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2009年9月 1日 (火)

夜明け前のオリオン

 東の空が白み始める前の夜空にはオリオン座が姿を現し始めている。もう、9月なのだ。夏が往き、秋の予感は朝夕の風が伝える。茂吉の「朝ゆふは やうやく寒し 上山の 旅のやどりに 山の夢みつ」という歌も想い起こされる。仕事で定期的に訪れていた山形の米沢駅近くに歌碑がある。夏は山々の緑が眼を和ませるが、冬に福島で新幹線が切り離され「つばさ」が米沢に向かうと景色は一変する。その異世界への分け入りとも思える変化は人を寡黙にさせる。その実に心の奥の記憶を掻き立てるような、人間の存在とは隔絶した自然の姿は凄絶とも美とも思われた。人もまたこの世での終わりを凄絶に生きる。

 老いて病む母の余命は幾ばくもない。死は静かに82年の女の生涯に幕を閉じさせようと心身を領し始めている。絞りだす声は擦れていても意識は澄明だ。しかし骨の浮き出た腕は僅かばかりの肉が老いと病の苛酷を剥き出しにしている。かつては豊かだった胸も薄くなり腹は手術の跡を示して痛々しい。それでも表情は優しげに、かすれた声で医師や看護する方々に感謝の意を伝える。母よ、あなたは十分に生きた。近いうちに幽明が私たちを隔てる。しかし、あなたは私や弟や近親の人々、老若の友人たちの記憶のなかで時に想い起こされ語りかけるだろう。

 若いあなたが子供達に注いだ愛情は掛け替えのないものだ。共に生きた今生の時はどれほどの果実となって世に残るのだろうか?それは、ささやかであっても冥土の土産は後で届けよう。アカショウビンが中学生の頃に夢中になった天体の煌く星座は今夜も空に昇っている。その姿は今の病床からは観ることができないけれども、子は異郷の大地で少年時代に帰ったように夜空に観惚れる。私たちは今はともかく実に楽しい時を過ごした。肉体は滅びても、その貴重な時は記憶の中で甦り、残された者たちを菩薩のような微笑みで励まし、視守ってくれるにちがいない。アカショウビンが真冬の夜空にオリオン座を見上げるとき、既にあなたは閉じられた幕の中で静かに彼方へと去っているだろう。しかし、アカショウビンの記憶と精神に存在する、あなたの声と姿は時に鮮やかに立ち上がり、何事かを呼びかける筈だ。その声と姿を聴き見る時を楽しみにしよう。

 中世の仏者は言う。

 灰は灰の法位に住して、のちありさきあり。かのたき木、はいとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法の定まれるならひなり。このゆへに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。このゆへに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。

 17歳で敵戦闘機の襲撃を受け小さな船の中で殺されかけた娘は戦後を生き延び、結婚し二人の子も産み育て82年間の生涯を終えようとしている。仏教では霊魂は存在しないと説く。「生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり」である。宇宙の一角の太陽系の微小な惑星で人や生き物は生き死ぬ。その宇宙史の中にアカショウビンは親子の記憶を声で呼びかけ文字で刻んでいく。そのささやかな行為は、この世に棲む間の義務のようなものと心得るからだ。

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コメント

ー冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。


2005年以来書いていらっしゃるアカショウビンさんのこのブログのなかで、一番震撼した日記『詞章』です。

題名も、切り出しの入り方も、如何に膨らませるかも、帰結のもって生き方も。

アカショウビンさんの造詣、思索の深さとその表現の見事さに。
益々恐れ入ります。

掛け替えの無いお母様の末期のご看病が、如何にアカショウビンさんを透明に深遠に導いていくものかが感じられて、なんと申して良いのやら、辛くもあり、また羨ましくもあります。


ー水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も弥天(みてん)も、くさの露にもやどり、一滴(いつてい)の水にもやどる。

これにも感じます。

投稿: 若生のり子 | 2009年9月 3日 (木) 午前 11時02分

 若生さん、過分のコメントありがとうございます。

 >水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も弥天(みてん)も、くさの露にもやどり、一滴(いつてい)の水にもやどる。

 ★「ひろくおほきなるひかり」とは釈迦の悟った境地が人々の内に宿るとされる仏性と照らしあう光景とも思われます。この「現成公按」の数節に私は道元の達した境地を直感します。
 母の肉体は疲弊し衰弱していますが、私の冗談には朗らかに笑いもします。それは正にアッケラカンとして嬉しくもなります。落語を聞きたい、と言うので近いうちに持参し聞かせてあげようと思います。笑いながら送れれば以て瞑すべしとも思います。

投稿: アカショウビン | 2009年9月 4日 (金) 午前 05時57分

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