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2009年3月15日 (日)

歌舞伎町・路地・真剣師

 一杯やりながらウトウトしつつ見聴きしていた夜のN響アワーは昨年のコンサート・ベスト10。それはそれなりに楽しいがアルコールが入るとつい眠気にも襲われる。ところが続けてETV特集という番組で森山大道(以下、敬称は省かせていただく)という写真家を特集していて、これが眠気も失せて面白かった。アカショウビンには未知の人だが寺山修司も高く評価した人で友人だったらしい。当時の新宿・歌舞伎町の写真は1970年代のアカショウビンが学生時代のころ以降に徘徊した場所の記憶も甦る。

 森山の作品に残されている1960年代の新宿の風景と男や女の姿には安保、学生運動の喧騒の名残と共に当時の臭気とでもいうものが彷彿とする。その作品や森山の話を見聞きすれば忽ち当時の光景が脳裏に浮かぶ。森山が撮り続けた1960年代の新宿はアカショウビンの70年代の青春とも底で繋がっている。

 1970年代も新宿は戦後のドサクサから高度成長時代の復興期を経て未だに路地に面影を残す奇妙な街だった。それは今でも場末の饐えた汚物の臭いや猥雑と共に歌舞伎町は存在し続けている。それは寺山修司が愛した新宿・歌舞伎町でもあり、学生運動の喧騒と共に団塊の世代から少し後のアカショウビンの世代まで、同時代感覚とでもいうような気分で連鎖しているのではないか、と思わせられる時空間を有する街だ。

 歌舞伎町の記憶は学生の頃に入り浸った将棋道場が起点になっている。そこを中心にジャズ喫茶、ションベン横丁、ゴールデン街、名画座、場末の食堂、飲み屋が記憶の彼方から立ち上がる。地方から上京した若者にとって新宿という街の猥雑さは激しく好奇心を掻き立て強烈な磁場を発していた。そこをうろつきまわることは森山ならずとも不気味で、いかがわしく、若者たちの視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、と精神を刺激し挑発した。

 先日、引退した中原永世名人が全盛の頃に、賭け将棋で生業を立てているアマチュアの小池重明という真剣師がいた。その強さはプロをも負かす強さだった。一時はプロへの編入の動きもあった。しかし素行の悪さがプロの理事会で却下された。それ以降の小池の人生は酒、賭け将棋、女で身を持ち崩し、坂を転がり落ちた。挙句は肝硬変に蝕まれる。人妻との逃避行で、更正しようと焼肉屋でかつかつ生計をたてるも焼け石に水。入院した病院のベッドの治療器具を振り外し自殺するように茨城県の石岡市で平成4年5月1日、44歳の人生を終えた。

 アカショウビンが徘徊した新宿の街と小池重明という真剣師の生き様と死に様が奇妙に交錯する。そこに未知の写真家、森山大道の足跡が交錯していることが面白いのだ。森山のモノクロームの作品が契機となり当時の記憶が風景と共に立ち上がる。犬の目線だという森山のアングルがいい。若いアカショウビンも新宿の時空の中でうろつきまわる犬のようなものだった。犬の視角と人の視角はそこで交錯し異世界が現出する。視線とは何か、視角、視圏とは何か、遂には存在とは何か、と問いは続く。

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コメント

いまの新宿はむかし以上ににぎわっていますが、どこかシラッとしたよそよそしさがあります。

さほど好きな街というわけではないが、以前はまだ西口の再開発も途上でうらぶれた界隈や猥雑な夜の街のにおいがぷんぷん漂っていました。

私はお酒は飲まないので、もっぱら風俗に通いつめてました。
週一回はかならず足を運んでいた歌舞伎町は懐かしいですね。

投稿: スタボロ | 2009年3月17日 (火) 午前 04時06分

 スタボロさん

 >いまの新宿はむかし以上ににぎわっていますが、どこかシラッとしたよそよそしさがあります。

 ★そうですね。新宿だけでなく日本国民が金満国家の毒にやられているようにも思います。

 >さほど好きな街というわけではないが、以前はまだ西口の再開発も途上でうらぶれた界隈や猥雑な夜の街のにおいがぷんぷん漂っていました。

 ★南口はずいぶん様変わりしました。歌舞伎町はそれからすると建物はそれほど変化はありませんが個々の店舗は昔以上に廃業・商売変えが多いようです。

投稿: アカショウビン | 2009年3月18日 (水) 午前 07時53分

森山大道とは懐かしいです。
東松照明も新宿を撮っていました。『おお!新宿』1969年。
大雑把に言えば、森山氏の方が、泥臭く、人間臭く風俗的で、東松氏の方は、新宿をあの時代状況に絡めてを知的に撮っていました。あの当時仲間達と新宿を撮った二人の写真家の違いを熱く語り合ったものです。
川田喜久治、奈良原一高、細江英公等そうそうたる写真家がいました。その中でもわたくしは、川田喜久治が一番好きでした。
あの当時の新宿は、時代を反映していました。
溜まり場の新宿西口公園、花園神社の赤テント(唐十郎、状況劇場)ゴールデン街、歌舞伎町など。今はその面影は殆どありません。
わたくしにとって、傷つきちりぢりばらばらになった友人達と一緒にいた居心地のいい「場所」であり、今から思えば、「ほろ苦い青春の街」です。

投稿: 若生のり子 | 2009年3月24日 (火) 午前 02時57分

 若生さん

 >あの当時仲間達と新宿を撮った二人の写真家の違いを熱く語り合ったものです。

 ★そうでしたか。私は写真家は藤原新也さんくらいしか知りませんが若生さんたちの熱い議論が眼に浮かぶようです。

 >川田喜久治、奈良原一高、細江英公等そうそうたる写真家がいました。その中でもわたくしは、川田喜久治が一番好きでした。

 ★それは写真集を探してみようと思います。

 >わたくしにとって、傷つきちりぢりばらばらになった友人達と一緒にいた居心地のいい「場所」であり、今から思えば、「ほろ苦い青春の街」です。

 ★私も同じような思いです。


投稿: アカショウビン | 2009年3月24日 (火) 午前 03時58分

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