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2009年11月25日 (水)

真昼の太陽

 仕事中にぼんやりと空を見上げると中天の太陽が眩しく輝く。小春日の温かさが心地よい。雨上がりの午前から正午への陽の輝きはニーチェの真昼を想起させる。山茶花の白い花が夜来の雨の雫の重さに堪えかねてハラリと地に落ちる。

 三島の苛烈で過激な死に方と花びらの落下はどのように関連付けられるか妄想も涌く。小春日の住宅街の動くものといえば初老の小柄な男が植木を整える姿。聞こえる音は道路工事のミキサー車のブンブンと地に響く単調な音。働き盛りの男達は会社で留守なのであろう、若い母親は幼児を自転車に乗せて颯爽と走り過ぎる。オバハンたちは世間話に時を忘れ打ち興じる。

 三島が突入し腹掻っ切った日の空はどんなだったろうか。空を見上げることもあっただろうか。人間の生き死にの苛烈さに悄然とする。9月の母の死は穏やかで慎ましい死に方だった。人の生き死にに思いを新たにする。

 『憂国』で三島は乃木大将の死を辿り武人で忠誠者の死の如何なるものかを思索したに違いない。そこでは「天皇」という存在への三島流の理解と接近の仕方が硬直した理路として作品化された。その硬直を批判することは容易い。しかし「豊饒の海」の奔馬巻を通して恐らく自らの考えと生き方に整合性を形作るように三島は行動で行為した。この最後の作品には仏教で説く輪廻転生譚も展開され三島の思索の跡を読み取ることも出来る。

 しかし論壇や文壇で喋々された言説の過程で三島由紀夫という小説家で一人の個性は戦後という時空への憤りと違和を嘲笑を浴びながら明晰な頭脳は恐らくそれを読み込んだうえで自裁という形で実行に移した。その過激を毎年振り返るのだが、そこに三島流の「悲劇」は演出されているのかもしれない。悲劇を保田與重郎は「人のこころといのちの相に原因して悲劇は生れる」と解した。それであれば三島の死は自ら決行した悲劇かもしれない。

 江藤 淳が小林秀雄と対談したときに「三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものなんじゃないですか」と話し小林はそれを否定する。江藤は「じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう」と語る。小林秀雄は「三島事件」を「日本的事件」として松蔭の行動と結末と同様に理解している。江藤が「三島事件は非常に合理的、かつ人工的な感じが強くて、今にいたるまでリアリティが感じられません。吉田松陰とはだいぶちがうと思います。たいした歴史の事件だなどとは思えない。いわんや歴史を進展させているなどとはまったく思えませんね」と主張する。これに小林は異を述べる。

 ネットを散見しているとアンチ三島の多くの感想は江藤の述べるところと同意である。しかしアカショウビンは小林の直感とも見える納得の仕方に共感した。あの禍々しい「事件」を病気とか老年という理解・解釈の仕方に強烈な違和を感じた。この対談で三島の話は部分的なことであるけれども。

 三島が全共闘との闘論で突きつけた質問事項も再考しよう。39年目の大阪での一日はのっぺりとまったりと過ぎたけれども。

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2009年11月19日 (木)

回るか巡るか

 以前、職場の同僚が回転寿司のことを回る寿司ではなく巡る寿司だと言い張ったことがあった。なるほど、回るより巡るのほうがあの光景には妥当かもしれないと感心した。確かに回転という語で示される現象は或る物体がくるくる回る現象を指すように思われる。「回転寿司」という名称自体が曖昧なのかもしれない。

 そのような事をアレコレ考えたのは、先日ふと中島みゆきの「時代」という歌が口をついて出てきて、あれ?あの歌詞は「回る」だったか「巡る」だったか不安になったからである。アカショウビンは「時代」を初めて聴いたとき、これはニーチェの説く永遠回帰を中島流に翻案したものではないかと愚考した。以来、中島みゆきという歌い手には一目置いてきた。それは誤解というか錯覚というものだろう。中島(以下、畏れ多いことだが敬称は略させて頂く)がニーチェを読んでいるのかどうか詳らかにしないが、まぁ、それはどうでもよい。

 「時代」は好い歌である。かつて中島はインタビューに答えて「私の曲は鍋、窯のようなもの」と語ったことがある。それは面白い、さすが中島みゆきだ、と感心した。あれは決してノスタルジーを表現した作品ではない。口をついて出てきたのは雨のなかで「労働」をしていた時である。そうか、これは労働歌なのだ、と得心した。労働歌とは憂さをはらし、日々の辛い単調な労働に歌で変化を加味しようとする人々の智慧のようなものではないだろうか。黒澤 明の「七人の侍」のラストシーンあたりで農民たちが田植えをしながら歌を歌う場面がある。あれは労働歌の一つの型だろうが「ソーラン節」などの民謡に歌われるのが労働歌なのであろう。中島が鍋、窯の如きものというのは、それとは異なる自作批評だろうが、アカショウビンには自らの労働の憂さをはらし歌で変化を与える効果をもたらした曲として「時代」を労働歌と解釈し腑に落ちたのである。まぁ、それも誤解で錯覚であろう。しかし、それでよいではないか。中島みゆきという同世代の歌手をもったアカショウビンは幸せである。困窮と窮迫に真綿で首を絞められるような気分に落ち込むときに、まるで観音か弥勒のように救いの手を差しのべる。或る歌手を菩薩と言った輩がいたがアカショウビンにとっては中島みゆきこそ菩薩である。鍋、窯の如きもの、と自らの作品を批評する我らが歌姫に畏れいる。先日は国家から褒美をもらったらしい。新聞で読んだコメントのはしゃぎようが中島らしい。それはそれでいいのだ。ファンは作品を享受し楽しめばよい。

 ところで「時代」の歌詞は「回る」であった。さきほどネットで確認した。若かりし歌姫の姿も拝顔した。昨今はテレビCMにもご出演されている。お歳を重ねられ、ますますお美しくなられて悦ばしい。しかし時代は果たして回るのであろうか?「時代」ではないが歴史は繰り返す、とも言われる。おそらく「時代」と「歴史」は関連する術語である。この断言についてアカショウビンは同意しない。歴史は常に生成するものとして人間に現れると愚考するからである。では「巡る」かと言うとそうでもないように思う。しかしニーチェの言う「等しきもの」と近似したものとして現れるようにも思う。その微妙な差異は熟考するに足る深淵が有るのではないか?

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2009年11月 8日 (日)

悲劇と文学

先日、保田與重郎とハイデガーを引き合いに出したので久しぶりにハイデガーの思索について少し考えていこう。保田の文学観や歴史観と共鳴・反発・反響するものとしては保田に愛憎なかばした三島由紀夫の「美学」も関連してくる。戦後に戦前・戦中の著作について占領軍からも左翼からも執拗な攻撃を受けても自説を曲げなかった保田に、「保田さんは自殺するべきだった」と難詰した三島の生き様と死に様は自らの行為で反意を示した。

保田も若い頃に読んだであろうハイデガーはニーチェと対決する決意でニーチェ哲学の根本思想を把握するべく「等しいものの永遠回帰の教説」の理解へと踏み込む。以下は著作からの抜粋。

現実的な理解を獲得するためには、何が眼前にあるのかを知りつつ支配するということが前提条件になる。この際に再びまず問われなければならないのは、何をニーチェ自身が伝達したのか、そして何よりも伝達がどのようにおこなわれたのか、である。

最初の伝達は、1882年の「悦ばしき知識」の結びの最後の断篇にある。「最大の重し」という標題が付いている。この断篇にはさらに、「悲劇ガ始マル」という標題の付いた結論部分が付け加えられている。その内容が、翌年にそのままの形で「ツァラトゥストラはかく語りき」という作品の冒頭になっている。

この作品-全体として-は、等しいものの永遠回帰という思想の第二の伝達である。したがって「悦ばしき知識」の結びにおいて既に、これら両作品の内的関連が示唆されている。

その連関は決して直ぐには見て取れない。それゆえに我々は問う、ここで悲劇とは何を意味するか。ニーチェは悲劇的なものをどう理解しているか。

道徳的にではなく、「美観的に」である。しかしそれは、芸術についてのニーチェの意味と理解における「美観的」ということであり-形而上学ということ、すなわち、有るものそのもの全体に関係付けられているということである。悲劇的なものとは、有るものの極端な諸対立の共存や共属であり、最高の希望と最深の苦悩、幸福と不幸、創造と破壊が一体を成していることである。「西洋的思考におけるニーチェの形而上学的な根本の立場-等しいものの永遠回帰-」(創文社版p226)。

保田が人麻呂や芭蕉に読み取る「慟哭」は保田も親炙しただろうニーチェの言う「悲劇」とどのように照応するか検証すべきだろう。保田に愛憎なかばした三島も創作の過程で「悲劇」には常に心配りした筈だ。ネット空間では三島への愛憎を散見している。静かに老いた保田に比べ派手な発言と苛烈な死に方をした三島では対照的な生き方のように見えるが底で通じているようにも見える「思想」には決定的な異同があるとも思われる。保田の古代日本を探索するが如き著作を辿っていると、それを痛感するのだ。

 

11月25日に向けて左右両翼の議論も喧しくなるだろう。『憂国』や『英霊の聲』

など三島作品への違和と賛同も仮想空間で喋々されている。先日の毎日新聞の書籍広告には、元盾の会班長、本多 清氏の新著も出ていた。アカショウビンは三島の神格化は御免被るが、作品と「思想」については未だに触発される者である。

ハイデガーはニーチェの「美観」を通してニーチェ哲学に肉薄する。そこで三島の「美学」についても保田の美意識と共に再考、再々考していきたい。

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2009年11月 6日 (金)

音楽の愉悦

 何というオーケストラだろう。9月17日のウィーン・フィル来日演奏の様子をテレビで聴いた。素晴らしい演奏会だったようにアカショウビンは楽しんだ。しかしながら、その日は、母が此の世と幽明を分かつ状態で葛藤していた日である。アカショウビンも病院に泊り込み母の最期に備えていた。その日に、こんな演奏会が開かれていて後日録画で見る。何と奇妙で不思議な体験だろう。

 それはともかく。メータも白いものが目立つ歳になった。しかし額の深い皺と共に若い頃の美男がヘレニズム期のお釈迦さんの像のような風格を醸し出している。メンバーも音楽する悦びに満ち溢れている。バルトークの「管弦楽のための協奏曲」のコンサートマスターは小柄な魅力溢れる美しい女性だ。ファゴットも女性。以前の男だけのオーケストラに華やぎが添えられ団員も渾然一体のアンサンブルが素晴らしい。続くベートーヴェンの第7交響曲は正にリズムの饗宴だ。久しぶりに心躍る7番を聴いた。アンコールのウィンナ・ワルツの楽しいこと!メータの素晴らしいドライブでロールスロイスがスポーツカーのように疾駆するようだ。我等が音楽の自信と悦びの愉悦が伝わる。

 続いてトン・コープマンのバッハだ。

 中学時代に「誓いのフーガ」というタイトルでポップスに編曲されて繰り返し聴いた小ト短調も久しぶりに聴いた。この世に棲む日々は苦渋にも陥るが、このような音楽の愉悦に出会うことでもある。困窮の生活の中でこそ音楽の悦びは身に沁みるのかもしれぬ。窮迫の中で束の間の見事な音楽に浸れた幸いを言祝ぎたい。

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