« 阿波徳島の門付芸と部落の文化 | トップページ | 歌舞伎町・路地・真剣師 »

2009年3月12日 (木)

中原、引退

 毎日新聞一面に中原 誠十六世名人が引退の報。別面の記者会見の写真で、杖をついて不安定な格好で椅子に腰掛けている姿に改めて病の厳しさを痛感した。昨年8月の対局後に脳出血で緊急入院しリハビリ中との噂は聞いていた。しかし復帰ならずとは寂しいかぎりだ。

 アカショウビンが学生のころは中原の全盛時代で大山康晴(以下、敬称を略させていただく)もまだ元気だった。現在の将棋連盟会長である米長邦雄が好敵手で数々の名勝負を楽しみながらはまり込んだアカショウビンの将棋中毒はいつの間にか止んだとはいえ未だ余韻は残っている。

 中原の十連覇がかかる1982年の名人戦の最終局を今もよく覚えている。相手は加藤一二三九段。アカショウビンは加藤九段のファンなのである。新名人の誕生かもしれないというので千駄ヶ谷の将棋会館へ大盤解説を聞きに行った。解説は谷川浩司。テレビに対局場の盤面が映されていて、谷川は大盤で加藤勝ちを宣言し解説を止め、あとはテレビをご覧いただいたほうがよいでしょう、と言ってくれたのだった。加藤名人誕生にアカショウビンは自分の事のように欣喜雀躍した。加藤一二三の著書で将棋を勉強した甲斐があった、と喜んだ以上に将棋の頂上決戦の死闘に心が震えたのである。それほど中原 誠は強かった。才能では引けをとらない米長邦雄の挑戦を何度も退け、その柔軟で大らかともいえる棋風は大名人の風格を醸しだしていた。それは偉大な力士大鵬の強さと威風とも似ていた。

 先日は全盛時代には闘将とも称された、中原とは一回り近く年上の有吉道夫九段が棋界最高齢でリーグ残留を決めた。子や孫のようなピチピチの若手との一日がかりの対局は想像以上に厳しいと思われる。しかしプロは老いても若者であれ誰にでも負けたくないのである。それが勝負師というものであろう。引退の報は、その朗報を聞いたばかりなだけに残念である。しかし今後は解説や文筆をやっていかれるという。その飾らない柔和な人柄は全盛時代から将棋界だけでなく各界にファンを広げた。今後も将棋の世界の普及に大きな役割を果たすに違いない。棋界の重鎮としてこれからも頑張っていただきたいと心から願う。

|

« 阿波徳島の門付芸と部落の文化 | トップページ | 歌舞伎町・路地・真剣師 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/44328737

この記事へのトラックバック一覧です: 中原、引退:

« 阿波徳島の門付芸と部落の文化 | トップページ | 歌舞伎町・路地・真剣師 »