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2009年5月22日 (金)

老いと時間

 先週亡くなった囲碁棋士の藤沢秀行名誉棋聖の50代以降の生き様を専門紙などで読むと「老い」とは何かということを考えるのだ。先月の引っ越しで、埼玉では殆ど観直すこともなかったけれども段ボールを開梱したら以前収録した昔のビデオが出てきたので昨夜それを観た。16年前のNHK杯戦のもので秀行(以下、敬称は略させていただく)67歳。前年に最高齢で王座のタイトルを奪取している。相手は上村陽生九段。解説は武宮正樹。当時は十段のタイトル保持者だ。現在とは違い髪もふさふさしていて(失礼)若々しい。聞き手は小川誠子。武宮十段との会話の機微も所作も実に奥ゆかしい大和撫子である。結果は秀行の中押し勝ち。見事な芸を見せつけた。久しぶりに秀行の快心の笑顔が見られて幸だった。これも引っ越しの功徳というものだ。

 秀行は競馬・競輪や事業の失敗で多額の借金を背負い返済はもっとも多額のタイトル戦である棋聖戦を連覇する賞金で充てた。最近のサラリーマン化した棋士には及びもつかない破天荒な人生を秀行は生き抜いた。防衛戦の間の鬱屈は酒と競馬でまぎらせる。その間には前立腺ガン、喉頭ガン、胃ガンと三度のガンとの闘病も。それを乗り越え83歳の天寿といってもよい一生を終えた。知れば知るほど驚嘆する一生である。それもこれも囲碁への純粋な姿勢と探究心が寿命を支え延ばしたものと察せられる。歯に衣着せぬ厳しい薫陶には多くの弟子達が慕い集まり教えを乞うた。それは日本だけでなく韓国・中国にも多い。稀有の棋士と言える。老いと病を諦観するのではなく自らの職への求道心とも言える情熱で応える。それは本人やご家族には山あり谷ありの破天荒な生き様だろうが見事で天晴れと言うしかない。しかし一方で人には諦観と静観で応ずる場合もある。多くの市井の人々の場合はそうであろうと思う。我が母にしても静かに病と老いを受け入れながら余生を生きている。

 このような人々の生を映像として或る物語として描けば我が国の場合、往々にして観客への効果を感傷的に作為した映像になりがちだけれども、アカショウビンの偏愛するギリシアの映画監督、テオ・アンゲロプロスの作品は、歴史的背景を視野に収めた深々とした表現が日常ではなかなかはたらかない力をもって迫ってくるのである。公開時に劇場で観たときは二日酔いで不覚にも途中居眠りし同行した女性に呆れられた(笑)が昨年レンタルビデオで心して再見した。別ブログに書いた感想を転載して老いと人が世に棲む時間について考える機縁としよう。

 「永遠と一日」という作品のなかで監督のアンゲロプロスは冒頭のクレジットが終わり作品が展開しだすシーンで少年時代の主人公を海水浴に誘う友人の少年たちとの会話の中で次のように語らせる。

 「(僕たちは)時間がない」。

  それに謎をかけるようにナレーションは答える。

 「時間とは、お爺さんの話によれば、砂浜でお手玉遊びをする子供、それが時間だ」と。監督によれば、それはヘラクレイトスの定義である。そして作品の中で監督は、はっきりとではなく暗示のように、もう一人のギリシア哲学者の時間の定義で終わらせた。その説明を来日の記者会見で質問に答え次のように説明していた。

 「この作品のラストのカットは三つの時間が同時に存在しています。この三つの次元、過去、現在、未来というのは西洋哲学の中にある分類です。主人公である彼は現在に生きながら過去を生き、そして未来へと呼びかけをしているのです。同じ平面で彼はこの三つの時間を生きているわけです。すなわち、この三つの次元は別々のものとして本当は存在していないのです。現在のみが存在しているのです」と。

  過去・現在・未来とは果たして西洋哲学の専売特許だろうか。時間は存在していない、とはハイデガーの主著も読み直し問うべき説明だろう。アンゲロプロスの視線は古代ギリシアの哲学者たちの論説を踏まえている。そこでドイツ近代哲学史も俯瞰したうえでの説明と思われる。しかも監督はギリシアの先の大戦前後の歴史の生き証人である。優れた映像作家の言説は深く吟味するに値する。その奥行きを他作品で更に探っていきたい。

  プロデューサーでもある妻は夫の作品を次のように話す。

「これほど美しく愛や生、そして人間の実存、個人的な愛についてこれまで取り上げた作品はなかったと思うのです。永遠に残るようなポエム、詩を作ったと思っております」。夫への身贔屓からだけとは思えない。それは、この作品を詩と捉えていることだ。この作品が多くの人々の心を震わせる理由はここにあるのだろう。一見、晦渋で難解とも見える作品だが映像と台詞を熟視し日本語訳を辿れば心が共振する。

 

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