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2009年1月17日 (土)

声と響き

 先日、友人のN君が知人から頂いたチケットがあるのだけど、バレエは興味ない?と訊ねられ携帯で話をした。バレエって踊りの?と聞き返すと、そうだ、という。それで、どこのバレー団で会場は何処?と訊ねると、レニングラード国立バレー団で会場は有楽町の国際フォーラムだという。これは行くしかない。二つ返事でお願いした。その時は演目が何か、特にバレエに興味があるわけでもないN君も知らせてはくれなかったが、早めに会場を確認するため訪れると「白鳥の湖」である。あまりにも有名な作品だ。しかし音楽好きのアカショウビンも観るのはもちろん幾つかの旋律は聴き覚えていても全曲を聴き通したことはない。これはよい機会であるとワクワクしながら会場へ。N君とは暮れに高校の同窓生ら三人で忘年会というか飲み会以来。お礼に開演前にタイ料理をご馳走させていただいた。

 さて「白鳥の湖」である。アカショウビンはナマのバレーを観るのは学生時代にドイツのシュトゥットガルト・バレエ団だったかが「スペードの女王」を演じたのを観ていらい三十数年ぶり。

 愛好家達にはたまらないだろう有名な踊り手たちをアカショウビンはもちろん知らない。しかし興味のあるのはオーケストラ。オペラの声はなくともオーケストラを聴く楽しみは同じである。ところが会場の国際フォーラムは実に広い空間。N君から頂いた席はA席であるけれども1階の真ん中より後方の席だった。舞台とオーケストラピットまで、ちょっと遠い。舞台は鍛え抜かれた妖精のようなバレリーナ達が、それは見事な美しい踊りを繰りひろげている。音楽も時に玄妙な響きが聴こえる。これは、この席ではもったいない。全3幕の舞台の最後の第3幕は指定席を離れ、空席が目だった会場前方の右側に移動。近くに待機していた係員のクレームを少し気にしながらもオーケストラと舞台に聴き入り見入った。さいわいクレームはつけられなかった。この場を借りて係員諸嬢、諸氏の寛大な配慮に御礼申し上げる次第。

 午後6時の開演から休憩を挟み3時間近くの舞台を堪能した。N君とは居酒屋で一杯飲み感想を話し合った。それにしても新年から眼と耳の贅沢を味わえたのはN君のおかけである。聞けばN君は、この数年、新年には頂いたチケットで会場に通っているという。N君ありがとう、来年もよろしくね。

 ところで少し書き留めておきたいのは、そのような、ありがたい経験にも関わらず思い当たったアカショウビンの不満である。それは今年のウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート2009」では殆ど感じなかったがバレエ公演で気付いた、声の不在、ということである。舞台上のオーケストラもそうだが、バレエ公演も舞台では踊りがあるだけで人の声がない。それがアカショウビンには何か、ないものねだりのような感慨に浸らされたのである。

 人の声。それは格別なものである。そのないものねだりを埋めるべく数年前に購入したDVDでミラノ・スカラ座で行われた1996年の改築50周年記念コンサートを観直した。そこには実に声が溢れている。指揮はリッカルド・ムーティ。今や巨匠の域に達している風情の有数の指揮者である。合唱もソリストも選りすぐり。皮切りはロッシーニの「ウィリアム・テル」だ。そしてヴェルディ。ミレルラ・フレーニの声はイタリアの至宝のような存在なのであろう。観客の反応もスカラ座ならではだ。

 人の声とは何だろう。それは存在の呼び声というようなものかもしれない。呼びかけを聴く者は、それぞれに応答する。その不思議さにアカショウビンは立ち止まり愚考するのである。声と響き、それは、この世に存在することの何か霊妙な意味を伝えているのではないだろうか。先日、正月に母の声を聴いたときに、それが若い頃の声と変わらないことに奇妙な思いがした。それは今に始まったことではない。離れて暮らしていても電話を通じて聴く声は共に暮らしていた子供のころと変わらないのが不思議なのである。それはおそらく親子という特別な関係の中に生ずる現象のようなものであろう。

 スカラ座の合唱の声やソリストたちの声を聴いていて、人の声には、やはり何か特別なものがあるのを痛感する。それは次のような思索とも呼応する。

 有が本質現成することの、

 有に立ち去られてあることからの、

 有の忘却という

 窮し強いる窮迫を通しての[響き]。

  この忘却を、忘却として想起することにより、その覆蔵された力を出現させること、そしてその内で有の響きを出現させること。窮迫の承認。

 これは或る哲学者が彼の思索をメモのように書き留めた集積のなかの一部である。その思考とスカラ座で鳴り響くオーケストラと声の共演に通底している現象は何か?今年は、そのようなことも、あれこれ考えていきたい、と駆り立てられたのである。

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