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2010年2月26日 (金)

日々雑感

  近日の慶事といえばベルリン国際映画祭で寺島しのぶ(以下、敬称は略させていただく)が主演女優賞の栄誉に輝いた事だ。日本人女優としては左幸子、田中絹代に次ぐ3人目ということもマスコミの馬鹿騒ぎとは別に象徴的な事のように思える。なぜなら左が主演した「にっぽん昆虫記」は今村昌平が実にダイナミックに描いた日本戦後史でもあるからだ。戦後の焼け跡の中で男も女たちも生き延び生き残るためにしたたかに生きたという現実の一端を今村は苛烈に痛烈に描いた。そこで女優という存在は昨今のように着飾りチヤホヤされる生き物ではない。左は女の虚飾をかなぐり捨て体当たりとでもいうように一人の女の生き様を演じた。寺島が過激に演じたとされる「濡れ場」も、そうではないかと推察するのである。人間という生き物がもつ仏教用語でいえば「業」というものに含まれるかもしれぬ「性」を作品は描いて彼の国の観衆にも共感されたのではないか。伝え聞くところによると母親は娘がそのような「濡れ場」を演じることに反対したという。しかし優れた映画作品は世間的な「良識」というものから抜け出ていなければならないだろう。それからすれば寺島の「戦争反対」の受賞コメントはあたりさわりのない社交辞令でしかないように思える。評価されたのは若松監督が表現しようとした「戦争」と人間の「生と性」を寺島が左のように全身全霊で演じたことが彼の国の観衆にも伝わり共感されたからではないだろうか。

 たかが映画と侮ってはならない。そこには「人間」という生き物の本質とでもいう姿の一端が現れている筈だからだ。

 先に亡くなった藤田まことの映画主演作品「明日への遺言」は一昨年に都内の映画館で観た感想を再掲し追悼したい。

 本日、話題の「明日への遺言」(2008年 小泉堯史監督)を観てきた。たまたま午後2時の回の終了後に小泉監督と海老名香葉子さんのトークショーも行われ拝聴した。小泉監督の説明によると昭和20年3月12日は名古屋大空襲の日ということ。10日の東京大空襲は別ブログでも話題になり東京の人はじめ知名度は高いが不覚にもアカショウビンは12日が名古屋大空襲であったことは知らなかった。先の記事で言及した小田 実がこだわった大阪空襲も連想された。(以下の文中、出演者俳優の敬称略)

 ネットの各資料を散見すると、米軍は3月9日までの空襲で空爆を一段落し日本へ降伏を勧告したらしい。しかしそれを無視されて東京大空襲を決行。続いて名古屋、大阪はじめ大都市空襲を大規模に行い日本を焼夷弾で徹底的に焼き尽くす作戦に変更する。作戦は更に大艦隊で沖縄戦に臨み鉄の暴風と畏怖させた砲弾で沖縄を現世の地獄に変え、帝国の切り札、戦艦大和の特攻を轟沈で返り討ちにした。そして終に米軍は本土上陸へ向け降伏を勧告しながらヒロシマ・ナガサキに原爆を落とし大日本帝国の息の根を止める。

 作品の冒頭はピカソのゲルニカを映したあと約150時間分の当時のドキュメンタリー映像を小泉監督が数分に厳選した映像が映される。そこには東京大空襲の悲惨な映像から連合軍のベルリン・ハンブルク・ドレスデン大空爆の映像、ヒロシマ・ナガサキの原爆投下、被爆者の惨澹たる映像が映される。

 映画の主人公は監督が15年前から温めていたという「ながい旅」(角川文庫 大岡昇平著)で描かれたB級戦犯で昭和24年に絞首刑にされた第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官親補の岡田 資中将である。作品は岡田中将が横浜裁判で主張した米軍の無差別爆撃の罪を巡る遣り取りを主題化し、米側と争った岡田中将が指示したとされる、撃墜されたものの生き残ったB29の搭乗米兵37人の略式裁判による斬首刑の非道に対する告発をめぐって検察官と弁護士の熾烈な裁判劇が展開される。一部の箇所の演出は時に甘いと感じざるをえなかったが制作上での制約もあったのだろう。しかし作品全体としては基本的な重厚さを持続して観る者に迫る。この裁判シーンは作品としてもっとも力が入っていて見ごたえがある。セットは恐らく当時の状況を綿密にリサーチし拵えたものだろう。日米の俳優たちも主役の藤田まこと、富司純子はじめの熱演・秀演で場の空気がこちらに伝わってくる臨場感を醸し出した。

 それにしても、この映画の緊張とメッセージがあるとするなら戦争の悲惨さを感情的に描くのでなく、無差別爆撃の違法性を問う日米の主張の渡り合いにおいた事であろう。それはベトナム戦争から先のイラク戦争における米軍のアフガニスタン・イラク空爆にまで持続する米国の戦争の違法性と非道である。

 最後のシーンが見事だった。絞首台に向かう岡田中将に付き添う田島教誨師が話しかける。「では、本当にお別れですね」。それに答える岡田中将の言葉と藤田まことの台詞が素晴らしい。それはぜひ劇場で味わっていただくしか伝えられない。「なーに、本当に、ちょっと隣へ行くようなもんですよ」。武人としての責任を取る人間の言葉の重みと悟りのような境地の軽みが見事だ。田島教誨師は真言宗豊山派の僧侶。宗派は異なれど岡田氏の日蓮宗徒として日蓮譲りの胆の据わり方は感嘆するしかない。幽明を分かつ時の会話とは、かくありたいものだとアカショウビンは賛嘆する。岡田中将の法華経信仰への参入は顕本法華宗の僧侶たちとの出会らしい。裁判を「法戦」と見做した岡田中将は、日蓮の幕府への諫言やライバル宗派への激烈な論戦のひそみに習った趣がある。この詳細はネットのhttp://www3.cnet-ta.ne.jp/o/otowatid/p4c3.htmlで知った。

 そこでアカショウビンは、戦争の罪、またいわゆる罪とは何か?と、それは欧米キリスト教文化の圏域の内での問いが我々のような東洋の異教徒には、どのように関わり、共振されるだろうか?という問いを立て考究してみる価値があると思うのである。それは、このブログを始めた頃の2005年6月に読み感想を書いた、ヤスパースが「戦争の罪を問う」(平凡社ライブラリー1998年)で提示した四つの罪に立ち戻って考えてみることでもある。原題は「Die Schuldfrage」。同書の最初の翻訳・出版は「責罪論」(1965年3月 理想社)である。

 ①刑法上の罪②政治上の罪③道徳上の罪④形而上的な罪

 この著作は戦後1945年から1946年の冬学期に行った講義を記録・出版したものだ。最初に「ドイツにおける精神的状況に関する講義の序説」としてヤスパースが戦後の「大学の現状、新たな自由」について話したものである。「(前略)われわれは第二にドイツ人としての問題への道を探求する。われわれはわれわれの現実的な立場をわれわれの精神的な立場の源泉としてはっきり意識にのぼせ、ナチズムの特徴づけを行って、さていかにしてナチズムが可能であったか、いかにして事態がナチズムまで進展したかを問い、最後に罪の問題を論ずる」(同書p39)と講義の論述の骨組みを説明する。そこでヤスパースは「罪の問題」の箇所に注釈を加え、「この最後の、罪の問題に関する節だけを、内容に推敲を加え、講義の形式を取り除いて以下に発表することにした」(p41)と書いた。それがヤスパースの思索・思考・追求する「罪の問題」だ。

 アカショウビンには解題を書かれている福井一光氏のヤスパースとハイデガーの確執の経緯の説明が興味深かったが、それはさておく。

 この書物には戦後ドイツに対する哲学者の真摯な論考が読み取られる。別ブログでは高橋哲哉氏の「靖国問題」やV・E・フランクルの「夜と霧」の書評コミュで若い人たちも参加しアカショウビンも感想を書き込み思索を重ねている。その成果も含めてヤスパースの提示した問いについて更に考察していきたいと思う。

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