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2009年7月16日 (木)

苛酷な夏はヨロヨロ走り

 走るといっても自転車で駅や近くの区民会館の「自習室」へ。ここは何と50円で静かな部屋を借りられるのだ。個室ではないけれども、ありがたい空間だ。関東以外の土地で初めて暮らす夏である。職安(このブログを始めた初心に還りハローワークというカタカナの異国語は極力使わないようにしたい)通いにも疲れ気味。余生を生きるオヤジ(これは国語の今風表記で仕方なく使う)の意固地な性(さがと読む)である。

 先日、高校の同級生と数年ぶりに歓談。近況の窮状を説明し、あれこれと新たな情報も入手。恩師の一人が昨年急死したことを遅まきながら知る。60代でまだ若い。前立腺ガンだったという。カメラ好きで軽快な語り口が印象に残っている現国(現代国語)の教師だった。また二人の同級生がガンの手術をしたらしい。それぞれ十二指腸と膵臓。入院・手術したが退院し職場復帰しているようなのでひとまず安堵。皆さん50歳を越えると身体のあちらこちらに不調は生じる。それがガンと聞くと心穏やかではない。

 求職で履歴書を送れば悉く書類審査で落とされる。大阪の景気と仕事状況は東京よりも確かに酷い。このうえは老骨に鞭打ち肉体労働に従事するしかない。一週間ともたないのは明白だから比較的楽な仕事を探すのだが、これがない!我が詩人の、ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ、の一節が脳裏に明滅し不安が心身を支配する。夜中に悪夢で奇声も発しているようだ。余生は加速度的に短くなっていることだろう。衝動的にマンションから飛び降りるかもしれない。自殺は好みでない、と自覚しても精神はいつか病んでいるものである。そこまでの自制心があるかどうか自信はない。

 先日から円生や枝雀、三枝の古典・創作落語を聴きながら困窮をイナそうと画策。ゲラゲラ、アハアハ、ワッハハと過ごした。それでも無職の身の不安は容赦ない。嗚呼、艱難辛苦は我をボロボロにする。アカショウビンは繊細なのである。

 このブログは上記のような愚痴を垂れ流す主旨で始めたわけではない。今生に思い残すことなく、余生を後悔なきよう我が生と思考の足跡を記述することを目的としている。たまには映画やCDの感想も書き留める。本やCDを購入する余裕がないため転居後はもっぱら図書館を利用する。先日はCDで小林秀雄の講演集を聴いた。弛緩した精神に小林の声は座禅の痛棒のように響く。今回のは昭和36年、小林59歳のときのもの。長崎県の雲仙で学生達を聴き手にしたものだ。

 曰く。魂は実存する。何処に?というのは正しい問いではない。魂は空間的に存在しているわけではない。むしろ空間は魂の存在を遮るはたらきをする。魂は心に実在する。私はそれを信じている。諸君、どう思われる?ベルクソンやフロイトはそれを証明した。それが彼らの思想・哲学のもっとも大事な点だ。しかるに世間には、彼らの抹消の知識のみが横行・流通している。彼らの弟子たちが引き継いだ知識を喋々するベルクソニスムやフロイトニスムの悪弊である。以上はアカショウビンの理解した話の要約である。正確ではない。後に講演を聴き取り文字にする機会があるかもしれない。確約はできないが。

 最近はCDで音楽を聴いていない。精神衛生上まことに宜しくない。本も読み進まない。保田與重郎も読んでいない。ハイデガーものろのろとしか読み進まない。時間はあっても求職活動で忙殺されるのだ。しかし少し冷静に考えると、宮仕えでない時間が持てるありがたさを暫し忘却している。そうだ!ビールや焼酎、ウィスキーで時を紛らわせないで運動し規則正しい生活をすれば本も読めるしCDも聴ける筈だ。先ずは怠惰な生活を改めよ!天の声は正しくそう響いているのではないか?ところが酔って朦朧とした脳裏にその声はまったく届いていない。自らそれを聴き取る感度を上げることから始めよう。明日から始めよう。しかしたぶん、蒸し暑さと熱波でヨロヨロと自転車で走りまわるだけなのだろうな。

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