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2009年9月29日 (火)

月下美人

 たまたまラジオの電源を入れたらNHKの「ラジオ深夜便」で、きょうの花言葉は「月下美人の~」とアナウンサーが話している。ネットであれこれ探すと「ただ一度の~」とか「儚い恋」などと出てきた。花言葉は8月23日という書き込みもあった。9月29日の本日に、それを伝えるということは旧暦によるのか不詳であるけれども、それはさておく。

 子供の頃に家族や親戚、ご近所の方々もいたであろうか、父がカメラで撮るというので生まれて初めて開花に付き合わされたことを想い出す。そのときは当然、母もいたであろう。愚息が言うのもなんであるけれども、母は人から美人と誉めそやされた女だった。浮気癖のある父は母をヨイショして自分の所業を謝罪しようと画策したのかもしれぬ。今、その時を想い起こせば、家族の他に誰がそこに居合わせたか定かでないが、夜中に美しく咲いた花の美しさと香りは微かに残っているようにも錯覚する。

 母の不在と非在は、悲在とも不眠の夜に臨在ともなって経験されるのが不思議だ。

 ネットを散見していると、道元の「生死」の文章を久しぶりに眼にした。これは岩波(日本思想体系 道元 上下二巻 1970年) の寺田 透、水野弥穂子校注の「正法眼蔵」75巻本には収められていないが、水野さん校注による文庫本(全4巻の第4巻 1993年)で読める。母の死を心に納め弔うには熟慮しなければならない思索だ。

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2009年9月27日 (日)

時間の宗教

 以下は道元について述べた方の講演内容を或るブログの管理者が写した文章からの引用である。なかなか興味深い指摘だ。

 キリスト教、浄土真宗は空間的意識の宗教である。禅とは、鎌倉仏教とは何か。禅の本質は時間の宗教である。ここでいう時間の感覚はヨーロッパとは違う。キリスト教徒は、つねにより良い場所を求めてさまよう。ここではないどこかにいいところがあるという意識をつねに持ち、拡げようとする。その意識は宇宙にも向けられている。

 (中略) 

 易姓革命もまた、空間の移動と拡大同様に、時間が断絶する。禅はまったく軸が違う。空間的な拡大や移動を求めない。氏は台湾の少数民族を訪ねて、そこに漂う感覚に禅に通じるものを見た。彼らは母系社会を形成し、山を隔ててそれぞれが違う文化を継承している。そこには、自然、時間、祖先を共有する生活があった。決して山を越えて領土を拡張しようという意志はない。あるいはより良い新天地を求めようとは考えない。

 般若心経における色即是空の色とは物質であり、空とは時間であり悟りである。自分が時間になりきることである。日本人が失った時間、日本の禅、空解釈を変えなくてはいけない。

 これは或る「右より」の集団での講演なので「母系社会~」以下の言説は政治的主張が含意されているようにも読める。しかし禅に関する論説はアカショウビンも殆ど同意する。では、親鸞はどうか、日蓮はどうか、と更に究思しなければならない。 

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2009年9月26日 (土)

残暑の或る日

 真昼を過ぎた空に上弦の薄明るい月が浮かんでいた。遠くを派手な色彩のモノレールが通過する。電信柱の天辺ではカラスが鋭く鳴き交わす。私は辻に立ち、行き交う人々や空を眺めて時を過ごした。9月も終わろうとする頃の朝夕は肌寒くもあるが昼は残暑で汗ばむほどだ。土曜の住宅地の小さな交差点は穏やかで静かだ。アゲハ蝶が忙しなくひらひらと飛び来たり、飛び去る。9月の初め頃に川の土手にはジャコウアゲハも見かけたが今は見えなくなった。

 真昼の太陽は天空に輝き夏の名残りを地上に照らす。私は地上で悄然と佇み空想と妄想に耽っている。嗚呼、人々は現世の現在を様々な喜怒哀楽で過ごす。或る家庭ではテレビを観ながら穏やかな日常が過ぎていることだろう。病院の中では生死の悲哀に立ち会う人たちもいるだろう。将棋指しや碁打ちたちは盤を挟み勝負の行方を読み耽っているだろう。

 遠くで風鈴とピアノの微かな音がする。「船を出すのなら九月」という歌の歌詞が脳裏を掠める。薄い青空の彼方をジェット旅客機が飛び来たり、飛び去る。いと高き空で旅の楽しみに浮き立つ人々もいる。私は昼日中の辻で時が過ぎるのを漫然と眺めている。孫を乳母車に載せた老婆が目の前を往き過ぎる。赤子を抱いた若い夫婦も。野球のグローブを小脇に抱えた小学生が泣き顔で何やらブツブツ呟きながら。盲目の男がヨロヨロと。

 人がこの世を去っても世界は退屈そうに継続している。喪服を着た女が駐車場へ急ぐ。陽は西へ傾き、上弦の月が東南の空から天空高くへ移っていく。ヘルメットを被りバイクに乗った男たちが夕刊を配る。しばらく他へ飛んでいったカラスが二羽になり舞い戻り電信柱で「アオ、アオ」と鋭く鳴き交わす。獲物を見つけたのか、さぁーっと地上に舞い降りる。

 近くを汚い下水道が流れる辻で私は胡乱に無聊に周囲を眺めて過ごした。

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2009年9月21日 (月)

修行が足りん!

 不在の母の喪失感は時に虚無感、虚脱感を伴う。これをどう凌ぐか。経済的にも精神的にも、現在の苦境から逃れ脱却する方途を見つけなければならない。「死に至る病」(@キルケゴール)に絡め取られないように。

 「私たちの日常は、落ち着きがなく、日々新たに驚きや不安、希望や恐れが交錯する。日夜にわたり仲間の支えがなくては、到底ひとりではもちこたえられない。仲間と支えあっても、やはり大変だ。おりおりの一つの重荷の下で千の肩がふるえている(@カフカ)。

 母の死は次のような思索家の考察を想起させる。

死ぬとは、死をはらんでその本質まで耐え抜くことである。死ぬことができるとは、このはらんで耐え抜くことを能くする、ということである。われわれがこのことを能くするのは、われわれの本質が死の本質をよしとするときだけである。 しかしながら、数えきれないほどの死のただなかでは、死の本質は立てふさがれたままである。死は、空無でもなければ、有るものが別の有るものへ変わってゆくだけの移行でもない。

  (以下の文は強調されている)死は、元有の本質から出来事として本有化される人間の現有に属する。このように死は元有の本質を守蔵している。死とは、元有それ自身の真理を守蔵する最高峰の山脈である。この山脈は、元有の本質の隠されたありさまを内部に守蔵し、この本質の守蔵を集成する。それゆえ、人間が死を能くするのは、元有それ自身がその本質の真理にもとづいて、人間の本質を元有の本質のうちへゆだねて固有化するときだけであり、またそのときにはじめてである。(以下の文も強調されている)死とは、世界という詩のなかで元有を守蔵する山脈にほかならない。死をその本質において能しとするとは死ぬことができるということである。死ぬことができる人々こそが、「死すべきものども」というふうに、この語の含みに見合った意味においてはじめてそう呼ばれるのである。無数の恐るべき、死ともいえぬ死の偏在から大量の困窮がこだましてくる。にもかかわらず、死の本質は人間に立てふさがれてしまっている。人間はいまだ死すべきものになっていない。

 

  以上のような考察と母の死は交錯する。病院の手厚い看護のなかで母は「死を本質において能しとするとは死ぬことができるということである」ように死んだと確信する。何年か前に「私は死ぬのは怖くないよ」と、それは甲斐性のない倅たちへの不満でなく自らに言い聞かせるように漏らしたことがある。それは母の信仰によるものだろう。しかし、その声は子に痛切に響いた。死に至る過程で母は自ら範を示し実証したと思う。アカショウビンに、それは果たして可能だろうか?実に心もとなく思うのである。「修行が足りん!」と彼岸から両親が一喝しているようでもある。

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2009年9月19日 (土)

82年の女の生涯

 昨日、朝の9時に母は逝った。最期の顔は苦しみもなく穏やかな死顔だった。月曜の夜に臨終が近いと告げられ、大部屋から個室に移された。それからは弟と二人で病室に詰め最期の時を待った。しかし、それから4晩も母は生きぬいた。しぶとい女である。父の死から17年間、孤独の時を友人たちとの交流で紛らせながら良く生きた。甲斐性のない倅たちの世話にならず経済苦を凌ぎ82歳の生涯を全うした。天寿と言える人生だったと思う。

 昨夜の通夜、本日の告別式の席で従姉兄たちとも懐かしく語らい、笑い、泣き、故人のエピソードを肴に時を過ごした。

 最期に至る母の死への苦闘は傍で看取った。子として共苦したつもりで心残りはない。祖父母や父、叔父、若くして亡くなったお兄さん、妹と再会し現世での四方山話を楽しんでいることだろう。黄泉の国で迷う事はあるまい。

 母の死に方は思索家の言う「能く死ぬ死」だったと思う。思索家は、この世で死を迎えるとき「能く死ぬ死に方をすることの出来る人は稀だ」と言う。事故や自殺、殺人、戦争で思いがけない唐突な死にかたもある。中東、アフリカで戦火の火種は未だに絶えない。北東アジアも、きな臭さが払拭できない。そのなかで手厚い看護を受けながら安らかで穏やかな死を迎える事が出来た母は「能く死ぬ」ことが出来た死と言える。次は、こちらの番である。母のように長寿は覚束ないが、心置きなく恙無く死を迎えたいものである。しかし、こればかりは思うようにならないだろう。

 これから不在の母の喪失感が時と共にいや増すと思う。長年、母と暮してきた弟に不在の母の思い出は私より多く、哀しみは深いかもしれない。しかし、その家族の記憶も時の彼方に薄れていく。いずれアカショウビンも弟も死に至る。それまでの時間を抜かりなく行きたいとは思う。けれども歳と共に物忘れは嵩じていく。加齢と共に加速化する記録力の減退は防げない。凡夫の哀しさである。

 母の晩年は痴呆化することもなく明晰な意識で晩節を過ごせたことは幸いだった。一月前の再入院以来、アカショウビンの従姉、従兄、友人たちと心置きなく別れを告げて逝ったこともありがたい事だった。母の女の一生は、娘時代の戦争での苦労を越え、結婚、出産、子育ての苦労はあれども経済的には恵まれていた。まぁ、父の浮気癖には悩まされたようだが。それでも破局には至らず父と添い遂げた。父の事業の失敗で後半生は金銭的な苦労の毎日だった。しかし父の死後の17年間を悠々と楽しんだ、と思いたい。晩年の病との闘病は辛く苦しかっただろうが、それを見せずに強情に晩年を生きた。その姿を子らは然と受け止め、親戚、友人たちも母の生涯を驚きと感嘆で讃してくれた。82年間、本当にお疲れさま、と慰労したい。

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2009年9月15日 (火)

死に向かう姿②

 母の現在の姿は「赤ひげ」(黒澤 明監督 1965年)で藤原釜足(以下敬称は略させて頂く)演じる六助を想い起こさずにはいられない。あの作品で黒澤は病で死に往く二人の人物を執拗に造形し描いている。六助と山崎 努演じる佐八だ。この六助の姿が母の姿と重なるのだ。人が病で死に往く姿を、黒澤は映像で描き挙げ描き尽くそうと意図したと思われる。この作品には瞠目するカットが幾つもあるけれども六助の死がその一つだ。黒澤はライトをキャメラの向こう側から藤原にあて横顔をモノクロームの究極と言えるほど見事に映像化した。それは最期の闘病を耐える母の姿にもっとも近い映像だ。

 9月15日、母にとっては82年と2カ月を生き抜き、新たな月の15日目の朝を迎えた。お疲れ様である。娑婆での病の苦しみと昔の楽しかった思い出と生活の苦労も残り少しで終わる。祖父母も父も叔父も若くして亡くなったお兄さんと妹も迎えに来ていることだろう。

 午前7時20分、女性の看護師さんが昨日移った個室の病室に来る。小水をしたようでオムツを換え腰のクッションの位置を替える。お二人が退室して母は大鼾。

 そのあと別な看護師が来て少し熱があるようなので氷枕に換えてくれる。そのあとには男性の看護師さんが来て母の口の中を綿棒に湿らせて重曹水とハッカ水、ゴマ油で拭いてくれた。それから「おトイレを見てみます」とオムツの世話をしてくれる。病室に母の糞尿の臭いが漂う。大変な仕事である。作業を終えた両人に深く頭を下げる。

 午後2時、再び「おトイレ」。この糞尿の臭いをアカショウビンは時と場所が移れば忘れる。それが人間の愚かで、いい加減(これは仏教用語の意味でつかうのだが)なところである。誰もが嫌がる作業を彼らは仕事として笑顔で優しい言葉をかけながら粛々と行う。そこで「仕事」と何か?賃労働に拘束された奴隷労働なのか?という疑念も起こる。しかし今は母の傍に付き添うことがアカショウビンと弟にできる母に報いる行為なのだ。

 近くから讃美歌のコーラスが聴こえてくる。このホスピス・フロアの患者達とシスターたちが歌っているのだ。看護師さんにエアコンを弱にしてもらう。朝夕は肌寒くなった。これから秋は深まるけれども母の命の火は幽かになってゆく。人や親子という存在は何なのだろう?アカショウビンの前に朦朧とした意識で横たわる母という存在は?人は死に向かう存在だと思索家は洞察する。しかし死に往く母を前にして、それだけでは納得することはできない。アカショウビンという存在は目の前の存在から産まれ生存し現存している。言わば母はアカショウビンの創造者である。仏教徒であるアカショウビンと母に、この病院の理念と理想でもある父なる神の信仰はない。しかし無縁とも思えない。

 「赤ひげ」で六助は苦しみながら、しかし娑婆での家族や周辺の人々との苛酷な葛藤も終える安らかさで死んでいく。佐八も女房との苛酷な別れを想い出しながら苦しみから解放されるのだ。母もまた同様と思う。

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2009年9月12日 (土)

死に向かう姿

現在の困窮の根本的な原因とは何か?それは死ぬまでの時間を甘くみたことにある。そして死とは何か?と口では関心があるように自分でも思い、人にも広言しながら心底から糾問してこなかったことに尽きる。これは決して観念的な理由ではない。生き方と思想の問題だ。毎日の食事にも死を想え。皿に載る一羽の鶏肉も人間という生き物が生きるための犠牲である。その殺しから食卓に載るまでの過程に思いを致すことが、この世で生きるとは、どういうことなのか?という問いに戻る。病床の母に、このような食べる楽しみと、幸いにも残酷を為すことはできないのだ。

 担当の女性の看護師に、ここ2~3日の母の様子を聞く。もう三度の食事は取ることができないと言う。点滴で処置しているが手首に浮腫みが出て血圧も少しずつ下がっている。オムツが切れたので買ってきてほしいというので1階の売店で買って来る。

 病院のロビーで周囲を見渡せば姿は異なれども、誰もが家族の同じような経験をしていると思われる。しかしアカショウビンに独自の経験という事が有り得るだろうか?様々な家族が家人の死と向き合うとき、それぞれの視界は異なるだろう。アカショウビンのように困窮のなかで溺れそうになる者もいれば経済的には何の心配もない家庭もある。ここで死に向き合うことの本質とは何だろうか?

 外は雨が強くなってきた。この自然界のなかでのひとつの死であることは何か意味を持つのか?

 母の病床の隣りの患者に見舞い客が訪れ傍若無人に話している。この無神経さは何だ?ホスピス病棟という場で一喝すれば済むものでもないだろう。しかし、この怒りはどこでおさめられるのか?堪らず病床を離れロビーに避難した。

 ロビーでの光景を記しておこう。私の前の席の品のよい老翁は聖書の文言を引用し年下の男と話している。ここで宗教が強い力で死に関与している現実がある。それでは仏教徒である母や私は仏教を介してどのように関与するか?また窮乏の底で喘いでいる我が家族の場合と経済的には何の憂いもなさそうな老翁の知人の若い息子の父親の臨終に向けた話を聞くともなく聞いていると、その違いには暗澹たる思いに落ち込む。地位も名誉もあるようなその患者と比べれば母の場合は仕事先の葬儀の来客への心配りとかに腐心することはない。しかし我が母の死を他の患者の死と同等に正面する次元があるのではないか?と言うより地位とか経済的理由とか諸々の付属的でしかないものとは隔絶してアカショウビンが引き受けなければならない死の本質がある筈だ。その点で母の死は報われたものとなる。ひねくれた言い方をすれば、我が母の死は屹立した死でなければならない。金がないとか人様に顔向けできないとか、そのような瑣末と言ってもかまわないことで母の死の本質を理解するのを妨げないようにしよう。

 目の前の紳士たちと私の立場は情けなくなるほど異なる。聞けば若い方は主任牧師という。あとで来た若い男は患者の息子さんなのだ。老翁の紳士は「立派なお父さんですね」と話す。しかし、この聖書の文言を引いて話す老翁の話振りや表情にはウソ臭いものを感じる。ここで突き詰めなければならないのは宗教と一個の人間の死という対立的関係なのであろうか?「聖書」とか「教会」とか、そういう問題でないのは確かだ。老翁と牧師は「聖書」の教えを信奉しているのだろう。それは仏教徒である母の信仰心の強さと同様の信仰の問題だ。そこで母の死を一過性のものとしてはならない。それは遅かれ早かれ私の死と関わってくるからだ。 

 このホスピス病棟に流れる音楽は、あたり障りのない西洋古典音楽の名曲だ。小編成のオーケストラが奏でる名曲も現在のアカショウビンの心境からすればウソ臭い。母の病床に戻ると、眠ったまま隣りの部屋の話し声が大きいのに腹を立てているのでもあるまいに欠伸もするのだ。生は母の中で律動している。意識はこれまでの人生とそれ以前の記憶までも辿りだしているのかもしれない。そういうことは医学的に、生物学的にありえるのだろうか?脳細胞に記憶されている先祖の記憶は残っているのか?たとえば無意識として。

 それはさておき、別の病室から聞こえて来る話し声や笑い声を聞けば、病院で死は時として深刻さから逃れようと暗黙の了解でもあるように笑いとなって、何やらそれが良識ある大人の態度ででもあるかのように遇されている。それは葬儀を涙とは裏腹に笑いで過ごす、この国の或る慣わしとも反照する。

 看護師の仕事を垣間見ていると大変な仕事であることを諒解する。しかし若い女性たちの天真爛漫も逆の様相を帯びて患者の家族たちには見えるのである。その事に彼女達の多くはマニュアル的にしか思い及ばない。もちろんそれを責めることは出来ないが。母の担当の若い看護師の女性はよくしてくれる。しかし少し疲れ気味だ。給料は高くても仕事内容と見合っているかは個々人で違うのだろう。それとは異なる次元で彼女たちは多くの様々な死と対面している。そこで醸成される人格がある筈だ。私は、それをこの病棟で了解する衝動にかられる。それを知ることは私の一方的な思い込みではない日常の死という視角が開かれているだろうからである。

 もう自ら話す元気もない母の姿を見ていると、いったい何を学べるのだろうか?恐らく有るということ、この世に棲んだことの意味の「あらゆる」ことではあるまいか。母の死への道行きに、それを看取できるのではないか?それは単なる思いつきに過ぎないだろうか?繰り返し心底に留め置かなければならないのは母の死を世間的な死とは異なる次元で、経済的な窮境の恥とかセンチメンタルなものと峻別して捉え受けいれなければならない、という事だ。そこでしか私たち親子の関係はひとつの区切りをつけ了解することはできない。孫たちの姿がないということも世間に対して私なりの説明と自分自身への納得がいる避けては通れない、もっとも他人様の関心のある非難だろう。

 あと数日なのだ。何と、ここにアカショウビンと弟の人生の試練が集約して襲来していることか。このホスピス病棟という特殊な病棟で看護師の女性たちに死はどのように理解されているのか?少なくとも責任者という男の医師からは皮相なものしか感じ取れない。それは彼女たちが説明する病状報告の外に有るものであろう。死は彼女たちも社会生活をしていて同世代の若者たちや違う世代の人々を介して社会的な出来事でもあるはずだ。

 とにかく現在の母に近くにいるようにしよう。ところが今度は隣の患者に別の見舞い客が来ている。またも退散する。人はこれほど無神経になれるということに呆れる。ロビーで家族や見舞い客たちの話を聞いていると病と死は表向きは社会的な出来事として経験されているように見える。しかし不可視の領域がある。それをどれだけ明るみに出せるか?それがアカショウビンの母の死でなければならない。

 夕闇が雨雲に覆われた空と共に辺りを領していく。ロビーの奥では若い看護師と患者の家族が話しこんでいる。母の担当の看護師は夕食の食事の準備でもしているのか何やら忙しそうに往来している。移動点滴を両手で支えながら老翁の患者がゆっくりと自分の部屋に戻り歩いている。

 父方の祖母の葬式のことだったと思う。母たち女たちは先祖の頭蓋骨など骨を洗っていた。今は殆どが火葬だが、かつて奄美や琉球、島尾敏雄の言うヤポネシアには「洗骨」という風習があった。島尾の葬儀のあと家族は父と夫の骨をガリガリ食べたという。そこで死者とは家族にまた社会にどのように関わっているのだろうか?この状況で母の死を迎えるということは経済的にも家族的にも恵まれた人達よりも隔絶して緊迫した状況で急場に臨むということだ。それは何度繰り返しても足らない特殊事情である。

 病院近くの蕎麦屋でカツ丼を食べ病院に戻ると幸いに隣りは静かになっていた。他の患者も静かだ。母は口を半開きにし眠っている。右の手首には新しい包帯が巻かれている。看護師に水分をとりすぎると痰が喉に詰まることがあるとも言われた。父の時がそうだった。母は半開きの口を時に閉める。しかしすぐ空く。別な患者がウガイをするというので母のベッドの近くの洗面所を使う音が煩い。眠ってはいても意識の奥で母は感知しているのかもしれない。今、顔をしかめて欠伸をした。そしてまた。

 従兄と従姉から携帯に電話がかかってきた。エレベーターで一階まで降り状況を縷々話す。母の病床に戻ると向かいの老婆の患者が苦しそうに咳き込む。他の患者は静かだ。またも苦しそうに咳き込んだ。看護師が来て問いかける。7階の病棟のロビーから見渡せる大阪の街の灯りの、それぞれの家庭の団欒では病院の現実とは異なる、それなりに穏やかな日常があるのだ。

 

 

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2009年9月 6日 (日)

老いの境地

 昨日は仕事を終えて夜に病院を訪れた。憔悴した母は熟睡していたが看護師さんが投薬で来られた時に目覚めた。しかし薬は飲みたくないと拒絶し話をするのも億劫な様子。本日は午後3時過ぎに病院を訪れ少し会話も交わした。しかし衰弱は進んでおり明日は主治医と面談を行い今後の相談をする。

 今朝の毎日新聞の書評欄では「誕生日特集」と称し音楽評論家の吉田秀和氏を特集している。氏は今年96歳、音楽専門誌には矍鑠と健筆を寄稿しておられる。仕事柄、最近の話題CDもしっかり聴いておられるようだ。先般は今や円熟の境地のピアニスト、マリア・ジョアン・ピレシュの最新CDでショパン演奏を分析・批評されておられる文章を読み感嘆した。

 氏のように高齢になり、それまでの仕事を更に深く掘り下げ未聞の境地へ分け入る人もいる。老いの境地というものがあると思われる。吉田氏のご長寿を心から言祝ぎたい。そして我が母の人生もかくありたい。母の楽しみは昨今の政治状況とテレビの歌謡番組、落語家の旅番組である。ここ数日は憔悴・疲弊しテレビを観るのも億劫になっている。しかしホスピス病棟の看護は手厚く、頭が下がる。あと何日生きられるか覚束ないけれども人生の最期が穏やかで安らかであるように最善を尽くしたい。本日の面会から帰るときの表情は実に優しげで安らかだった。

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2009年9月 1日 (火)

夜明け前のオリオン

 東の空が白み始める前の夜空にはオリオン座が姿を現し始めている。もう、9月なのだ。夏が往き、秋の予感は朝夕の風が伝える。茂吉の「朝ゆふは やうやく寒し 上山の 旅のやどりに 山の夢みつ」という歌も想い起こされる。仕事で定期的に訪れていた山形の米沢駅近くに歌碑がある。夏は山々の緑が眼を和ませるが、冬に福島で新幹線が切り離され「つばさ」が米沢に向かうと景色は一変する。その異世界への分け入りとも思える変化は人を寡黙にさせる。その実に心の奥の記憶を掻き立てるような、人間の存在とは隔絶した自然の姿は凄絶とも美とも思われた。人もまたこの世での終わりを凄絶に生きる。

 老いて病む母の余命は幾ばくもない。死は静かに82年の女の生涯に幕を閉じさせようと心身を領し始めている。絞りだす声は擦れていても意識は澄明だ。しかし骨の浮き出た腕は僅かばかりの肉が老いと病の苛酷を剥き出しにしている。かつては豊かだった胸も薄くなり腹は手術の跡を示して痛々しい。それでも表情は優しげに、かすれた声で医師や看護する方々に感謝の意を伝える。母よ、あなたは十分に生きた。近いうちに幽明が私たちを隔てる。しかし、あなたは私や弟や近親の人々、老若の友人たちの記憶のなかで時に想い起こされ語りかけるだろう。

 若いあなたが子供達に注いだ愛情は掛け替えのないものだ。共に生きた今生の時はどれほどの果実となって世に残るのだろうか?それは、ささやかであっても冥土の土産は後で届けよう。アカショウビンが中学生の頃に夢中になった天体の煌く星座は今夜も空に昇っている。その姿は今の病床からは観ることができないけれども、子は異郷の大地で少年時代に帰ったように夜空に観惚れる。私たちは今はともかく実に楽しい時を過ごした。肉体は滅びても、その貴重な時は記憶の中で甦り、残された者たちを菩薩のような微笑みで励まし、視守ってくれるにちがいない。アカショウビンが真冬の夜空にオリオン座を見上げるとき、既にあなたは閉じられた幕の中で静かに彼方へと去っているだろう。しかし、アカショウビンの記憶と精神に存在する、あなたの声と姿は時に鮮やかに立ち上がり、何事かを呼びかける筈だ。その声と姿を聴き見る時を楽しみにしよう。

 中世の仏者は言う。

 灰は灰の法位に住して、のちありさきあり。かのたき木、はいとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法の定まれるならひなり。このゆへに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。このゆへに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。

 17歳で敵戦闘機の襲撃を受け小さな船の中で殺されかけた娘は戦後を生き延び、結婚し二人の子も産み育て82年間の生涯を終えようとしている。仏教では霊魂は存在しないと説く。「生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり」である。宇宙の一角の太陽系の微小な惑星で人や生き物は生き死ぬ。その宇宙史の中にアカショウビンは親子の記憶を声で呼びかけ文字で刻んでいく。そのささやかな行為は、この世に棲む間の義務のようなものと心得るからだ。

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