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2010年2月 2日 (火)

ケノーシスとは?

 ハイデガーの「貧しさ」を翻訳した西山達也氏は解題でラクー=ラバルトが晩年にストラスブール大学で「マルクスの哲学―改革・批判・革命」の題目で講義したことを伝えている。それは「ルター、カント、ハイデガーを関連づけマルクスとハイネ、ブルーノ・バウアーを精読するものであった」と書いている。

 ヘルダーリンを読むマルクスとヘルダーリンを介してマルクスを読むハイデガーの思索・思考を追わなければならないだろう。ヘルダーリンが当時の政治と深く関わっていたことをハイデガーは知悉して初期マルクスを読み込んでいた。その巧妙とも、したたかとも思えるハイデガーの哲学戦略が透けて見えるようだ。若い頃に影響されたカトリック神学から後年は遥かな地平で思索するハイデガー哲学を〝ケノーシス〟というカトリック神学を通じて論じるラクー=ラバルトの解釈・戦略が興味深い。

 〝ケノーシス〟とは西山氏の説明によれば「キリストの受肉における神性の自己無化と自己放棄の教義を説明するために用いられる語である」。そして次のように氏は続ける。

 そこで言い表された能動的な自己無化は、きわめて逆説的(「逆説的」に氏は読点を付け強調している)な状況である。なぜならイエスの十字架上の死という究極の「自己無化」には「復活」がつづくわけであるが、しかしながらそれは復活のための(「のための」にも氏は読点を付けている)無化であってはならないし、自己無化が、自己性そのものを保証するために遂行されてはならないからである。このケノーシスの論理をラクー=ラバルトは刊行された著作や論考ではほとんど説明していない。だがこのことは、「ケノーシス」の神学素がラクー=ラバルト哲学を暗黙のうちに貫くひとつの筋であったという解釈を妨げるものでもない。(同書p205)

 ラクー=ラバルトがフランス国籍のユダヤ人として旧約・新約を介して思索・思考している姿が垣間見えるようだ。西山氏の解釈もハイデガー読解の新たな視角を開いている。さらにヘーゲル、マルクスを介してハイデガーの全貌に辿り着ければよいのだが道のりは遠そうだ。

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