« 我等は何して老いぬらん | トップページ | ピアニスト »

2009年6月 9日 (火)

死の考察

石牟礼道子さんが、鴛鴦夫婦のようだったと感嘆した橋川文三夫妻との思い出を書かれているなかで、竹内 好と橋川夫妻との海水浴のエピソードが微笑ましい。竹内の姿が髣髴する。「橋川先生や藤田省三氏を僚艦とした『竹内 好大艦隊が、どこそこへ出動している壮観』ぶり」、と書かれておられるのが石牟礼さんらしく思われる。(「橋川文三著作集」3の月報)

そこから現在の石牟礼道子(以下、敬称は略させていただく)の現在に関心が反照する。学生時代に「苦界浄土」を読み、九段会館で企画された水俣の映画を観に行ったことを思い出す。あれから現在まで石牟礼の戦いは持続しているのを伊藤比呂美との問答を読んで確認できたことは悦ばしいことだった。

老いと死はヒトという生き物が消滅するまでの大きなテーマである。それは「日本人はなぜ『さようなら』と別れるのか」(竹内整一著 ちくま新書 2009年1月10日)でも展開されている。

同書で引用している吉本隆明の「死後などあるわけないでしょう。これに気づいたことを最初に思想化した宗教者は親鸞だと思います」(「人間と死」)も吉本らしいが、明恵が法然らの浄土教を批判して「われは後世たすからんといふものにはあらず。ただ現世、まずあるべきやうにてあらんといふ者なり」と死後の世界に望みを託す姿勢に反発したのも面白い。吉本の若き頃の次のような自覚も想起される。そこには先般、テレビで拝見し面白く見た鶴見俊輔氏へも言及している。

「井の中の蛙は、井の外に虚像をもつかぎりは、井の中にあるが、井の外に虚像をもたなければ、井の中にあること自体が、井の外とつながっている、という方法を択びたいとおもう。これは誤りであるかもしれぬ、おれは世界の現実を鶴見ほど知らぬのかもしれぬ、という疑念が萌さないではないが、その疑念よりも、井の中の蛙でしかありえない、大衆それ自体の思想と生活の重量のほうが、すこしく重く感ぜられる。生涯のうちに、じぶんの職場と家とをつなぐ生活圏を離れることもできないし、離れようともしないで、どんな支配にたいしても、無関心に無自覚にゆれるように生活し、死ぬというところに、大衆の『ナショナリズム』の核があるとすれば、これこそが、どんな政治人よりも重たく存在しているものとして思想化するに価する。ここに『自立』主義の基盤がある」。

人間は死を先駆的に覚悟する存在というハイデガーの論説に呼応するのが本書第9章の「出会いと別れの形而上学」である。著者は九鬼周造の「偶然性の問題」を引用する。九鬼は古代インドの仏典「那先比丘経」の彌蘭(ミランダ王)の次の問いを引き合いに出し論じる。

「世間の人は、頭があり顔があり目があり、みな五体満足に生まれながら、何故に長命な者と短命な者、あるいは病弱な者と健康な者、貧しい者と富める者、端正な者と醜悪な者、その人となりの信じられる者、疑わしい者、といったように何故に同じではなく生まれてくるのか」。

そして次のように回答する。

「この問は人間の喜びと悩みとを蔵する哲学的な問であるが、畢竟、個物の偶然性に対する問にほかならない」。

 「『個物および個々の事象』の核心的意味は『一の系列と他の系列との邂逅』といふことに存し、邂逅の核心的意味は邂逅しないことも可能であること、すなはち『無いことの可能』といふことに存している」。

「偶然性の核心的意味は『甲は甲である』といふ同一律の必然性を否定する甲と乙との邂逅である。我々は偶然性を定義して『独立なる二元の邂逅』といふことが出来るであろう」。

石牟礼・伊藤の対話と共時的に呼応して、この新書が思索する「さようなら」という別れの日本語から日本人の死生観をも射程に捉える考察も実に興味深いではないか。

|

« 我等は何して老いぬらん | トップページ | ピアニスト »

コメント

60年代後半は、日本全国で、さまざまな公害問題が明るみに出て吹き荒れた時代でした。石牟礼道子の「苦界浄土」の本や映像はその当時のバイブルのような存在でした。
日本の戦後の経済優先の政策がもたらした、国民に皺寄せした恐ろしい現実でした。高度経済成長のこれが裏の実態だったのだと私たちは思い知りました。
<あれから現在まで石牟礼の戦いは持続しているのを伊藤比呂美との問答を読んで確認できたことは悦ばしいことだった。>
同感です。
<どんな支配にたいしても、無関心に無自覚にゆれるように生活し、死ぬというところに、大衆の『ナショナリズム』の核があるとすれば、これこそが、どんな政治人よりも重たく存在しているものとして思想化するに価する。>
吉本氏の真髄ですね。

ミランダの問いに対して
<個物の偶然性に対する問にほかならない>
といい
<すなはち『無いことの可能』といふことに存している>
として
<我々は偶然性を定義して『独立なる二元の邂逅』といふことが出来るであろう>
ということですか。

アカショウビンさんの推薦図書
「日本人はなぜ『さようなら』と別れるのか」(竹内整一著 ちくま新書)読んでみます。

アカショウビンさんやnosubjectさんのお陰で、ここ10年ほど日本の本を殆ど読んでいなかったのですが、一昨年辺りから、それぞれに推薦していただいた本を遅速ながらも読み始めました。こうして周りを眺め回しますと、ざっとでも200冊位在ります。
源氏物語に始まって、親鸞、本居宣長、芭蕉、四方赤良、国木田独歩、鈴木大拙、三島由紀夫、島尾敏雄、深沢七郎、小林秀雄 等など、(今日的なものは退けて)
欧米の世界にいて、戻ってきて色々日本の精神を見ますに、わたくしなりに見えてきたことがあります。
感謝です。

投稿: 若生のり子 | 2009年6月19日 (金) 午後 01時10分

>60年代後半は、日本全国で、さまざまな公害問題が明るみに出て吹き荒れた時代でした。石牟礼道子の「苦界浄土」の本や映像はその当時のバイブルのような存在でした。日本の戦後の経済優先の政策がもたらした、国民に皺寄せした恐ろしい現実でした。高度経済成長のこれが裏の実態だったのだと私たちは思い知りました。
 
 ★1973年に九段会館で映画を観たあと小額ながらカンパさせて頂きロビーで31頁の冊子を買い求めました。
 「坂本しのぶちゃんのこと 花帽子 SHINOBU-SAN: TO GATHER A LIFE」(1973年 創樹社)です。W・ユージン・スミス+アイリーン・M・スミスさんの写真と石牟礼さんの文章で構成されています。私には、その写真と文章は禅の痛棒のようなものでした。
 石牟礼さんは次のように書き出されています。

 「このごろのボラ共は、ぜいたくになって、どもこもならん」
 しのぶちゃんのお母さんのふじえさんは、そういっておほんと笑うのだ。
 「あん頃にくらぶればもう、人間が魚共にぜいたく癖つけてしもうたもん。漁師の衆のやることは、魚釣りじゃいよ、魚養いじゃいよ、いっちょもわからん」
 魚釣りじゃいよ、魚養いじゃいよ、いっちょもわからんと私もいっしょに言いかけたので、そこら中に居たものたちで笑ってしまった。まったくみんなもそう思っているのだから。
 
 ★戦後日本の繁栄の陰で犠牲となった水俣の姿を私たちはいつのまにか忘れていっています、もちろん私も。しかしそれは過去を振り返り歴史を想起するときに私たち日本国民が経験した原爆の記憶とともに繰り返し想い起こし現在を生きるうえで反芻しそれぞれの人々の生き方に苦渋と共に活を入れるべき歴史事実だと思います。

 >欧米の世界にいて、戻ってきて色々日本の精神を見ますに、わたくしなりに見えてきたことがあります。

 ★ブログやミクシイで拝見させて頂くのを楽しみにしています。

投稿: アカショウビン | 2009年6月20日 (土) 午前 02時43分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/45290287

この記事へのトラックバック一覧です: 死の考察:

« 我等は何して老いぬらん | トップページ | ピアニスト »