンタルDVDで観直した。大阪と京都を舞台に或る家族の姿が実に見事に映像化されている。軽妙な大阪弁と京都弁で人々の情感が絶妙に過不足なく描かれる。人も風景も花瓶ひとつの調度品も何事かを語りかけてくるような深みに満ちている。削ぎ落とされ練りぬかれた台詞は「存在は言葉という家に棲む」という洞察を改めて想い起こさせる。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 8日 (月)

労働とは?

 昨年4月に埼玉から大阪へ転居して以来一年近くが経過した。約4ヵ月の求職活動の末に得た職は工事現場の路上警備という仕事だった。同僚は若者もいたが多くは中高年の男女だ。高齢者も多い。息子のような土木業者から邪険に扱われる姿は自らの現実を介して底辺労働の苛酷を痛感した。

 労働とは何か?古代から近代に到る過程で人が従事する労働(仕事)の在り方は大きく変貌した。それは技術の発達により肉体・身体労働の苛酷さを軽減する過程での変化である。近代に至り古代の肉体労働は機械技術の進展により楽になる。しかし逆行する弊害も出てくる。我が国では明治時代に群馬県の足尾銅山鉱毒事件、戦後の水俣水銀公害、米国ではミシシッピー河での農薬公害。その現実を田中正造、石牟礼道子、レイチェル・カーソンが著作で告発した。人は便利を追求し何かを失った。その過程で死んでいった人々の無念は諸氏の著作にあたれば痛感する。

 アカショウビンが従事した労働にそのような弊害は微小だ。しかし雨風に打たれながらの労働はエアコンの効いた屋内での労働と比べれば苛酷だ。そのような職場でしか働けない中高年・高齢者の現状は戦後復興で金満大国と世界から揶揄されるなかで毎年3万人という自殺者が生ずる現実を看過することはできない。国民はともかく政府・行政は立場上から現実を凝視しない。目を背ける。人は少しでも楽な職場・仕事に就きたがる。しかし現実はそうもいかない。経済的繁栄のなかで毎年自殺者3万人という異常な現実が金満大国の現実である。

 先に読んだハイデガーの「貧しさ」での分析は戦後世界の現実で現在を生きる私たちに根本的な思索を促す。日々の労働・仕事に従事しながらヨロヨロと愚考を重ねていかねばならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »