真昼の太陽
仕事中にぼんやりと空を見上げると中天の太陽が眩しく輝く。小春日の温かさが心地よい。雨上がりの午前から正午への陽の輝きはニーチェの真昼を想起させる。山茶花の白い花が夜来の雨の雫の重さに堪えかねてハラリと地に落ちる。
三島の苛烈で過激な死に方と花びらの落下はどのように関連付けられるか妄想も涌く。小春日の住宅街の動くものといえば初老の小柄な男が植木を整える姿。聞こえる音は道路工事のミキサー車のブンブンと地に響く単調な音。働き盛りの男達は会社で留守なのであろう、若い母親は幼児を自転車に乗せて颯爽と走り過ぎる。オバハンたちは世間話に時を忘れ打ち興じる。
三島が突入し腹掻っ切った日の空はどんなだったろうか。空を見上げることもあっただろうか。人間の生き死にの苛烈さに悄然とする。9月の母の死は穏やかで慎ましい死に方だった。人の生き死にに思いを新たにする。
『憂国』で三島は乃木大将の死を辿り武人で忠誠者の死の如何なるものかを思索したに違いない。そこでは「天皇」という存在への三島流の理解と接近の仕方が硬直した理路として作品化された。その硬直を批判することは容易い。しかし「豊饒の海」の奔馬巻を通して恐らく自らの考えと生き方に整合性を形作るように三島は行動で行為した。この最後の作品には仏教で説く輪廻転生譚も展開され三島の思索の跡を読み取ることも出来る。
しかし論壇や文壇で喋々された言説の過程で三島由紀夫という小説家で一人の個性は戦後という時空への憤りと違和を嘲笑を浴びながら明晰な頭脳は恐らくそれを読み込んだうえで自裁という形で実行に移した。その過激を毎年振り返るのだが、そこに三島流の「悲劇」は演出されているのかもしれない。悲劇を保田與重郎は「人のこころといのちの相に原因して悲劇は生れる」と解した。それであれば三島の死は自ら決行した悲劇かもしれない。
江藤 淳が小林秀雄と対談したときに「三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものなんじゃないですか」と話し小林はそれを否定する。江藤は「じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう」と語る。小林秀雄は「三島事件」を「日本的事件」として松蔭の行動と結末と同様に理解している。江藤が「三島事件は非常に合理的、かつ人工的な感じが強くて、今にいたるまでリアリティが感じられません。吉田松陰とはだいぶちがうと思います。たいした歴史の事件だなどとは思えない。いわんや歴史を進展させているなどとはまったく思えませんね」と主張する。これに小林は異を述べる。
ネットを散見しているとアンチ三島の多くの感想は江藤の述べるところと同意である。しかしアカショウビンは小林の直感とも見える納得の仕方に共感した。あの禍々しい「事件」を病気とか老年という理解・解釈の仕方に強烈な違和を感じた。この対談で三島の話は部分的なことであるけれども。
三島が全共闘との闘論で突きつけた質問事項も再考しよう。39年目の大阪での一日はのっぺりとまったりと過ぎたけれども。
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