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2010年1月18日 (月)

或る友人の手紙

先日、引っ越しの段ボールを開梱すると亡くなった友人からの手紙が出てきた。懐かしくなり、友人を偲び書き留めておく。

2002年の5月、僕は雪舟展を観ることが出来た。この500年前の画家の作品は見事としかいいようがない。ここにその感想を書き記しておこう。

会場には雪舟が学んだ宋代の画家、夏珪(シャ・フゥイ)の作品も展示されていた。彼の水墨画には了庵桂悟の賛が記されている。正確ではないだろうが、画中には次の文字が見える。

火煙(異字)村帰渡

漁笛清幽

煙堤晩泊

展示されていた2巾は絶品だ。雪舟の「秋冬山水図」の渋みに「明るさ」が加わった趣とでもいえばよいだろうか。特に目録の95番は際立って見事だ。夏珪の一品は、渋み、滋味が底の深さを湛えている。正に神韻渺。その地の色は紙質によるものか、渋さと深みは画家の意図通りの狙いなのか?

雪舟は明で画かれたとされる作品より帰ってから画かれたとされるもののほうが良い。

夏珪の画風に倣い、あるいはそれを超えているとさえ僕には思われる。その中では、冬が僕の好みだ。岡本太郎が雪舟は「芸術家ではない」と主張していた。しかし絵描きが眼で視、知と五感で画布に、その像を定着させる芸を持つ者だとすると、雪舟はやはり芸術家だと言うべきだろう。

岡本が嫌うのは、おそらく、その構図における「安定感」といったものなのだろう。或る場合、美は破調にあると言う人もあるのだから。

 アカショウビン君、僕は、ここ新潟の中権寺という地区にある道路沿いの小さな店で昼定食を食べて、この君への手紙を書いているのだけれども、これがなかなか、おいしいのだ。窓からは緑青色に苔むしたような角度の深い屋根をもつ寺が見える。

 客は女性グループが多いことからも人気のある店と思われ、僕は仕事でここへ来た時は出来るだけ立ち寄ることにしている。師走のどさ回りの最中に、ここで供される食事は、僕には女房の手料理のように心温まる家庭料理風で嬉しいのだ。

 女達の華やかな笑い声とさんざめきも僕を落ち着かせる。

 君が、僕がこの世からいなくなった後に、この店を訪れることがあったら、寺が見える、この席に座って、しばし僕の事を思い出してくれ給え。

 きょうのメニューは昆布を細かく切った炒めものをオカズに、細麺のうどん、胡瓜の三杯酢、それにシバ漬、味噌汁だ。レンタカーで慌しく仕事先を駆けずり回る最中のこの空間と食事に僕は一息つく。

 そこで読む新聞や週刊誌には君の好きな将棋の羽生がカド番に追い込まれたという記事や、隣国の大統領選の結果や、拉致された人達が彼の国には戻らない覚悟を決めた、といった記事が掲載されている。

 うどんの薄味は関西の薄味と違って僕には物足らないが、オカズや量が僕には美味しく適量だから文句はない。

 お茶の銘柄はわからないが、高名な寺で出されたら、ありがたく頂けるような味わいがあって、これまた好もしいのだ。

 食事の最後は僕の習慣でお茶漬けになる。きょうは美味しいシバ漬を一緒に貴重な昼食を頂いたのだよ。この世で、あと何回食べられるかわからない貴重な食事を僕に供してくれた店と機会に感謝しよう。天の采配があるとすれば天にも感謝したい気分だ。

 食事が終わり、次の仕事に出るまで空いた時間を僕は再び新聞や週刊誌に目を落とす。すると、そこには今年亡くなったタレントや女優、俳優、プロ野球選手、政治家達の生前の元気な姿が載っている。54歳で亡くなった女優や58歳で亡くなったアナウンサーは、僕が若い頃に見聞きした人たちで、彼らの死は他人事ではない、と僕は感懐に耽るのだ。

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