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2010年2月26日 (金)

日々雑感

  近日の慶事といえばベルリン国際映画祭で寺島しのぶ(以下、敬称は略させていただく)が主演女優賞の栄誉に輝いた事だ。日本人女優としては左幸子、田中絹代に次ぐ3人目ということもマスコミの馬鹿騒ぎとは別に象徴的な事のように思える。なぜなら左が主演した「にっぽん昆虫記」は今村昌平が実にダイナミックに描いた日本戦後史でもあるからだ。戦後の焼け跡の中で男も女たちも生き延び生き残るためにしたたかに生きたという現実の一端を今村は苛烈に痛烈に描いた。そこで女優という存在は昨今のように着飾りチヤホヤされる生き物ではない。左は女の虚飾をかなぐり捨て体当たりとでもいうように一人の女の生き様を演じた。寺島が過激に演じたとされる「濡れ場」も、そうではないかと推察するのである。人間という生き物がもつ仏教用語でいえば「業」というものに含まれるかもしれぬ「性」を作品は描いて彼の国の観衆にも共感されたのではないか。伝え聞くところによると母親は娘がそのような「濡れ場」を演じることに反対したという。しかし優れた映画作品は世間的な「良識」というものから抜け出ていなければならないだろう。それからすれば寺島の「戦争反対」の受賞コメントはあたりさわりのない社交辞令でしかないように思える。評価されたのは若松監督が表現しようとした「戦争」と人間の「生と性」を寺島が左のように全身全霊で演じたことが彼の国の観衆にも伝わり共感されたからではないだろうか。

 たかが映画と侮ってはならない。そこには「人間」という生き物の本質とでもいう姿の一端が現れている筈だからだ。

 先に亡くなった藤田まことの映画主演作品「明日への遺言」は一昨年に都内の映画館で観た感想を再掲し追悼したい。

 本日、話題の「明日への遺言」(2008年 小泉堯史監督)を観てきた。たまたま午後2時の回の終了後に小泉監督と海老名香葉子さんのトークショーも行われ拝聴した。小泉監督の説明によると昭和20年3月12日は名古屋大空襲の日ということ。10日の東京大空襲は別ブログでも話題になり東京の人はじめ知名度は高いが不覚にもアカショウビンは12日が名古屋大空襲であったことは知らなかった。先の記事で言及した小田 実がこだわった大阪空襲も連想された。(以下の文中、出演者俳優の敬称略)

 ネットの各資料を散見すると、米軍は3月9日までの空襲で空爆を一段落し日本へ降伏を勧告したらしい。しかしそれを無視されて東京大空襲を決行。続いて名古屋、大阪はじめ大都市空襲を大規模に行い日本を焼夷弾で徹底的に焼き尽くす作戦に変更する。作戦は更に大艦隊で沖縄戦に臨み鉄の暴風と畏怖させた砲弾で沖縄を現世の地獄に変え、帝国の切り札、戦艦大和の特攻を轟沈で返り討ちにした。そして終に米軍は本土上陸へ向け降伏を勧告しながらヒロシマ・ナガサキに原爆を落とし大日本帝国の息の根を止める。

 作品の冒頭はピカソのゲルニカを映したあと約150時間分の当時のドキュメンタリー映像を小泉監督が数分に厳選した映像が映される。そこには東京大空襲の悲惨な映像から連合軍のベルリン・ハンブルク・ドレスデン大空爆の映像、ヒロシマ・ナガサキの原爆投下、被爆者の惨澹たる映像が映される。

 映画の主人公は監督が15年前から温めていたという「ながい旅」(角川文庫 大岡昇平著)で描かれたB級戦犯で昭和24年に絞首刑にされた第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官親補の岡田 資中将である。作品は岡田中将が横浜裁判で主張した米軍の無差別爆撃の罪を巡る遣り取りを主題化し、米側と争った岡田中将が指示したとされる、撃墜されたものの生き残ったB29の搭乗米兵37人の略式裁判による斬首刑の非道に対する告発をめぐって検察官と弁護士の熾烈な裁判劇が展開される。一部の箇所の演出は時に甘いと感じざるをえなかったが制作上での制約もあったのだろう。しかし作品全体としては基本的な重厚さを持続して観る者に迫る。この裁判シーンは作品としてもっとも力が入っていて見ごたえがある。セットは恐らく当時の状況を綿密にリサーチし拵えたものだろう。日米の俳優たちも主役の藤田まこと、富司純子はじめの熱演・秀演で場の空気がこちらに伝わってくる臨場感を醸し出した。

 それにしても、この映画の緊張とメッセージがあるとするなら戦争の悲惨さを感情的に描くのでなく、無差別爆撃の違法性を問う日米の主張の渡り合いにおいた事であろう。それはベトナム戦争から先のイラク戦争における米軍のアフガニスタン・イラク空爆にまで持続する米国の戦争の違法性と非道である。

 最後のシーンが見事だった。絞首台に向かう岡田中将に付き添う田島教誨師が話しかける。「では、本当にお別れですね」。それに答える岡田中将の言葉と藤田まことの台詞が素晴らしい。それはぜひ劇場で味わっていただくしか伝えられない。「なーに、本当に、ちょっと隣へ行くようなもんですよ」。武人としての責任を取る人間の言葉の重みと悟りのような境地の軽みが見事だ。田島教誨師は真言宗豊山派の僧侶。宗派は異なれど岡田氏の日蓮宗徒として日蓮譲りの胆の据わり方は感嘆するしかない。幽明を分かつ時の会話とは、かくありたいものだとアカショウビンは賛嘆する。岡田中将の法華経信仰への参入は顕本法華宗の僧侶たちとの出会らしい。裁判を「法戦」と見做した岡田中将は、日蓮の幕府への諫言やライバル宗派への激烈な論戦のひそみに習った趣がある。この詳細はネットのhttp://www3.cnet-ta.ne.jp/o/otowatid/p4c3.htmlで知った。

 そこでアカショウビンは、戦争の罪、またいわゆる罪とは何か?と、それは欧米キリスト教文化の圏域の内での問いが我々のような東洋の異教徒には、どのように関わり、共振されるだろうか?という問いを立て考究してみる価値があると思うのである。それは、このブログを始めた頃の2005年6月に読み感想を書いた、ヤスパースが「戦争の罪を問う」(平凡社ライブラリー1998年)で提示した四つの罪に立ち戻って考えてみることでもある。原題は「Die Schuldfrage」。同書の最初の翻訳・出版は「責罪論」(1965年3月 理想社)である。

 ①刑法上の罪②政治上の罪③道徳上の罪④形而上的な罪

 この著作は戦後1945年から1946年の冬学期に行った講義を記録・出版したものだ。最初に「ドイツにおける精神的状況に関する講義の序説」としてヤスパースが戦後の「大学の現状、新たな自由」について話したものである。「(前略)われわれは第二にドイツ人としての問題への道を探求する。われわれはわれわれの現実的な立場をわれわれの精神的な立場の源泉としてはっきり意識にのぼせ、ナチズムの特徴づけを行って、さていかにしてナチズムが可能であったか、いかにして事態がナチズムまで進展したかを問い、最後に罪の問題を論ずる」(同書p39)と講義の論述の骨組みを説明する。そこでヤスパースは「罪の問題」の箇所に注釈を加え、「この最後の、罪の問題に関する節だけを、内容に推敲を加え、講義の形式を取り除いて以下に発表することにした」(p41)と書いた。それがヤスパースの思索・思考・追求する「罪の問題」だ。

 アカショウビンには解題を書かれている福井一光氏のヤスパースとハイデガーの確執の経緯の説明が興味深かったが、それはさておく。

 この書物には戦後ドイツに対する哲学者の真摯な論考が読み取られる。別ブログでは高橋哲哉氏の「靖国問題」やV・E・フランクルの「夜と霧」の書評コミュで若い人たちも参加しアカショウビンも感想を書き込み思索を重ねている。その成果も含めてヤスパースの提示した問いについて更に考察していきたいと思う。

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2010年2月18日 (木)

老いという時間感覚

 老いと称される人生の時に時間感覚は身体の衰えと共に独特の変化をもたらすように思う。世間的には中高年という時を生きる中で長寿を生きた様々な人々の生き方は注視するに値する。

 アカショウビンが若い頃から聴き続けている西洋古典音楽を演奏する長寿を全うした指揮者の演奏を聴くとそれを実感するのである。オットー・クレンペラーというドイツ生まれのユダヤ人指揮者の演奏をアカショウビンは若い頃から聴き続けている。特に晩年のバッハやモーツァルトの録音に親しみレコードやCDで愛聴して厭きない演奏だ。

 暫く廃盤になっていたマーラーの第7交響曲が昨年CDで再発された。埼玉に棲んでいるころCDはなく中古レコードで発見し買い求めた。発売当時からマニアの間では侃々諤々の意見が喋々されていただろう。高名な第2番「復活」や「大地の歌」の録音を聴けばさほどの違和感はないが、第7番は何とも異様な演奏だ。若い頃に聴いたバッハやモーツァルトにはそれを感じなかった。それは重厚で経験を重ねた巨匠のテンポというものだった。しかし「夜の歌」と称された交響曲の演奏は他のマーラー録音に比べても異様で今にも止まりそうなテンポなのだ。それは同じように長寿を全うしたクナッパーツブッシュというドイツ人の指揮者の晩年の演奏にも聴き取られる。俗に言えば人を食った演奏である。しかし、そこには指揮者として老いを生きる人の時間感覚が反映していると察せられる。

 久しぶりに「巨匠」と称された指揮者の晩年の演奏を聴き改めて老いの時間の「面白さ」も考えてみたい衝動に駆られた。中年を過ぎ、それは残された自らの生の時間と共に経験することである。

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2010年2月14日 (日)

「貧しさ」と「精神」

 生活の困窮の中で喘ぎながら窒息してしまわないように右往左往する。これが昨年来のアカショウビンの身過ぎ世過ぎである。そこでアレコレの本や音楽を通し模索、愚考を重ねる。先に読んだハイデガーの「貧しさ」も、その中で立ち止まり立ち戻り再考を重ねばならない論考(講演)である。 

 それはフィリップ・ラクー=ラバルトがハイデガーの「貧しさ」(2007年 藤原書店)でドイツの国民詩人ヘルダーリンとハイデガーを介してマルクスを読み直すことにも繋がる考察であろうからである。ラクー=ラバルトが注釈する深読みというか裏読みとも思える思索に共振してアカショウビンも屋上屋を重ねる愚を恐れるものの一歩を踏み出すことは何か新しい収穫があるかもしれない。

 ハイデガーが1945年のドイツで身近な聴衆に語った意図を探ることは苛烈な時代を生きた有数の思索者、哲学者の豊饒とも孤高とも思われる思考に分け入ることである。異民族の抹殺を踏まえて自民族の世界支配を目論んだナチズムに関わった哲学教師の戦後の思索、考察、論考は再考、再々考に値する。そこでは人類史を俯瞰し有とも存在とも訳される概念を生涯かけて思索した稀有の思考があるからだ。マルクスに深く影響されたと推察されるラクー=ラバルトがユダヤ人という出自を込めて読解を試みるハイデガーというナチと関わった稀有の哲学者の思索に踏み込み述べる晩年の論考は後に続く者たちにとって避けて通れぬ通路である。

 ラクー=ラバルトはハイデガーの「貧しさ」という演題の講演について当時ハイデガーが初期マルクスの論考を読んでいた筈だと推察し「プロレタリアート」という概念との関係性を指摘する。それはハイデガーがキーワードのように使用する「精神」「本来的」という術語に対するリオタールやアドルノの異論、反論とも呼応する。

 ハイデガーは冒頭、ヘルダーリンの次の言葉を引用している。

 我々においては、すべてが精神的なものに集中する。我々は豊かにならんがために貧しくなった。

 そしてギリシア以来の西洋史に於ける「精神は質料の対立項だといわれて」いる〝精神〟の来歴が述べられ、「ロシア・コミュニズムと名づけているものは、ある精神的な世界に由来するのだと、まったく誇張なしに言えるのである」と説く。更に「これは当時の時代情勢に於けるひとつの事実を歴史学的に確認した言葉では決してなく、<存在>そのもののうちに隠された生起の、つまり来るべきもののうちにまで届くはるかな射程をもつ生起の、思索と詩作による命名である」と述べる。(同書p16)

 そしてラクー=ラバルトも指摘している次のハイデガーの独特の考察は熟考しなければならないだろう。

 しかしながら、貧しさの本質はある<存在>のうちに安らっている。真に貧しく<ある>こととは、すなわち我々が、不必要なものを除いては何も欠いていないという仕方で<存在する>ことを言う。

 真に欠いているということは、不必要なものなしには<存在>しえないということである。したがって、まさしく不必要なものによってのみ所持されているということである。

 しかし、不必要なものとは何であろうか。必要なものとは何であろうか。必要であるとはいかなることなのか。必要とされるのは、必要にもとづいて、必要を通じて到来するものである。ではいったい必要とは何なのだろうか。必要の本質は、この語の根本的意義にしたがえば、強制である。喫緊のもの、必要とされるもの、強要するものとは、すなわち強制するものであり、我々の「生」において、生を維持せんとする諸々の欲求を無理やり引き出し、我々をもっぱら、これらの欲求の充足のうちへと押し込めるところの、強制するものである。

 したがって不必要なものとは、必要から到来するものではないもの、すなわち強制からではなく、自由な開かれから到来するものである。(同書p18)

 そして以下の断言に到る西洋人ハイデガーの思索は現在のアカショウビンの生活を介して我々アジア人、東洋人、日本人にも熟考を迫る思索である。

 たとえば飢饉であったり、収量不足の年が続くことが危険なのは、西洋の命運全体とその本来性の観点からするならば、おそらく、多くの人間が生命を失うからなのではけっしてなく、むしろ生き延びる者たちが、生の糧とするものを食べるためにのみ生きているからなのである。そのような「生」は、独自の空虚さにおいて自分自身のまわりを空転する生である。気に留められることもまずはなく、またしばしば自分の問題として引き受けることすらない退屈というかたちで、生、空虚さによって取り囲まれる。こうした空虚さのなかで人間は荒廃する。つまり貧しさの本質を学ぶための道程において、おのれを見失うのである。

 コミュニズムという不適切な名称のもとで、歴史的な世界の命運として切迫してくるものによって、我々が貧しくなることはない。我々は、ただ、我々において精神的なものにすべてが集中するときにのみ、貧しく存在するのだ。(同書p23 「存在する」は読点で強調されている)

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2010年2月10日 (水)

この世の縁

 昨夜の夕刊紙で立松和平氏の訃報を知った。アカショウビンは氏の小説作品の読者ではないけれどもテレビに登場したお姿や栃木訛りの語りには朴訥な人間性を感じ取っていた。「光の雨」という連合赤軍の浅間山荘事件を取材した作品の盗作騒動は少し気になっていた。氏や少し後の我々の世代にとって連合赤軍の浅間山荘事件は一生忘れることの出来ない歴史事実であろうからだ。

 先日は「死へのイデオロギー 日本赤軍派」(パトリシア・スタインホフ著)という著作も読んで当時の記憶を辿り「兵士」達のその後を再確認したばかりだった。晩年は道元についての大作も完成させた。物書きとして心残りはそれほどなかったのではないかとも思う。道元への関心が共通するのは、この世の縁のようにも思う。日本人の平均寿命からすれば早死にであるけれども全共闘世代の鬼籍に入った方々からすれば遅く訪れた憤死のようにも思われる。

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2010年2月 9日 (火)

混沌としての有るもの全体

 先日、高校時代の同級生が亡くなったということを友人から聞いた。半年前に脳梗塞で入院したが回復できなかったようだ。郷里の福岡で葬儀を行ったという。アカショウビンは同じクラスになったこともなく話もしたことがなかった。しかし同窓の者たちの訃報は暫し瞑目するしかない。一人一人現世から去っていくことを自らの身心でどう理解するか?それは宗教的、哲学的、文学的テーマだ。そのような領域のことでなくとも人は心と肉体と精神のすべてを活性化させて死という現象に臨む。死を現象と捉えることの可否はさておく。しかしそれは日常の生活感覚に衝撃をもたらすものである。その程度は各自それぞれといえども経験は誰しも分かち持つ。

 昨年9月に母を失ったアカショウビンも肉親の死は18年前の父の死以来だった。父の葬儀は盛大だったが母の葬儀はひっそりしたものになってしまった。規模はともかく父の葬儀の儀礼的な体裁が過渡にも感じられた葬儀より母のものは身内だけの慎ましいもので母にとっては好かったのではなかったかと思う。縁あった多くの方々にはもう少し早めに連絡しお越し頂ければよかった。しかしアカショウビンの不精で母には申しわけなかったと悔いたけれども。

 火葬が一般的になった現在の国内外の葬儀の形態で人は死ねば焼かれ骨と灰になる。遺体は斎場の装置で処理され骨は砕かれ捨てられたり墓に保管され、灰も処理され捨て去られたり或いは大地や海に撒かれる。故人の生の痕跡は遺族、親戚、友人達の記憶の中に、あるいは遣り取りされた手紙や残された日記や文書に残る。しかし、それらも時が経てば失われる。

 ハイデガーはニーチェの思想・哲学と対決するうえで次のように述べている。

 留保付きでいえば「生」とは根本現実である。すなわち、「我々の全世界は、無数の生きたものの灰である。たとえ生物が全体と比較すればほんのわずかであっても、すべては既に一度生へ転換されたことがあり、またそのように続いていく」(ニーチェ)。

 またニーチェは次のようにも述べていることを引く。

 「我々は、死が生に対立すると言わないように用心しよう。生きているものは死せるものの一種に過ぎない、しかし非常に珍しい種類である」。

 これに対しハイデガーは次のように述べる。

 だが、しかし、このように少なくて稀なものである生きているものが、灰である多数のものにとって、いつも火付け木なのである。(中略)死んだものは生きているものから生じ、それが多数となって再び生きているものを制約する。(中略)「世界」は、我々の計算的悟性が承認するよりも、はるかに謎めいているということである。(『西洋的思考におけるニーチェの形而上学的な根本の立場―等しいものの永遠回帰―』 創文社 p89) 

 ハイデガーはニーチェの「世界の総体―性格は、これに対して、いつまでも永遠に混沌である」(『悦ばしき知識』の断篇)を引用して、「混沌ということで、ここでは、単に乱雑で恣意的な、任意で偶然的な混乱といった表面的な表象が考えられているのではない。有るもの全体を混沌とするこの根本表象は、依然としてよく注意されなければならないものであるが~」と更にニーチェの永遠回帰教説に鋭く踏み込んでいく。

 「混沌としての有るもの全体」は人間たちに根本的な思索を求めてくる。それには死すべき者としての人間が身近な肉親や近親、友人であれば切実である。ここで50歳を過ぎれば~といった感慨に耽ってはいられない。生き抜くためには力を奮い起こさなければならぬ。ハイデガーが説く「人間は未だに能く死んでいない」という洞察を考え抜きたい。そこで思索・考察は観念論に落ち込んだり感傷に耽っている暇などないことは言うまでもない。

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2010年2月 6日 (土)

ケノーシスとは?(続)

 西山氏が伝えるラクー=ラバルトの晩年の講義から推察する彼の考察はルター派の神学をマルクスは政治思想として、ハイデガーは哲学に反映させた、ということである。西山氏が報告している〝ケノーシス〟は晩年のラクー=ラバルトの講義ではマルクスの〝プロレタリアート〟として次のように説明されている。

 まだ到来しないこの人間の現実的状況―なぜいまだ到来していないかというと、それが純粋に喪失しているからだ―に対して、マルクスは、プロテスタント神学の全体(そこにはプロテスタント的な終末論も含まれる)を基礎づけているひとつの神学的カテゴリー、すなわち、ギリシア語を転記して「ケノ-シス」と呼ばれているもののカテゴリーを適用しているように思われる。この語は「空無(vide)」を意味するのだが、同時に能動的な意味で理解しなければならない。タンクや水槽を空にするときにvidage(からっぽにすること)と言うように・・・。ルター以来今日に到るまでの改革派の神学は、神へと適用されたこのケノーシスの概念を中心的な神学素としてきた。受肉すべく完全にみずからをからっぽにした神。しかもこの神は、苦しみ、捨て去られ、死にいたるまでの受肉を被り、貶められる。これこそが神秘であり、啓示である。このように改革派の神学において、受肉は神のケノーシスとみなされる。同様に、マルクスにおいて、プロレタリアートは来たるべき人間のケノーシスと見なされる。このテクスト(「ヘーゲル法哲学批判序説」)の最後の言葉、「ケノーシス」こそが人類の希望、復活の希望である。すこし先回りしてしまったが、これこそがテクストの最後の一文で言われていることなのだ。「あらゆる内的条件が充たされたとき、ドイツの復活の暁(「ドイツ~暁」までには強調の読点が付されている)を、ガリアの鶏の鳴き声が告げ知らせるであろう」。ガリアの鶏の鳴き声の逸話は、ハイネからルーゲを経由してもたらされたものである。ガリアの鶏の鳴き声とは、フランス革命のことであり、ここではフランス革命が、ペテロがキリストを否認したときに鳴いたという鶏の鳴き声に比せられている。キリストはペテロに、「鶏が二度鳴くまでにお前は私を三度否認するだろう」と告げ、実際ペテロはそうしたという―そしてこのことが(逆説的に)キリストの神性を確証しているのである。この出来事は、あらゆる否定性のなかの否定性、絶対的なケノーシスにほかならない。キリストのもっとも忠実な弟子は、師が死にゆこうとしている瞬間に、師を見捨てるのだから・・・。俗っぽい言い方が許されるならば、完全に「からっぽになって」いるのである。しかしまた、まさにここに復活の証明があるのだ。(「貧しさ」 藤原書店 p206~207)

 マルクスの「ヘーゲル法哲学批判序説」は宗教をアヘンとしてプロレタリアートという概念を説明している論考である。そこでマルクスは「では、どこにドイツ解放の積極的な可能性はあるのか?」と問いプロレタリアートの概念を定義している。

 ラクー=ラバルトはマルクスの哲学の可能性をハイデガーを読解しながら「マルクス主義者」という立場から論じようとしているようにも思える。しかしそこにハイデガーのマルクス理解の可能性の微かな希望のようなものを期待している趣もある。それはあるのかどうか。

 ハイデガーはヘルダーリンの「精神たちのコミュニズム」という論考を自らの「貧しさ」と題した講演のなかで意図的にか知らずしてか下敷きにドイツ第三国帝国の崩壊のなかで戦後ドイツにヘルダーリンの政治思想を介して期待を託した、というのがラクー=ラバルトの考察である。ハイデガーは「豊かになるために貧しくある」という逆説の中に初期マルクスを読むことで哲学から現実へ橋渡しする可能性を思索していたのだろうか?それはハイデガーの戦後の思索を読み取ることで考察するしかない。その一端は戦後にハイデガーが指摘したギリシア人たちが解していた〝テクネー(技術)〟という語と概念が特にデカルト以降の近代西洋史のなかで〝工作機構〟として変質し展開された、という言説にも読み取られるだろう。マルクスやハイデガー、ラクー=ラバルトの論説、思索、考察はまたマルクスが生きた1840年代からハイデガーの生きた1945年以降のドイツを経てアカショウビンの生きる現在の日本においても共有される可能性があるように思う。それはルター派の神学の〝ケノーシス〟が仏教で説く〝仏性〟という概念を介してハイデガーやラクー=ラバルトの思索とも響き合うように思えるからだ。それは現在を生きるアカショウビンの思索と生き様を通じて伝え明かし継続される言説である。

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2010年2月 2日 (火)

ケノーシスとは?

 ハイデガーの「貧しさ」を翻訳した西山達也氏は解題でラクー=ラバルトが晩年にストラスブール大学で「マルクスの哲学―改革・批判・革命」の題目で講義したことを伝えている。それは「ルター、カント、ハイデガーを関連づけマルクスとハイネ、ブルーノ・バウアーを精読するものであった」と書いている。

 ヘルダーリンを読むマルクスとヘルダーリンを介してマルクスを読むハイデガーの思索・思考を追わなければならないだろう。ヘルダーリンが当時の政治と深く関わっていたことをハイデガーは知悉して初期マルクスを読み込んでいた。その巧妙とも、したたかとも思えるハイデガーの哲学戦略が透けて見えるようだ。若い頃に影響されたカトリック神学から後年は遥かな地平で思索するハイデガー哲学を〝ケノーシス〟というカトリック神学を通じて論じるラクー=ラバルトの解釈・戦略が興味深い。

 〝ケノーシス〟とは西山氏の説明によれば「キリストの受肉における神性の自己無化と自己放棄の教義を説明するために用いられる語である」。そして次のように氏は続ける。

 そこで言い表された能動的な自己無化は、きわめて逆説的(「逆説的」に氏は読点を付け強調している)な状況である。なぜならイエスの十字架上の死という究極の「自己無化」には「復活」がつづくわけであるが、しかしながらそれは復活のための(「のための」にも氏は読点を付けている)無化であってはならないし、自己無化が、自己性そのものを保証するために遂行されてはならないからである。このケノーシスの論理をラクー=ラバルトは刊行された著作や論考ではほとんど説明していない。だがこのことは、「ケノーシス」の神学素がラクー=ラバルト哲学を暗黙のうちに貫くひとつの筋であったという解釈を妨げるものでもない。(同書p205)

 ラクー=ラバルトがフランス国籍のユダヤ人として旧約・新約を介して思索・思考している姿が垣間見えるようだ。西山氏の解釈もハイデガー読解の新たな視角を開いている。さらにヘーゲル、マルクスを介してハイデガーの全貌に辿り着ければよいのだが道のりは遠そうだ。

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