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2009年8月12日 (水)

混沌のなかの選択の難易度

 毎日新聞の夕刊に週に一度、寄稿している羽生名人(以下、敬称略)の文章が面白かった。冒頭でアルビン・トフラーを引いている。懐かしい名前だ。アカショウビンが高校の頃に著作が評判になった未来学者である。曰く。「現代の変化の速度は、企業=時速100km、社会団体=90km、家族=60km、官僚機構=25km、法律=1km」。なるほど含蓄ある喩えだ。羽生は、この変化の速度という喩えを本職に置き換え、昔に比べ現代将棋での戦法の流行廃れの速さを指適する。その変化に遅れをとると勝敗につながる、と。また「人は似たようなミスを繰り返す」という教示を引いて、「その時は後悔したり、反省したりするのですが、しばらくすると忘れてしまうのです。こう書いている自分も同様のことが多くあって、自己嫌悪に陥ります」と書く。そうか、羽生でも自己嫌悪に陥るのか、と自己嫌悪の塊のようなアカショウビンは少し安心する。羽生は更に続ける。

 ―― ミスをすると次もミスしてしまう原因は二つあります。一つは「しまった」と思って動揺し、冷静さを失ってしまうこと。もう一つは、ミスのあとは状況がより複雑で混沌としており、(次の手を指す)選択の難易度が格段に上がってしまうことだと思っています ――

 混沌のなかの選択の難易度。なるほど。勝負の機微を現し言いえて妙である。後悔や反省を人は忘れる。忘れない人が人に抜きん出るわけだ。その努力が羽生という棋界の第一人者の強さの証ということか。深く肝に銘じたい名言である。

 先のブログの話題に繋げていけば、忘れない存在へと己を修練と精進で向上させる。それが出来れば他の人に抜きん出ることが可能ということか。ところが、あくまで「かもしれない」というのが我が身を振り返り溜息をつかざるをえないところだ。

 歴史に関してもそうであろう、と思う。過去のミスを後悔し反省すれば混沌のなかに妙手を発見することもできる「かもしれない」ということだ。歴史に学ぶことも、それが難しい。

 羽生は最後にマーク・トウェインの言葉を引く。「“歴史は繰り返す”はよく使われる表現ですが、私はそれよりも“歴史は繰り返さない、ただ韻を踏むのみ”というマーク・トウェイン言葉の方が好きです」。同意である。アカショウビンも歴史は繰り返さないと確信するからである。ところが、そこで反照する言葉がある。「等しきものは永遠に回帰する」。なかなか含蓄ある見解と思えるが如何であろうか?恐らく歴史は「等しきもの」ではない。何が等しきものなのか?秋も立った時節に暫し愚考を重ねていきたい、と思う。しかしながら暑さにそれどころでもなくなる。そこが羽生あたりの頭脳と異なる凡夫の情けなさである。

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