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2009年12月13日 (日)

モ・クシュラ

 クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)という名前がアナグラムでOld West Action「懐かしい西部劇」と読めることはウィキペディアのC・イーストウッドの説明で初めて知った。そこには黒澤 明の「夢」がカンヌの国際映画祭で上映されたときにC・イーストウッドが会場に到着した黒澤に、突然群衆の中から現れ「ミスタークロサワ」と言いながらほおにキスをし、「あなたがいなかったら、今の私はなかった」と感謝の言葉を告げた、という逸話も紹介されている。いい話である。マカロニ・ウェスタンと米国では蔑称の意味も込められていたであろう作品で新たな俳優人生を過ごし、監督として世界に再登場した男の心温まる逸話を言祝ぐ気持に満たされた。

 最近、ぜひ観たいという新作がない。借りるのは往年の作品ばかりである。そこで昨夜、衝動的に「ミリオンダラー・ベイビー」を観直した。何という深みに溢れた作品であることか。田舎の中学生を熱狂させた西部劇俳優が年老いて到達した境地に愕然とする。近年のC・イーストウッド作品では傑出した作品である。それは恐らく近作の「父親たちの星条旗」や「硫黄島からの手紙」、最新作の「グラン・トリノ」を凌ぐ傑作、と確信する。この深みとは何か?と問いたくなる作品である。「モ・クシュラ」というアイルランドのゲール語の意味がこの物語の最後に明かされる。その脚本の重みと含蓄に打たれる。

 それは人間という生き物の生き様であり死に方である。ボクシングという見世物に、これほどの意味を充填できる才覚の見事さと崇高に感嘆する。そこには、かつて東洋の娯楽作品を翻案した作品で一世を風靡しスターにのし上がった俳優が監督として到達した未踏の境地とでもいうものが映像化されている。そこには凡百の映像作品の中で傑出する燻し銀のような光と影が刻まれていると驚嘆する。

 老監督の敬意に触発されて次は「用心棒」と「七人の侍」を観直してみよう。

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