« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月29日 (金)

古いビデオ映像

引っ越しで、旧居では何度か見て感銘したものの久しく見直していなかった録画ビデオが出てきて見直した。平成3年に79歳で亡くなられた指揮者・山田一雄へのインタビューを中心に構成されたドキュメンタリーだ。生前は過剰なくらいのジェスチャーや厳しい練習でオーケストラ団員からは嫌われもしたと聞く。現在ではかつてほどでないのかもしれないが日本の音楽産業はあいも変わらず海外音楽家に手厚く国内音楽家に冷たいのだろう。それは朝比奈 隆と並び称せられたヤマカズこと山田一雄にもそうであったかもしれない。かくいうアカショウビンもレコード時代に朝比奈は認知していても山田氏の録音を聴いたのはCDになってからだ。リハーサル風景や戦後すぐに初演したマーラーの「一千人の交響曲」の一部映像、練習中に音楽に没頭するあまり指揮台から落ちたという有名なエピソードは音楽雑誌などで読んでいたから好奇心はあった。ドキュメンタリーでは、その逸話もご本人が語られている。そのように山田一雄という指揮者は過激で奇矯で「一風、変わった指揮者」というのが多くの音楽ファンの印象だったのではないだろうか。

しかし、このドキュメンタリー・フィルムで振り返られる氏の家族たちの人生は戦争や病で苛酷に振り回される。9人家族は戦後に4人しか残らない。特に音楽家の兄を慕い愛していた妹さんは戦中に病で亡くなり、兄の晴れ姿を見ることがなかったようなのが傷ましい。番組で紹介された、亡くなる前の兄への手紙は兄妹の愛情に溢れて胸を打つ。

昭和12年に作曲家として認められた氏は現在のNHK交響曲楽団の前身である新交響楽団の指揮者として招かれたローゼンストックの副指揮者に就く。そこでオーケストラ演奏の規範(スタイル)を学び、師の代演を契機に指揮者の道を歩むことになる。

戦時下から戦後への氏の体験談の中で苛酷な状況の中でも人々の音楽への枯渇感と熱望が氏をいやまして音楽に没頭させたことが語られる。それは平常時でも洋の東西を問わぬ人間の音楽への渇望と憧憬という衝動だ。戦中・戦後にフルトヴェングラーの演奏会に駆けつけたドイツの民衆の姿は、そのまま日本の聴衆と同じである。氏は「音楽がなければ生きていけない」という言葉が決して大袈裟ではないことを会場に溢れた聴衆を見て実感したと懐かしく語る。「新交響楽団の定期公演続行の使命を果たした」とも。使命という語に氏ならではの意味が込められていると思われる。

昭和17年には日響(現在のN響)の常任指揮者に就任し本格的な活動を開始する。番組では、その時に初めて出会ったフルート奏者の吉田雅夫氏が、その演目だったブラームスの交響曲第一番の4楽章を氏のピアノで奏でる。4、50年ぶりの出会いということだ。そのあとにマーラーの交響曲第5番のアダージョを演奏する氏の映像が映し出される。瞑目し喘ぎ声を発しながら指揮に没入する姿は没我という様である。朝比奈 隆にはない姿だと思う。

画面は一転してインタビュアーの問いに応えて氏は「戦争が終結しても、それがどういうことなのかわからない。ただ言えることは、その間に大切な家族5人を失い母と二人の兄と私の4人だけになってしまった」と答える。映像はアカショウビンも若い頃から何度も見た、昭和24年に日本初演のマーラーの「一千人の交響曲」のフィルムを挟む。

オーケストラ団員への氏の有名な語録に「もっと音楽だよ。もっと歌ってよ」という言葉を指揮者の尾高忠明氏が語っていた。それはワルターやトスカニーニが繰り返しオーケストラに要求した言葉でもある。楽器群であるオーケストラの響きにそれを求める。それは楽器を介して音に命を吹き込む必要不可欠な要求であるに違いない。楽器が妙音を奏でるという現象は正にそういうことであるのだろう。

録画を見直して、音楽家も歴史の中で生きる存在であることを痛感する。その人生と仕事に対する没入はもっとも多感な頃に最愛の家族を失った悲しみの中で磨かれた。アカショウビンの中で氏の妹さんの切ないほどの愛情に満ち溢れた手紙の文章がマーラーの音楽と共振し木霊する。そのときに音楽は人という生き物が世に棲む日々の癒しとも、あはれとも、悲しみともなって迫ってくるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月22日 (金)

老いと時間

 先週亡くなった囲碁棋士の藤沢秀行名誉棋聖の50代以降の生き様を専門紙などで読むと「老い」とは何かということを考えるのだ。先月の引っ越しで、埼玉では殆ど観直すこともなかったけれども段ボールを開梱したら以前収録した昔のビデオが出てきたので昨夜それを観た。16年前のNHK杯戦のもので秀行(以下、敬称は略させていただく)67歳。前年に最高齢で王座のタイトルを奪取している。相手は上村陽生九段。解説は武宮正樹。当時は十段のタイトル保持者だ。現在とは違い髪もふさふさしていて(失礼)若々しい。聞き手は小川誠子。武宮十段との会話の機微も所作も実に奥ゆかしい大和撫子である。結果は秀行の中押し勝ち。見事な芸を見せつけた。久しぶりに秀行の快心の笑顔が見られて幸だった。これも引っ越しの功徳というものだ。

 秀行は競馬・競輪や事業の失敗で多額の借金を背負い返済はもっとも多額のタイトル戦である棋聖戦を連覇する賞金で充てた。最近のサラリーマン化した棋士には及びもつかない破天荒な人生を秀行は生き抜いた。防衛戦の間の鬱屈は酒と競馬でまぎらせる。その間には前立腺ガン、喉頭ガン、胃ガンと三度のガンとの闘病も。それを乗り越え83歳の天寿といってもよい一生を終えた。知れば知るほど驚嘆する一生である。それもこれも囲碁への純粋な姿勢と探究心が寿命を支え延ばしたものと察せられる。歯に衣着せぬ厳しい薫陶には多くの弟子達が慕い集まり教えを乞うた。それは日本だけでなく韓国・中国にも多い。稀有の棋士と言える。老いと病を諦観するのではなく自らの職への求道心とも言える情熱で応える。それは本人やご家族には山あり谷ありの破天荒な生き様だろうが見事で天晴れと言うしかない。しかし一方で人には諦観と静観で応ずる場合もある。多くの市井の人々の場合はそうであろうと思う。我が母にしても静かに病と老いを受け入れながら余生を生きている。

 このような人々の生を映像として或る物語として描けば我が国の場合、往々にして観客への効果を感傷的に作為した映像になりがちだけれども、アカショウビンの偏愛するギリシアの映画監督、テオ・アンゲロプロスの作品は、歴史的背景を視野に収めた深々とした表現が日常ではなかなかはたらかない力をもって迫ってくるのである。公開時に劇場で観たときは二日酔いで不覚にも途中居眠りし同行した女性に呆れられた(笑)が昨年レンタルビデオで心して再見した。別ブログに書いた感想を転載して老いと人が世に棲む時間について考える機縁としよう。

 「永遠と一日」という作品のなかで監督のアンゲロプロスは冒頭のクレジットが終わり作品が展開しだすシーンで少年時代の主人公を海水浴に誘う友人の少年たちとの会話の中で次のように語らせる。

 「(僕たちは)時間がない」。

  それに謎をかけるようにナレーションは答える。

 「時間とは、お爺さんの話によれば、砂浜でお手玉遊びをする子供、それが時間だ」と。監督によれば、それはヘラクレイトスの定義である。そして作品の中で監督は、はっきりとではなく暗示のように、もう一人のギリシア哲学者の時間の定義で終わらせた。その説明を来日の記者会見で質問に答え次のように説明していた。

 「この作品のラストのカットは三つの時間が同時に存在しています。この三つの次元、過去、現在、未来というのは西洋哲学の中にある分類です。主人公である彼は現在に生きながら過去を生き、そして未来へと呼びかけをしているのです。同じ平面で彼はこの三つの時間を生きているわけです。すなわち、この三つの次元は別々のものとして本当は存在していないのです。現在のみが存在しているのです」と。

  過去・現在・未来とは果たして西洋哲学の専売特許だろうか。時間は存在していない、とはハイデガーの主著も読み直し問うべき説明だろう。アンゲロプロスの視線は古代ギリシアの哲学者たちの論説を踏まえている。そこでドイツ近代哲学史も俯瞰したうえでの説明と思われる。しかも監督はギリシアの先の大戦前後の歴史の生き証人である。優れた映像作家の言説は深く吟味するに値する。その奥行きを他作品で更に探っていきたい。

  プロデューサーでもある妻は夫の作品を次のように話す。

「これほど美しく愛や生、そして人間の実存、個人的な愛についてこれまで取り上げた作品はなかったと思うのです。永遠に残るようなポエム、詩を作ったと思っております」。夫への身贔屓からだけとは思えない。それは、この作品を詩と捉えていることだ。この作品が多くの人々の心を震わせる理由はここにあるのだろう。一見、晦渋で難解とも見える作品だが映像と台詞を熟視し日本語訳を辿れば心が共振する。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月18日 (月)

新型インフルエンザ

 転居から本日でちょうど一ヵ月。まだベランダには本を詰めた段ボールが幾つか残っている。それでも家族で生活できる環境には何となくなってきた。母は身体は弱っているが呆けることもなく気丈なところが助かる。大した女である。我が母ながら先の大戦を経て昭和、平成を生き抜いてきた一人の「女の一生」を目の当たりにする。ところが引っ越しのゴタゴタ、バタバタが少し落ち着いてホッとしていたところへ新型インフルエンザ騒動。電車に乗っても街を歩いてもマスクをした姿が増えてきた。神戸市のマスク商品は殆ど売り切れで品切れ状態とも報道されている。一難去ってまた一難。退職前から、この数年は世に棲む日々に困難と困窮は次々と襲って来る。新聞には「桐の花めでたきことのある小家(しょうか)」という子規の句が掲載されている。こちらは仕事も決まらず「桐の花辛苦重なる皐月かな」である。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2009年5月14日 (木)

ハイドンは楽し

 レコードやCDが殆どだが、音楽の楽しみはアカショウビンの道楽である。今年はハイドン没後200年。年初に目指した交響曲全曲聴覇は遅々として進まないが、この世に棲む日々の楽しみは西洋古典音楽とジャズ、少年時代に聴いた歌謡曲、欧米のポップス、故郷の島唄を聴くことである。新聞や書物の読書に倦めば音楽を聴く。

 ハイドンの音楽はモーツァルトやベートーヴェンの作品と交錯する。その天才たちからすれば、その「職人芸」は一歩譲るにしても凡百の作曲家たちと比べれば謹聴に値する。学生の頃に詩人の清岡卓行氏がアンタル・ドラティ盤で交響曲を聴くことが楽しみだということを新聞の文章か何かで読みレコードを数枚購入して聴いた。それは確かに素晴らしかった。その後、CDでも分売されたセットをいくつか購入し楽しんでいた。それが今年、没後200年でドラティの全集も安く発売された。しかし、こちらは無職・無収入の身である。買いたいけれども我慢。所有するレコードとCDは引っ越しのおりにも段ボールに詰め込んでいる。未だ段ボールをすべて開梱しておらず聴くことは叶わぬけれども今年は半年以上ある。継続して全曲聴覇と他作品も聴き続けたい。

 昨年はヨッフムのCDを、よく聴いた。その感想を別ブログから転載し、引き続きハイドン作品を楽しんでいこう。

 1967年11月にヨッフムがドレスデン・シュターツカペレを指揮しルカ教会で録音したCDでハイドンの第98番の交響曲を聴いた。この二枚組のCDには他に交響曲93番・94番「驚愕」・95番が入っている。98番は4楽章でチェンバロが通奏低音とヴァイオリン・ソロの伴奏も受け持つ面白い曲だ。ハイドンの茶目っ気というかサービス精神が楽しい。モーツァルトやベートーヴェンとは異なるパパ・ハイドンの遊び心と1楽章の荘重でパセティックな厳格さが同居する作品だ。アダージョとメヌエットもいかにもハイドンらしい。貴族に仕え楽しませることで苦心し或る境地に達した音楽家の習熟と安心が聴ける。

 ハイドンを聴く楽しみはモーツァルトやベートーヴェンに溺れたあとで息抜きの楽しみといえばあの世でハイドンはムッとするだろうか。しかし、そこにはちゃんと尊崇の念を籠めていうことである。晩年の作品に聞かれる、この遊び心とサービス精神とでもいう円熟したプロの至芸を堪能するからだ。

 ハイドンの交響曲全集は以前はアンタル・ドラティがフィルハーモニア・フンガリカを指揮したレコードしかなかった。親の仕送りとバイトで食いつなぐ若い頃のアカショウビンに全集を買う余裕はなかったから80番代以降を中心に何枚か買い聴いた。有名な名称付き以外の作品も演奏も共に素晴らしかった。粗末な再生装置だったが実に精妙なオーケストラの音に陶酔した。ドラティという指揮者もフィルハーモニア・フンガリカというオーケストラもそのときにアカショウビンは発見したのだった。その時そのうち金をためて全集を揃えようと心に決めたが世はレコードからCDに移り変わり未だに全曲セットは買い得ていない。これから買うかどうかも心もとない。青春の決心は往々にして現実化されない。経験的に反省するのである。以前と違い棚からハイドンを取り出すことも少ない。そのうち中年の衝動か老年の衝動で突如全曲聴破に走るやもしれない。何かの機縁と気分があれば。

 ところでヨッフムの演奏だ。ドレスデンの音はアカショウビンの偏愛する、シューマンの交響曲全集(W・サヴァリッシュ指揮)の響きとはかなり違う。弦楽器が艶やかでヨッフムの気合は十分。そこが少し疎ましくもある。贅沢な感想だが。アカショウビンの基準はドラティとフィルハーモニア・フンガリカにある。しかしCDで聴くフィルハーモニア・フンガリカの音はやはりレコードと違っていた。ここで多くのファンが困惑し思案するのだろう。そこでアカショウビンの場合二、三年前に、埃を被っていたレコード・プレーヤーを拭き清め、レコードも珠に聴くようになった。

 ヨッフムの1967年といえば、ドレスデン・シュターツカペレとブルックナーの交響曲全曲を再録する約10年前だ。更にその約10年前はベートーヴェンの交響曲全曲録音をベルリン・フィルとバイエルン放送交響楽団を指揮して1952年11月12日~14日の第7番(ベルリン・フィル)に始まり約10年かけて1961年1月26日~31日の第4番(ベルリン・フィル)で完成させている。ブルックナーの最初の全曲録音は1958年2月の第5番に始まり1967年1月の3番で終了した。この年はヨッフムにとって新たな境地へ踏み出す模索の年であったかもしれない。

 それはともかくハイドンは楽しい。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年5月12日 (火)

死とは?

 前回に続き、昨年の別ブログからの転載。四川省の地震から1年、現地では未だ当時の恐怖から覚めやらぬ人々も多いであろう。昨年、読んでいた本の感想との牽強付会はあるけれども継続して思考してゆく契機にはなる。(以下、転載)

 中国・四川省の地震の惨状を新聞やテレビ映像で読み見ていると、次のような文章が木霊して響き合うのはアカショウビンの性質(タチ)というものである。ともあれ引用して熟考してみよう。 

  何十万人もの人々が大量に死んでゆく。だが、彼らは死ぬとほんとうにいえるのか。なるほど彼らは命を失う。殺されはする。だが、死ぬといえるのか。彼らは、死体製造のために徴用された物資の総量を構成する断片となる。それは、死ぬことなのか。彼らは絶滅収容所で目立たずひっそりと粛正される。あるいはそのようなことがなくとも-中国では何百万もの人々が、いままさに窮乏のために餓死しつつある。

 だが、死ぬとは、死をはらんでその本質まで耐え抜くことである。死ぬことができるとは、このはらんで耐え抜くことを能くする、ということである。われわれがこのことを能くするのは、われわれの本質が死の本質をよしとするときだけである。 

 しかしながら、数えきれないほどの死のただなかでは、死の本質は立てふさがれたままである。死は、空無でもなければ、有るものが別の有るものへ変わってゆくだけの移行でもない。(以下の文は強調されている)死は、元有の本質から出来事として本有化される人間の現有に属する。このように死は元有の本質を守蔵している。死とは、元有それ自身の真理を守蔵する最高峰の山脈である。この山脈は、元有の本質の隠されたありさまを内部に守蔵し、この本質の守蔵を集成する。それゆえ、人間が死を能くするのは、元有それ自身がその本質の真理にもとづいて、人間の本質を元有の本質のうちへゆだねて固有化するときだけであり、またそのときにはじめてである。

 (以下の文も強調)死とは、世界という詩のなかで元有を守蔵する山脈にほかならない。死をその本質において能しとするとは、死ぬことができるということである。死ぬことができる人々こそが、「死すべきものども」というふうに、この語の含みに見合った意味において、はじめてそう呼ばれるのである。無数の恐るべき、死ともいえぬ死の遍在から大量の困窮がこだましてくる-にもかかわらず、死の本質は人間に立てふさがれてしまっている。人間はいまだ死すべきものになっていない。(「ブレーメン講演とフライブルク講演」所収“有るといえるものへの観入(危機))”p72~73)

 上は戦後、ハイデガーがブレーメンで行った講演でナチの絶滅収容所に言及したとしてドイツの内外で注目された二箇所の内のひとつの論説である。読み方によっては感情的な反発を招きかねないだろう。しかし、有、元有という、多くの訳では「存在」と訳されている概念のハイデガーの考察がナマの声として読むことができるのは貴重だ。

 ハイデガー哲学が「不安の哲学」といった教科書の哲学史のひとつとして済ますことができないことを上記の講演の言説で辿ると痛感する。有る、存在する、生きる、死ぬ、ということは人間にとってどういうことなのか?一人のドイツ人の執拗な追求と思索は刺激的である。驚嘆する執念というしかない。その思索の後を辿ることは自らが生きていることと、いずれ死ぬ現象に照らし合わせて啓発的なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月11日 (月)

小林秀雄の語り

  昨年パソコンが暴走し別なブログを作ったのだが、そちらへの書き込みが出来なくなったので、こちらに少しずつ転載していく。最近は物忘れがひどく持病に加え痴呆症も進行している気配も感じる。ブログが更新できなくなる前に思考をできる限り継続していけるように別ブログでの昨年の書き込みを再掲する。

 小林秀雄の講演集を聴いた。「信じることと考えること」と題された昭和49年8月5日の鹿児島県霧島でのものだ。柳田国男の「山の人生」の序文を引用して話す、二人の子供を殺した炭焼きの囚人の話にはあらためて慄然とする。文章でなく小林秀雄のナマの言葉として聞くとさらに。

 柳田は当時の自然主義の作家たちが他愛ない恋愛小説の如きものを書いて得意になっているのをみて彼らに「柳田さんは、何をしているんだ諸君は、と言いたかったんだと思うよ」と小林は言う。これが人生なんだ、自然主義文学なんか単なる言葉じゃないか、と小林は激し吐き棄てる。聴衆の殆どの若者たち(主催は社団法人国民文化研究会、夏季学生合宿教室)に小林秀雄の語気は刺激が強すぎるだろう。しかし小林の率直は恐らく年齢を超えて彼らにその先の人生を通じても伝わるだろうとも思える。

 この子殺しの悲惨な事件を小林は違ったところから見れば「こんな健全な話はない」と語るのだ。子供たちは、おとっつぁんが可哀そうでしかたがなかったんですよ、と。炭を焼きそれを麓の村で売っても米一合にしかならない極貧のなかで、こんなにひもじい思いを自分達がしていても死ねば、おとっつぁんは助かるだろう、と子は父親の持つ(本質的な)不憫さを見抜いているのだ、と。「そういう精神の力でだね、(子供たちは)鉈を研いだんでしょ」。

 この話の底に小林は、言葉にとらわれない心理学なんぞにとらわれない本当の人間の魂に感動すると強く語る。その子供達の魂がどこかにいる、僕がそういう話に感動すれば、それはどこかにいるな、とも。

 インテリゲンチャたちの言葉が多すぎる。柳田のそういう話のところまで降りていかないと日本の精神の荒廃は治まらない、とも。それは34年が過ぎた現在なおさらそのように見える。

 宣長が異常なくらいに物知りと言われた人々を嫌悪した話を語りながら小林はインテリゲンチャという連中のいかがわしさを吐き棄てる。ジャーナリズムの言葉というのはインテリの言葉しか載っていない、とも。あんなものは観念に過ぎず、日本を愛する会などと徒党を組んで日本を愛せるわけがない。日本は伝統の中で国民の心の中にちゃんとある、と。ペンクラブも一蹴だ。わたしは一人で書いて生きてきた。左翼も右翼もイデオロギーでありそれを小林は厳しく拒絶する。それは実に清々しい言葉だ。

 多くの若い聴衆からすると彼らの先輩格にも思える男が「人間は考える葦だ」という言葉があるけれども、どうもそうではないように思うが、と小林に質問する。それに小林は宣長を通して答える。

 宣長は「かんがえる」という言葉を分析し、か、は意味がなく、「んがえる」を「むかえる」と分解した。「む」は身であり、がえるは「交う」であり、自分が身をもって相手と交わる、それが宣長が説いた考えることの意味だ、と小林は説明する。これは何と面白い分析と説明だろう。だから宣長によると考えるという意味は「付き合う」ということになるのですよ、と小林秀雄は話すのである。それは対象から距離を置いて観察するという意味では決してない。そこから「信ずることと考えること」という講演のテーマへと話をゆっくり巧まず接近させる。

  最近は読書の意欲にも欠けるアカショウビンの日常だが、小林の言葉を聴いていると人間が読み、考えるという行為のシガラミと自由も想起させられる。繰り返し玩味し、怠惰な日常に活を入れていきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 8日 (金)

秀行、逝く

 将棋名人戦の第3局が行われている日に囲碁棋士、藤沢秀行の訃報を夕刊で知った。破天荒な生き様と囲碁に対する純粋な姿勢は多くのファンを持ちアカショウビンも多大の関心を持ってきた棋士である。アル中で競輪・競馬好き。昔気質の勝負師だった。碁への求道的な姿勢は中年を過ぎてから棋聖などのタイトル獲得、防衛に結実した稀有の棋士でもある。

 アカショウビンは、そういう秀行という棋士の人となりを伝え聞き、棋譜を並べることで囲碁の世界に分け入ってきた。囲碁も強い米長邦雄・将棋連盟会長との交遊も面白かった。同じ勝負師同士の世間的な付き合いを超えたもののように思えたからだ。勝負の修羅を経験した者同士でしかわからぬ阿吽の呼吸がそこに感得された。その生き様はアカショウビンがかつて愛読した開高 健の随筆にも登場する。それは実に可笑しく面白い秀行の姿が切り取られている。開高と秀行は、かつてご近所同士だったのである。それで益々囲碁はともかく人物に魅かれた。人は、そのようにも生きられる、ということに驚愕し感嘆する。

 ガンに罹患しながらも3度の手術を経て10年以上生きたことにも驚く。98年に現役を引いてからは書の世界にも遊び一芸に秀でた者の融通無碍を知らしめた。

 韓国、中国へも何度も遠征し国籍に拘らず後進の指導に努め碁の真理を追い求めた。その姿勢に日本、中国、韓国には多くの後輩がいて尊敬を集めている。ライバルの23世本因坊・坂田栄寿氏のコメントが心にしみる。「対戦成績は私の方が良かったが、才能は私よりあったと思う。昔かたぎの棋士の一人で、秀行さんのような棋士は二度と出ないでしょう」。83年の生涯は破天荒だが囲碁の純粋な求道者だった。心から、お疲れ様でした、と労いたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 7日 (木)

濃淡ある時間

 病を抱える老母と暮らし人の老いの苛酷さを思い知る。しかし救いは寝たきりにもならず呆けてもいないことである。足が弱り、動きは南米のナマケモノという生き物といい勝負である。その不如意には気丈な本人が一番苛立っているだろうが、こちらもその動きにあわせるから実に面白くもある。老いるということはナマケモノという動物に近似するということ、それは新鮮な発見だ。

 こちらも人事ではない。先日、歯痛の激痛でたまらず近くの歯科医に飛び込んだ。しかし都内のかかりつけとはエライ違い。何と治療座について30分もほったらかしである。しかも設備の心もとないこと。口内の唾液をとるバキュームもおいていない。都内の医院とは呆れるほどの貧寒な治療器具。思わず昨年、ボケ老社長の横暴にキレて退社した時の光景が再現されそうだった(笑)。しかし美人の熟女事務員さんに免じて我慢、我慢(笑)。実に悠長で乱暴な治療に堪えたのである。

 そんな異郷での生活のドタバタから気分転換すべく連休の5日は難波という街へ。何と新宿や銀座並みの賑わいである。マスコミで喧伝される「不況」がウソのようだ。実にしたたかな生活感に溢れている。東京とは異なる活気に満ちている。大阪弁特有のイントネーションで、ありがとう、おおきに、の声が実に大阪である。そういった声の優しさと親密感は江戸弁にはあっても標準語にはない響きだ。そこには人の声の持つ奥深さを痛感する。しかしながら不況の現実はハローワークや区役所に行けば判然とする。失業者と就業者の対照はこういった場所で非情だ。本日もハローワークで担当者のおざなりな対応に腹をたてた見るからにヤンキーな二人組みの兄ちゃんが怒声を浴びせていた。ことほどさように難波の賑わいとハローワークの一幕にニッポン国の現実は進行している。その荒波の中にアカショウビンも生息しているわけである。

 アカショウビンは老母の歳まで生き長らえることはないだろうが、それは或る意味でさいわいなことである。身体は、あちらこちらにガタがきている。老母と共に生きる時間は、それほど残されているわけでもないだろう。その現実を、どれほど切実に受け止め生きられるか。それは老母の時間と共振しながら身心で体験する時である。そこには人の生きる時間の多様性も経験できる。それは恵まれた日常からすれば次元の異なる濃密な時間でもある。それは死を日常の中に取り込んだ時間ということもできる。人という生き物は死を事前に覚悟する存在である。その自覚は日常の些事のなかで埋没している。しかし近親やメディアで見聞する死に、人は忽然と己の生の儚さと貴重さを覚知する。それでも受け取り方は個々人で濃淡がある。この世に棲む日々の貴重さをアカショウビンは現在の苦境のなかで刻々と体験している。それはある意味で悦びでもある。その内実は恐らく他者には計り知れない。親子といえど他者である。しかし、それは独特な関係性である。他の他人とは異なる共鳴・共振が経験されるのが不可思議だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年5月 3日 (日)

C・イーストウッド監督の新作

 先日、C・イーストウッド監督の「グラン・トリノ」を観てきた。もう一作の「チェンジリング」は既に観ているので、あれこれの作品評を読むと、こちらの評価のほうが高いような印象も持った。たまたま「文学界」という月刊誌での蓮實重彦氏らの鼎談も読んだ。このマニアックな人たちの言説は驚く指摘も多々あるけれども素人の観客とは縁遠いものである。読み流すに如かず。ところが金曜日の午後1時40分の回にギリギリで会場に辿り着いたら満席で入れず。1日は「映画の日」で千円で観られるからなのだ。迂闊だった。仕方なく午後4時の回を観た。

 蓮實氏らの話や幾つかの映画評で大体のストーリーは把握していたが出だしの葬儀のシーンとキャメラの渋さと美しさは「チェンジリング」とも共通している。そこには「古き良き」アメリカの景色と人間達が活写されていると思わせられるのである。聞けばC・イーストウッドが役者として出演するのは「グラン・トリノ」が最後ということである。作品のテーマは「父親たちの星条旗」でも扱われた人種差別と世代間抗争、男の美学、というところだろうか。それはよくわかるけれども細部の描き方に不満は残った。東洋人、黒人、中南米系の異国人たちのなかでもラオスと中国の国境間の山岳地帯に住むというモン族の米国に移り住んだ移民の人々との交流の描き方が画一的に思われた。若者たちへの演出の不徹底さも感じた。しかしながら監督演じる主役の過去を朝鮮戦争におくところは「父親たちの星条旗」、「硫黄島からの手紙」以来のC・イーストウッドの歴史理解を示している。その内実はともかく、作品では東と西の確執を超克しようという監督の意図もあるだろう。それは失敗しているように思えるのだが、超克とはあくまで現実に拒まれても敢えてそれを乗り越えようとする意志である。その意志は讃えられてしかるべきと思う。

 「父親たちの星条旗」、「硫黄島からの手紙」のように、米国側と日本側を徹底して演出すれば何か腑に落ちることもあったのだろうが、モン族の風習に無知なアカショウビンからすれば何か画一的で不満だったのである。演出が抑制が効きすぎて甘くなっているようにも思えた。基調になる演出のストイックさはともかく、細部には、もう一押しの徹底さが欲しかった。

 それはともかく、監督のメッセージは幾つか了解した。若い頃のマカロニ・ウェスタンから「ダーティ・ハリー」の無敵のアウトローも、いつか斃れるのである。その斃れ方に美学がある。それを監督は、この作品で集約し表現した。それには賛否あるだろう。けれどもスクリーンでアップになる監督の身体に老いは隠せない。年来のファンはDVDで昔の映像を繰り返し楽しむに如かずである。というわけでアカショウビンは中学生時代にイカれた「夕陽のガンマン」や「荒野の用心棒」はじめDVDで幾つかの作品を観直して楽しむのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »