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2009年6月 4日 (木)

戦争の記憶②

  引き続き、64年前の沖縄戦を経験された方の声を聞こう。石原昌家『証言・沖縄戦 戦場の光景』(青木書店)の松田定雄さん(大正12年生まれ、沖縄戦当時21歳)のものである。別ブログからの無断転載であるが、6月7、8日頃の状況を松田さんはこう語っている。

 〈「高嶺に大きな井戸があり、そのそばの森の中に野積みのカンパンが、現在も残っているかどうか調査に出向いたときです。
 薄暗くなりかけてきたころでした。私は同僚と二人、真栄里から国吉部落に向かいました。すると、国吉部落方面から真栄里方面へ数百人の住民が列をなして移動してくるところでした。
 住民は、どの顔も無気力な夢遊病者みたいなうつろな表情でした。おそらく、もうすでに肉親を失ったひとたちもいたはずです。
 頭上に突然、米軍の観測機が現れました。軍艦から大砲を撃つときの距離の測定をして軍艦に連絡するのです。このトンボと呼んでいた飛行機を見たらすぐに逃げることでした。
 私たち二人は、軍刀を手にして必死に国吉部落北側の岩山めがけて走り出しました。
 だが、このなべ、かまや食糧を頭に乗せたり肩に担ぎ、子どもを背負ったり、手を引いている避難民は、相変わらずゆっくりと国吉から真栄里へ通じるたんぼ道、あぜ道を歩いているのです。
 私たち二人は、声を限りに『走って逃げろ!』と叫ぶのですが、もう精神的に異常になっていて、何を叫んでも耳に入らない様子で、何の目標もないままにフラフラ歩いているのです。
 あのときは、私たちでも異常な状態でしたが、住民よりは兵隊はまだましだったかもしれません。私たちは、国吉部落を突っ切って、岩山までたどり着き、下の様子を見ていました。
 そしたら、戦闘機が五機編隊で飛んできたと思うや、超低空でこの数百人の避難民の群をめがけてバリッバリッと二、三回も旋回しては撃ちまくりました。
 そして、飛行機が去ったとたんに一斉に艦砲がドーン、ドーンと撃ち込まれたのです。
 丘の上から見おろしていると、夕暮れの中で、手、足、頭などが飛び散っていくのが見えるのです。小学生の帽子が、フーッと空高く舞い上がったりして、もう目があてられない状況でした。
 私たちは、任務を終えて、すっかり夜になって、同じ道を戻ってきたのですが、夜中、照明弾が打ち上げられるので、あたりの状況は昼みたいにくっきりと見えました。
 なにしろ、数百人の死体です。もう山積みみたいになっているし、その死体が無惨でした。弾が当たって身体のあちこちに穴があいているのが多かったが、手、足、頭が転がっていました。もう足の踏み場がないくらいでした。でも死体をそまつにもできないが、あたり一面血の海だったようで、どこを歩いてもぬるっとするのです。
 井戸があったが、もう血で真っ赤に染まっていました。」〉(171~172ページ)

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