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2009年7月 7日 (火)

今宵は曇天

 七夕で久しぶりに空を見上げる人も多いだろうが、歴史を振り返れば本日は1937年7月7日、日中15年戦争勃発の端緒となった盧溝橋事件から72年目の日でもある。

 日本陸軍省の発表によれば午後11時40分ころ盧溝橋北側で演習中の日本軍に中国側が突如数十発の射撃を行った。日本側は演習を中止し応戦。8日深夜から早朝にかけて両軍代表は事態の掌握に交渉を重ねる。しかし交渉中に、集結中の日本軍に対し中国軍が迫撃砲等で攻撃を仕掛けた。事態は翌8日に全面衝突となる。激戦はいったん収束したが事件の一報を受けた日本政府と軍上層部は、これを機に中国に「一撃を加えて」事態の解決を図ろうとする拡大派と対ソ軍備を優先させようとする不拡大派のせめぎ合いとなる。結果は参謀本部の実質的な責任者である石原莞爾少将により不拡大方針が打電された。事態は停戦交渉から終息に向けて動き出したかに見えた。しかし近衛内閣は北支派兵を決める。有力紙の論調も「強硬論」が主流となる。これに対し蒋介石は抗戦を明らかにし28日に日中両軍は全面衝突が開始される。以後、両国は15年にわたるドロ沼の戦争状態となる。

 72年後の本日の大阪の空は昼間は晴れていたのだけれども、夜になり厚い雲が空を蔽った。天の川を見ることができず残念。

 天気を気にしながら、先日入手したDVDを見ていると吉本隆明氏(以下、敬称は略させて頂く)が花田清輝との論争の経緯を語っている。その中で1933年に中野正剛が結成した「東方会」に言及する。氏によればファシズムとは資本主義と結びついた民族主義である。当時の日本でそれをイデオロギーとして活動したのは「東方会だけなんです」と語る。一般的に「右翼」と称される勢力には吉本によれば2種類ある。農本主義的ウルトラ・ナショナリズム的勢力と欧州のナチズムとイタリア・ファシズムのように資本主義と結びついたナショナリズム・民族主義である。その後者に該当するのは日本では「東方会」だけと吉本は強調する。花田清輝はその東方会に属していた。そして戦後、共産党に入党し転向する。吉本は花田が戦前・戦中のその事実を隠していることを突き「戦争責任」論を展開した。

 吉本や井上光晴は花田が戦前・戦中に東方会で発刊する雑誌を主宰し書いていた論文を読んでいた。だから花田清輝の変わり身を痛烈に難詰したわけだ。論争の結末は吉本の勝ちとする見物が多いが吉本の激しい罵倒より花田の冷静な対応に軍配をあげる者もいる。

 軍国学生だった吉本は花田と同様に欧米列強の中国分割に異を唱える大東亜共栄権思想に激しく共鳴する。そして敗戦後、その非を求めるとすると一つしかみつけられない、と語る。それは、われわれ日本人は「自分も含めて、いい調子になると、すぐ威張って、それは日本人のクセだ、と思っていました。それは国外でもやったのだろうな、と。相当悪いことをしたのだろうな、と。自分も乱暴なところがあるから、(兵隊たちは戦地の)行く先々で畑を荒らしたり、場合によっては脅かして殺したり、やったんじゃねぇか、と思うんですけど、それが何で悪いのか、ということが僕にはないのですよ」と語る。その率直さが吉本隆明の真骨頂である。そして吉本は石川啄木を引き合いに出し、啄木が肺結核で亡くなる前に杖をついて盛岡中学の先輩だったアイヌ学者の金田一京助を訪ない、今の私の思想は「帝国主義的社会主義だ」と話した事を金田一が著作で明かしていると述べる。帝国主義的社会主義とは矛盾しているけれども「あの人たちは、そのように苦しんだ」と続け「右翼と左翼が区別できないのは、そこなんですよね」と聞き手の笠原芳光に語りかける。その啄木の心情に学生だった吉本隆明は激しく共感した。その言や好し。満州国は欧米の浸入に対抗する日本の抵抗であり主張だ。それを中国側から見れば、それに抗戦する中国の戦いは正義の戦争だと毛 沢東は言う。しかし、「そんなのは嘘っぱちであって、ぼくらは戦争に正義の戦争と侵略戦争なんてものはないんだ。戦争自体が悪なんだ」と語る。

 その語りは止まることなく続くが編集者は、それを遮り笠原氏は吉本隆明に若者へのメッセージを求めてDVDは終わる。その語りの続きは吉本の著作にあたれば詳細は読める。アカショウビンも旧著を読み直し、未読の著作にもあたり「思想界の巨人」の全貌の一端なりとも咀嚼し感想・共感・批判を試みよう。

 本日の毎日新聞を開くと盧溝橋の文字は見当たらず国際世界は戦略核兵器の縮小で合意し米ソ雪解けの様相を批判も含めて伝えている。しかし北朝鮮など火種は世界のあちらこちらに燻っている。過去の歴史を辿れば、核武装によって根本的に武力による国家間の拮抗の仕組みは変化したといっても武力に訴える国家間の軋轢は現在もそれほど変わっているわけでもなく共通した骨組みが形を変えて現象しているようにも見える。

 それはともかく。22日は皆既日食だ。鹿児島の離島や奄美では何やら天文ファンが殺到し日食フィーバーの様子も伝え聞く。アカショウビンが奄美の夏の夜空を対物レンズ6㎝口径の赤道儀で観望したのは中学生の頃だ。木星のガリレオ衛星や月面を望遠鏡で魅入っていた頃が懐かしい。そのころ土星の輪は地球から見えなくなっていた。15年に一度の現象である。今また土星の輪は消えかかっているだろう。先日は書店で久しぶりに中学時代に愛読していた「天文ガイド」を手にとった。誌面は昔と違いカラフル。詳細な皆既日食情報が満載されていた。23日はインターネットに日食の様子が溢れることだろう。当日の空が晴れることを陰ながら天に祈ろう。

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