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2009年8月 2日 (日)

移民と芸術

 NHKの日曜美術館でメキシコ美術をテーマに今福龍太氏がゲストで話していた。そこで紹介されている街の壁に描かれた作品は我が邦のスプレー壁画とは質を異にしている本格的な水準である。メキシコ人の民族としてのアイデンティティはネイティヴと侵略者スペイン人との混血で単一ではない。それを今福氏は「他者性」を受け入れて成り立つ文化と評する。司会の姜 尚中氏はそれを受けて韓国では「正体性」という言い方をする、と話す。

 アイデンティティとは何か?日本人は単一民族という言い方をした政治家がかつて痛烈な反発を受けたことを想い起こす。日本人といえども先住民であるアイヌや半島から移住した在日韓国・朝鮮人たちが同居する現実は、米国ほどではないにしろ単一民族の国家ではない。

 番組では、メキシコからヨーロッパに渡り生活した画家が故国に戻り絵画から彫刻のような造形美術に没頭する。彼が住んでいた頃には多くの村人がいたが、その殆どが故郷を捨てて米国に移住し村は過疎化している。画家は、その今はいない人々の2千人余の姿と自分自身を彫像した。それは芸術のための芸術ではなく、現在に生きる作者の抱く現実感を投影した作品である。その思想性を作者は移民の悲哀と説明する。移民を誰も助けてはくれない、と自らのヨーロッパでの体験を通し語る。米国へ移住した移民たちの困窮を彼は伝え聞いているだろう。成功者もいるだろうが多くは差別のなかで刻苦している同胞が多い筈だ。その苦しみを彼は芸術家として表現した。

 アカショウビンが訪れる美術館で出会う多くの作品は芸術のための芸術といえる作品である。しかし芸術の本質とは何か?と問うと、決して静的なものではないように思われる。移民たちの生の悲哀に突き動かされて形にした作品から伝わる磁場の如きものは作者の現在を反映している。それは静的でなく動的なものだ。芸術のもつ力とは一様ではない。テレビ番組で放映されるそのような映像がどれほどの視聴者の精神を触発するのか定かではないけれども、その幾らかはアカショウビンのようなもの好きを確かに挑発する。

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