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2009年12月19日 (土)

今年の第九②

 この作品が極東の島国で歳末に恒例の如く演奏される現象に対する違和感はともかく作品の様々な演奏に接するたびにアレコレ感想をもつというところを少し述べてみる。

 ワーグナーの「ニーベルンクの指環」の第4話は「神々の黄昏」である。そこで英雄ジークフリートが殺され葬送される。その楽句には第九の4楽章の一部が引用され展開されているのではないか、と両者を口ずさみながら思ったのだ。ワーグナーは第九をはじめベートーヴェン作品を詳細に研究している。あの偉大な楽聖のあとに新たな音楽を創造することはブラームスならずともマトモな音楽家なら相当の覚悟がいることであろう。

 ワーグナーの作品を聴けばニーチェにも言及しなければならないだろう。ワーグナーに心酔し終には決別した哲学者の論説はワーグナーの音楽と呼応・共振している。哲学者の説く超人と永遠回帰の教説はワーグナーやベートーヴェンの音楽と無縁ではない。

 アカショウビンはベートーヴェンの人間への崇高な肯定思想とワーグナーの楽劇の悲劇思想をハイデガーのニーチェ講義を読みながらに面白く想像するのだ。それは音楽に於ける形而上学とでもいうものである。ハイデガーは「芸術」は有(存在する)に於ける形而上学と解している。その指摘・論説は更に追求してみるつもりだ。それはワーグナーの「美観」を介しての西洋に於ける悲劇の解釈に関する実に面白い思考・考察が展開されているからだ。

 それはともかく、本日は先日のルツェルン盤に続き衝動的にフルトヴェングラーの1942年のベルリン・フィル盤を取り出し聴いた。ルツェルン盤やバイロイト盤とはまったく異なる切迫感は戦時の緊張感によるものとも思われる。手兵オーケストラとドイツ国民がそこにいることを想像すれば国家存亡の時に偉大な楽聖の音楽に託す指揮者とオーケストラ、聴衆の思いは、この録音から些かなりとも聴き取る事は出来そうな気がするのは幻聴だろうか?

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コメント

バイロイトの様な神秘性は無いものの
戦時中のライブは恐しい程の緊張感と集中力が有って 茫然とするしかない感じ?(笑)


あと
毎度同じ事を書きますが
旧フィルハーモニー ホールの少し堅い残響がドイツ的な感じで好きです。


投稿: snokey.F.164 | 2009年12月20日 (日) 午後 07時12分

 >戦時中のライブは恐しい程の緊張感と集中力が有って 茫然とするしかない感じ?

 ★実にその通りですね。

 >旧フィルハーモニー ホールの少し堅い残響がドイツ的な感じで好きです。

 ★私にはそこまでの判別はできませんが、旧ホールは19世紀的な構造が反映されていたのかもしれませんね。

投稿: アカショウビン | 2009年12月20日 (日) 午後 07時54分

う~ん
少し誇張し過ぎたか?
しかし
かなり残響は長かったみたいですね。
第九では判り難いですがブラームス交響曲一番の四楽章では演奏が終って拍手まで間が随分有るので多少は判るかも知れない?(笑)


戦時中のライブ盤は揃えたいとは思いますが なかなか(笑)


投稿: snokey.F.164 | 2009年12月20日 (日) 午後 10時18分

 >戦時中のライブ盤は揃えたいとは思いますが なかなか

 ★私も全部揃えているわけではありませんが今回の第九に関しては、その違いを実に痛烈に聴きました。

投稿: アカショウビン | 2009年12月21日 (月) 午前 02時18分

フルトヴェングラーでは
37年イギリスでのライブ。

SPレコード?からの復刻で音は良く無いかも知れないが演奏は凄いらしいです。


投稿: snokey.F.164 | 2009年12月21日 (月) 午後 10時34分

 >フルトヴェングラーでは37年イギリスでのライブ。

 ★それは未聴ですので聴いてみたいですね。

投稿: アカショウビン | 2009年12月22日 (火) 午前 06時54分

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