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2009年7月 2日 (木)

戦争の記憶③

 1944年7月6日午前10時、サイパンでは南雲司令長官、斉藤師団長、井桁軍参謀長が自決。7日の零時に総攻撃をかける。

 孫引きで恐縮だが、「悲劇のサイパン」(三ヶ野大典著)によると、日本軍は午前3時を期して“バンザイ突撃”を敢行する。事前に察知していた米軍は絶え間なく照明弾を打ち上げ、砲火を浴びせる。しかし、怒号や歓声を上げながら死体を踏み越えて押し寄せる日本軍の勢いを止められず、陣地に突入されて650人の死傷者を出している。米軍は150ミリ曲射砲数門を水平射撃し、海上からは艦砲が集中砲火を浴びせ、海岸と道路には日本軍の死体が折り重なる。“バンザイ突撃”は翌日も続き、7日と8日の二日間で米軍の数えた日本軍の死体は4、311人に達したという。

 1年後の1945年6月に沖縄戦が終結したあと日本は二つの原爆に止めを刺され、敗北を受け入れる。

 ネットを遊弋、散見していると、年々少なくなっているのだろうけれども、今年で65回目を迎える8月15日を前に戦争の記憶を甦えらせている人々が少なからずおられることを知る。それを読ませて頂くとアカショウビンの夏も書物や映像で遅まきながら歴史に推参しよう、という気持ちがムラムラと湧き起こるのを抑え難いのである。

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コメント

サイパン島の玉砕は沖縄戦のおよそ一年前のことです。

わたしには菅野静子の手記『サイパン島の最期』は忘れられない記録です。

投稿: スタボロ | 2009年7月 3日 (金) 午前 03時19分

 スタボロさん

 これは失礼しました。ここ最近お気に入りに入れて読んでいる沖縄の作家のブログから不注意に引用して確認を怠ってしまいました。ミクシイのご縁で辿り着いたのですが安易に転載してしまいました。ご指摘ありがとうございます。本文は修正し、更に愚考を重ねていきたいと思います。

投稿: アカショウビン | 2009年7月 3日 (金) 午前 07時35分

8年前に中国江南地方を旅行をしたとき、ツァーのメンバーには、70代後半から80歳の男性参加者が多かったのですが、皆さん、戦争の体験者でした。
中でも、80歳で「沖縄戦の生き残りですよ」と言っておられた方が印象に残っています。いま、健在かどうか・・・。
終戦の時、国民学校1年生だった私が、かろうじて覚えている戦争のことですから、あと10年もしたら生き証人は殆ど居なくなるでしょう。いまのうちに、その方々にもっと語って欲しいと思いますが、インターネットでは、蚊帳の外に置かれています。聞き伝えで、少し間違いがあってもいいから、アカショウビンさんのようなかたに、発信して戴きたいと思います。

投稿: Clara | 2009年7月 3日 (金) 午後 03時30分

 Claraさん、コメントありがとうございます。 

>終戦の時、国民学校1年生だった私が、かろうじて覚えている戦争のことですから、あと10年もしたら生き証人は殆ど居なくなるでしょう。いまのうちに、その方々にもっと語って欲しいと思いますが、インターネットでは、蚊帳の外に置かれています。

 ★先日もNHKで、ひめゆり部隊の生き残った方々を取材した番組を見ました。彼女たちこそClaraさんがお持ちの危機感をもっとも痛感していることでしょう。これから夏に向けてメディアは「恒例」のように特番を組んでいくことでしょうが、その底にある切実な声に不精な私も応答していきたいと思います。

 >聞き伝えで、少し間違いがあってもいいから、アカショウビンさんのようなかたに、発信して戴きたいと思います。

 ★ありがとうございます。私の発言は戦後生まれの「戦争を知らない」世代ですから親や経験者の方々からの伝聞・言説・論説に対する愚考・思索・考察です。
 戦後生まれの我々と戦争経験者の皆さんとの言説・論説の内容は自ずと質を異にします。しかし先の大戦が日本はもちろん、世界史における意味は我々が考える以上に大きなものと考えます。それを経験された兵士、国民、また左右両翼の論客の論説を通し現在にコミットしていきたいと思います。

投稿: アカショウビン | 2009年7月 3日 (金) 午後 11時38分

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