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2010年1月15日 (金)

未明の妙音

 ここ数年というか10年近くだろうか、音楽に集中するときは未明から夜明け頃というのが習性のようになっている。加齢と老いに向かうと多くの諸翁、諸もそうであるかもしれないが早起きになる。午前4時か5時頃には自然に眼が覚めるのである。しかし若い頃も深夜放送を聴いて音楽の霊力とでもいう力に震撼させられたのは深夜から未明、夜明けの頃だったかもしれない。若い頃も馬齢を重ねても自らの非力と非才に落ち込む時は躁鬱病のように襲来する。年齢を問わず生きる力が萎え衰えていると無力感に支配される。何度か記したけれども、二十歳前後に聴いたシゲティというハンガリー生まれのヴァイオリニストの弾くバッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」を聴いて心が震えた。一丁の楽器の音に揺さぶられ励起され、力が身体の奥から精神の奥底から漲ってきたことを今も忘れることはない。木彫りのバッハ、とアカショウビンはその音楽を了知した。その時にアカショウビンという存在は確かに音楽の力に救われたのである。ヨーゼフ・シゲティという存在はフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、エリー・ナイといった指揮者、ピアニストの録音と共にアカショウビンにとっては隔絶した孤高の音楽家なのである。

 眠られないままにレコードをプレーヤーに載せた。シゲティの奏でる1947年録音のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲である。ブルーノ・ワルターがニューヨーク・フィルで伴奏する。ワルターの曖昧さのない毅然とした伴奏とシゲティの音が何と奥深く霊妙な響きを奏でることか。カデンツァはシゲティの出世の機会を与えてくれた師とも言うべきヨアヒムのもの。かつて聴いたバッハが甦る思いだ。2楽章のラルゲットの何という深みか。精神に染み入っていく思いである。二人の名匠の貴重な録音に励起された。音楽の力とは熱狂や美しさと崇高さだけでなく勁草のようにしなやかで馥郁とした豊饒な力をも秘めている。久しぶりに浸る未明の妙音であった。                

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