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2010年2月18日 (木)

老いという時間感覚

 老いと称される人生の時に時間感覚は身体の衰えと共に独特の変化をもたらすように思う。世間的には中高年という時を生きる中で長寿を生きた様々な人々の生き方は注視するに値する。

 アカショウビンが若い頃から聴き続けている西洋古典音楽を演奏する長寿を全うした指揮者の演奏を聴くとそれを実感するのである。オットー・クレンペラーというドイツ生まれのユダヤ人指揮者の演奏をアカショウビンは若い頃から聴き続けている。特に晩年のバッハやモーツァルトの録音に親しみレコードやCDで愛聴して厭きない演奏だ。

 暫く廃盤になっていたマーラーの第7交響曲が昨年CDで再発された。埼玉に棲んでいるころCDはなく中古レコードで発見し買い求めた。発売当時からマニアの間では侃々諤々の意見が喋々されていただろう。高名な第2番「復活」や「大地の歌」の録音を聴けばさほどの違和感はないが、第7番は何とも異様な演奏だ。若い頃に聴いたバッハやモーツァルトにはそれを感じなかった。それは重厚で経験を重ねた巨匠のテンポというものだった。しかし「夜の歌」と称された交響曲の演奏は他のマーラー録音に比べても異様で今にも止まりそうなテンポなのだ。それは同じように長寿を全うしたクナッパーツブッシュというドイツ人の指揮者の晩年の演奏にも聴き取られる。俗に言えば人を食った演奏である。しかし、そこには指揮者として老いを生きる人の時間感覚が反映していると察せられる。

 久しぶりに「巨匠」と称された指揮者の晩年の演奏を聴き改めて老いの時間の「面白さ」も考えてみたい衝動に駆られた。中年を過ぎ、それは残された自らの生の時間と共に経験することである。

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