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2009年9月29日 (火)

月下美人

 たまたまラジオの電源を入れたらNHKの「ラジオ深夜便」で、きょうの花言葉は「月下美人の~」とアナウンサーが話している。ネットであれこれ探すと「ただ一度の~」とか「儚い恋」などと出てきた。花言葉は8月23日という書き込みもあった。9月29日の本日に、それを伝えるということは旧暦によるのか不詳であるけれども、それはさておく。

 子供の頃に家族や親戚、ご近所の方々もいたであろうか、父がカメラで撮るというので生まれて初めて開花に付き合わされたことを想い出す。そのときは当然、母もいたであろう。愚息が言うのもなんであるけれども、母は人から美人と誉めそやされた女だった。浮気癖のある父は母をヨイショして自分の所業を謝罪しようと画策したのかもしれぬ。今、その時を想い起こせば、家族の他に誰がそこに居合わせたか定かでないが、夜中に美しく咲いた花の美しさと香りは微かに残っているようにも錯覚する。

 母の不在と非在は、悲在とも不眠の夜に臨在ともなって経験されるのが不思議だ。

 ネットを散見していると、道元の「生死」の文章を久しぶりに眼にした。これは岩波(日本思想体系 道元 上下二巻 1970年) の寺田 透、水野弥穂子校注の「正法眼蔵」75巻本には収められていないが、水野さん校注による文庫本(全4巻の第4巻 1993年)で読める。母の死を心に納め弔うには熟慮しなければならない思索だ。

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コメント

月下美人は、向こうに行く前までは、毎年たくさん香のいい美しい花を楽しんでいました。
大切に育てていましたので、軒下までの大きさになり、誇張じゃなく40~50の花をつけました。
それはそれは見事でした。
大体6月ごろから咲きだしましたが、年により10月頃に二度咲きすることもあって、その時は、朝まで窄まず咲き続けていました。
朝起きて、その花を認めたときは、愛おしさが増して、『朝まで頑張って咲いていてくれたのね』とうれしさのあまり抱き締めたくなりました。
挿し木でドンドン増えますので、花の好きな友人達に差し上げました。

<母の不在と非在は、悲在とも不眠の夜に臨在ともなって経験されるのが不思議だ。>

わたくしにも経験があります。

兄弟の中でわたくしだけが反逆児(学生運動)で、母にはその点心労をかけましたので、その後ろめたさから、母の死後まんじりともしない夜が続きました。
母は、わたくしが「三国一の花嫁」になることを望んでいました。


<もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のためにあはれみ、ふかくし て、かみをうやまひ、しもをあはれみ、よろづをいとうこころなく、ねがふこころなくて、心に おもうことなく、うれうることなき、これを佛となづく。またほかにたづぬることなかれ。>

なかなか近づけません。

投稿: 若生のり子 | 2009年10月 1日 (木) 午前 10時27分

>年により10月頃に二度咲きすることもあって

 ★なるほど。今は二度咲きの頃なのですね。私の記憶に残っているのは夏の夜だったようにも思います。

 >母は、わたくしが「三国一の花嫁」になることを望んでいました。

 ★親の願いは時に子を面食らわせますね。三国一かどうか、幸せなご家庭を築かれているように思いますが。

 夾山・定山のことばを引いて「生死の中に仏あれば生死なし。また云く、生死の中に仏なければ生死にまどはず」と書き出し、他の巻のように次々と過去の禅師の論説を引き喝破するような闊達さはありませんが、晩年なのでしょうか、道元が静かに悟りの精髄を分かりやすく述べているようで心に沁みる文章です。道元の思索の急所がそこに読み取れると確信します。このブログで何度か引用しています「生より死にうつると心うるは、これあやまりなり。~」の箇所は私が繰り返し心に響かせる一節です。

投稿: アカショウビン | 2009年10月 1日 (木) 午後 10時33分

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