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2009年1月12日 (月)

ブルックナーの交響曲第7番

 オイゲン・ヨッフムがベルリン・フィルを指揮した1964年の録音を聴き直した。他の交響曲に比べて神秘や崇高といったブルックナー作品に頻出するキーワードを想い起こさなくても全体に美しい仕上がりで、す~っと聞き通せる作品である。もちろんブルックナー特有の霊感に満ち溢れているのは他作品と共通する。ところが、もっと美的な印象が強いのだ。まるでギリシア時代の巨大な女神像を音で拵えたような。創作している時期はブルックナーが崇拝するワーグナーの晩年。「ワーグナーの死の予感のなか」(@金子健志氏)で最初に取り掛かったのは第2楽章で、そのスケッチを終えたのが1883年1月22日。ワーグナーは同年2月13日に死んだ。翌日訃報を知ったブルックナーは号泣したと伝えられている。

 起筆は1881年、3年かけて完成させた。初演は今では伝説の指揮者アルトゥーロ・ニキシュが29歳のときにライプツィヒで1884年に振っている。作曲者60歳の時である。ウィーンでの初演は1892年。辛口の批評家たちからも歓待された様子だ。

 ヨッフムのベルリン・フィル盤は改訂版を使用している。12 年後の1976年のドレスデン・シュターツカペレ盤ではノヴァーク版を使っているから聴き比べるのも面白い。しかし3番や4番のような作品より版の違いはほとんどみられない。せいぜい2楽章でシンバルとトライアングルを使っているかいないかの違いくらいだ。金子氏は朝比奈隆との対話で第1楽章のホルンの出だしについて話しているが、朝比奈は版の異同をそのように細かく調べて喋々するのは日本人くらいだと呵呵大笑している。さすがである。そのような議論は評論家やマニアに任せておきブルックナーの音楽に心身を任せ全体と細部の音の交響を楽しむが良しなのだ。

 ヨッフムの指揮は、透明感に満ちたとでも言えるような淀みや迷いの感じられない解釈だ。フルトヴェングラーの死から10年が経過している。録音の進歩にもよるであろうがベルリン・フィルはカラヤン好みの流麗な響きに変わっている。しかしヨッフムは最初のベートーヴェンの交響曲全曲録音とは異なるアプローチでオーケストラの音色の変化を逆用しブルックナーの心的世界とでもいうものを紡ぎだした。ベートーヴェンはヨッフムの奇を衒わぬ直球勝負の一途さが持ち味とも言える。ところが、この演奏は、ゆとりとも自信とも言える自在性が横溢している。

 全体のテンポはゆったりとしてブルックナー風である。ブルックナー特有の「音響の伽藍」的な構築性をオーケストラで現わすためには不可欠の姿勢というものである。その姿勢は第2楽章のアダージョで見事な効果を発揮する。リハーサルで62歳のヨッフムは団員たちに噛んで含めるようにスコアの解釈とブルックナーを演奏するポイントを説いたと察する。作曲者の晩年と近い歳になりブルックナー解釈と演奏にも深みが増してきていたのではないか。その証はワーグナーの体調を気にしながら書かれた第2楽章の曲想の、天上への階段をひと足ひと足踏み昇っていくかの如き音楽を聴けば納得される。その音の壮麗さは巷間引き合いに出される中世のゴシック建築の大伽藍を見上げるが如しであるが、崇高なものへの憧れと尊崇が強烈に聴き取られる。クライマックスを過ぎた辺りで静けさが戻った或るパッセージは壮大な儀式か葬礼が終わったあとの特別な時空間の中にサッと射し込む一条の光のようにも思える。茫洋として荘重な響きの海の中で天から地上に射す一筋の光。それはブルックナーの日常で不意に体験されたものの音化のようにも思われる。この録音では各パートのピアニッシモの響きの中に実に豊饒なパッセージが名手たちの技術とヨッフムの譜読みの深さとして記録されている。

 第4楽章は1楽章から3楽章までの統一感が失せている余計な楽章とマニアたちの間では論議されているらしい。しかしアカショウビンは、そのような考えと聴き方に与しない。この楽章でもブルックナーという音楽家が素朴な信仰者として神や崇高な事柄を想い描き腐心した跡が聴き取られるからだ。音楽家は作品を書き始めたときから続けてきたのと同じように曲想を音として出現させるために心を砕いている。その様子が音楽に全身を集中すれば目に浮かぶ筈だ。この作品はブルックナーの交響曲の中ではギリシア時代の女神像のように美しい。アダージョは偉大な先達を天上へ葬送する崇高さに満ち溢れている。そのような気分に支配された作品のフィナーレの終楽章でブルックナーは巨大な彫刻の女神を生きて歩ませ、自分を見上げる人間共を何か不思議な生き物を見下ろすかのようなものに拵えた。そのような不思議な絵柄をアカショウビンは妄想する。ブルックナー独特の、そのようなユーモアといった音楽を聴くのは、謹厳な人の遊び心を聴くようで楽しいのである。

 ヨッフムは12年後の1976年にドレスデン・シュターツカペレでノヴァーク版を用い再録している。演奏の仕上がりは旧全集のほうが版の異同などではなく演奏の完成度として高いと思う。それでもドレスデンの音は素晴らしい。この頃の録音ではサヴァリッシュが指揮したシューマンの交響曲全集がある。レコード時代で当時のアカショウビンの粗末なオーディオ装置でもドレスデン・シュターツカペレの音は素晴らしく響いた。あの音は、このブルックナーの録音に比べてもっと渋く人気のティンパニーも見事な響きで鳴っていた。ところが、こちらは弦も金管もずいぶん豊麗できらびやかに鳴り響いている。ティンパニーも、サヴァリッシュのシューマンとは響きが異なるように聴こえるのが多少の不満の原因でもある。

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