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2010年1月15日 (金)

深夜の妙音再び

 昨夜、レンタルDVDで「夜叉」(1985年 降旗康男監督)を何年ぶりかで観直した。秀作だ。高倉 健(以下、敬称は略させて頂く)という俳優が風格と威厳を備えて中年を迎えた姿が留められている。若き田中裕子、いしだあゆみの熱演が可憐。それぞれの過去を背負った男と女の切なさが、若い頃からすると歳をとり格段と円熟していく高倉 健という俳優を軸に出演者たちの熱演、秀演で佳作に仕上げられているのがよくわかった。木村大作の詩情溢れるキャメラが素晴らしい。乙羽信子、奈良岡朋子、大滝秀治の名優たちが脇を固めている。若き壇 ふみ、ビートたけしの姿も見られる。

 ここで高倉 健という稀代の名優論も紡ぎたいが、それはいずれ。書いておきたいのは別のことである。

 DVDを観終わって床に就き、深夜目覚めるとラジオでダミアの「人の気も知らないで」が流れているではないか。あの暗い闇のなかから呻くように搾り出される声が懐かしい。アカショウビンが聴いた幾つかのシャンソンの中でピアフの幾つかの曲とダミアの「かもめ」は同等の声と重みを担ってかつて聴いた。その後はバルバラという彼女達の後輩の研ぎ澄まされた刃の如き声にも深い響きを聴いた。

 ダミアが同曲を世に出したのは1931年という。日本では7年後に淡谷のり子が歌ったらしい。アカショウビンは、この曲をリュシエンヌ・ボワイエでも聴いた。こちらのほうが曲想はともかくすっきりと聴ける。しかし味があるのはダミアである。繰り返し聴いたレコードは友人達に売り払った。しかし曲を耳にすれば聴いた頃の記憶と共に心が震え共振する。

 ダミアを聴いて眠りに入り再び目覚めると今度は独特のかん高い声で小林 旭が歌っているではないか。アカショウビンはムード歌謡と称されて日本歌謡界を牛耳った石原裕次郎より破天荒な高音を響かせる小林 旭の声を楽しむ者である。日本歌謡史に刻まれる昭和36年の「北帰行」を新たに録音し直したという曲は北海道・十勝地区での地震情報で途切れたのは残念。しかし昭和60年の「熱き心に」が久しぶりに聴けた。「北帰行」から24年、俳優・小林 旭はスクリーンよりも歌手として記憶に残り甦る。名作「北へ」(1977年)はカラオケでよく歌った。

 ダミアの声と曲は「夜叉」に登場する男や女たちの心を映すようで不思議な効果を醸しだした。海縁にへばりつくように連なる家々に雪の降りしきる敦賀の冬の情景を捉えたキャメラが素晴らしい。その裏では「北帰行」「北へ」といった歌に満ちている「北国」への思い入れの気分が響きあい実に深夜の妙音としてアカショウビンに到来した。

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