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2009年5月29日 (金)

古いビデオ映像

引っ越しで、旧居では何度か見て感銘したものの久しく見直していなかった録画ビデオが出てきて見直した。平成3年に79歳で亡くなられた指揮者・山田一雄へのインタビューを中心に構成されたドキュメンタリーだ。生前は過剰なくらいのジェスチャーや厳しい練習でオーケストラ団員からは嫌われもしたと聞く。現在ではかつてほどでないのかもしれないが日本の音楽産業はあいも変わらず海外音楽家に手厚く国内音楽家に冷たいのだろう。それは朝比奈 隆と並び称せられたヤマカズこと山田一雄にもそうであったかもしれない。かくいうアカショウビンもレコード時代に朝比奈は認知していても山田氏の録音を聴いたのはCDになってからだ。リハーサル風景や戦後すぐに初演したマーラーの「一千人の交響曲」の一部映像、練習中に音楽に没頭するあまり指揮台から落ちたという有名なエピソードは音楽雑誌などで読んでいたから好奇心はあった。ドキュメンタリーでは、その逸話もご本人が語られている。そのように山田一雄という指揮者は過激で奇矯で「一風、変わった指揮者」というのが多くの音楽ファンの印象だったのではないだろうか。

しかし、このドキュメンタリー・フィルムで振り返られる氏の家族たちの人生は戦争や病で苛酷に振り回される。9人家族は戦後に4人しか残らない。特に音楽家の兄を慕い愛していた妹さんは戦中に病で亡くなり、兄の晴れ姿を見ることがなかったようなのが傷ましい。番組で紹介された、亡くなる前の兄への手紙は兄妹の愛情に溢れて胸を打つ。

昭和12年に作曲家として認められた氏は現在のNHK交響曲楽団の前身である新交響楽団の指揮者として招かれたローゼンストックの副指揮者に就く。そこでオーケストラ演奏の規範(スタイル)を学び、師の代演を契機に指揮者の道を歩むことになる。

戦時下から戦後への氏の体験談の中で苛酷な状況の中でも人々の音楽への枯渇感と熱望が氏をいやまして音楽に没頭させたことが語られる。それは平常時でも洋の東西を問わぬ人間の音楽への渇望と憧憬という衝動だ。戦中・戦後にフルトヴェングラーの演奏会に駆けつけたドイツの民衆の姿は、そのまま日本の聴衆と同じである。氏は「音楽がなければ生きていけない」という言葉が決して大袈裟ではないことを会場に溢れた聴衆を見て実感したと懐かしく語る。「新交響楽団の定期公演続行の使命を果たした」とも。使命という語に氏ならではの意味が込められていると思われる。

昭和17年には日響(現在のN響)の常任指揮者に就任し本格的な活動を開始する。番組では、その時に初めて出会ったフルート奏者の吉田雅夫氏が、その演目だったブラームスの交響曲第一番の4楽章を氏のピアノで奏でる。4、50年ぶりの出会いということだ。そのあとにマーラーの交響曲第5番のアダージョを演奏する氏の映像が映し出される。瞑目し喘ぎ声を発しながら指揮に没入する姿は没我という様である。朝比奈 隆にはない姿だと思う。

画面は一転してインタビュアーの問いに応えて氏は「戦争が終結しても、それがどういうことなのかわからない。ただ言えることは、その間に大切な家族5人を失い母と二人の兄と私の4人だけになってしまった」と答える。映像はアカショウビンも若い頃から何度も見た、昭和24年に日本初演のマーラーの「一千人の交響曲」のフィルムを挟む。

オーケストラ団員への氏の有名な語録に「もっと音楽だよ。もっと歌ってよ」という言葉を指揮者の尾高忠明氏が語っていた。それはワルターやトスカニーニが繰り返しオーケストラに要求した言葉でもある。楽器群であるオーケストラの響きにそれを求める。それは楽器を介して音に命を吹き込む必要不可欠な要求であるに違いない。楽器が妙音を奏でるという現象は正にそういうことであるのだろう。

録画を見直して、音楽家も歴史の中で生きる存在であることを痛感する。その人生と仕事に対する没入はもっとも多感な頃に最愛の家族を失った悲しみの中で磨かれた。アカショウビンの中で氏の妹さんの切ないほどの愛情に満ち溢れた手紙の文章がマーラーの音楽と共振し木霊する。そのときに音楽は人という生き物が世に棲む日々の癒しとも、あはれとも、悲しみともなって迫ってくるのである。

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