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2009年1月 7日 (水)

新年の門出と家族の記憶

大晦日と新年は5日まで大阪と京都で過ごした。新年のテレビはお笑い番組とウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート2009」を昨年よりはじっくり楽しんだ。テレビでは関西ならではの米團治の襲名披露と「親子酒」も。米朝一門の弟子達の口上が上方らしい。米朝も元気だ。今年は東西を問わず市井で景気回復への様々な思いが渦巻いているのも実感する。

またNHKテレビでは英国のベスというガーデニアンの番組に魅入った。庭作りを通して自然と共に生きる人という生き物の或る姿が興味深く伝えられている。それは正月を迎えて放映される意図とは別に、この世に生きる人間という生き物の意味を深く問うている。「天国」を、庭作りを通して実現しようという意思は洋の東西で通底するのかもしれない。

恒例のウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート」も昨年よりはナマ放送も再放送もじっくり見た。今年の指揮者はバレンボイム。それほど期待して見たわけでもないが、曲目も演出も、とても面白かった。バレンボイムは、今年はハイドン没後200年、メンデルスゾーン生誕200年にあたるので、どちらにしようか迷ったが、ハイドンに決めて「告別」を演奏することにした、とインタビューで説明した。メンデルスゾーンも好きだけれどもハイドン・ファンとしては嬉しい話だ。アカショウビンは若いころハイドンの交響曲全曲聴破を試みたが達成できなかった。しかし諦めたわけでもなく、昨年も幾つかCDを買い求めた。没後200年に達成できれば泉下のハイドンも喜んでくれるであろう。今年の目標のひとつに立ててみようか。

コンサートの途中で、イスラエル国籍を持つ(生まれはたしかアルゼンチンの筈だが)バレンボイムが恒例になっている新年の挨拶の前に「美しく青きドナウ」を演奏し始めたのをしばらく止めてコメントした。それは中東の新たな戦火に対する嘆きと非難の凝集されたもので、会場にいらした中東女性と思われる夫人が目頭を押さえていたのも錯覚ではなかろう。

再開された「美しく青きドナウ」のバレーは六人の男女の子供たちが妖精のように舞った。目の覚めるような青と金色の衣装をまとった子供たちの何と愛らしくも美しく輝いていることか。まさに天上の舞だった。こういう子供達の天心爛漫が中東でも一日も早く実現することを心から願わずにはいられない。バレンボイムも66歳。これからが指揮者としてもピアニストとしても円熟の境地に入っていかねばならない歳とも思われる。更なる精進を祈る気持ちにもなった。

正月の手料理で居間と台所を往復しながら、昨年の大手術で疲弊した老母は身体はともかく表情や話し方に少しの弱気も見せない。父が平成4年の4月に亡くなり、しばらく弟と暮らしたあと弟が家を離れてからは一人暮らしを続けてきた。数年前には叔父の住む千葉の近くに転居して同居しようかという話も持ちかけたが、しばらく考えさせて、と言う。数日後に、友人も多い大阪の暮らしのほうが楽だからそっちへは行かない、と言う返事。その後も相変わらずの一人暮らしなのだった。

母は父が生前の頃から祖父母の遺影に水を欠かさない。父が亡くなってからは遺影がひとつ増えたが朝夕の祈りと規則正しい生活は変わらない。今年、病が癒えれば、82歳。病や人生に対して常に前向きで強気を崩さぬ姿は、わが母親ながら何と大した女かと頭が下がる。言葉にはならなくても親子で互いの心境は推し量られる。

何となく昔話をしていて、母はアカショウビンが小学校五年生の時に授業で使った裁縫箱を今も使っているというので驚いた。箱の蓋に自分で書いた自分の名前を見て感無量。親の子に対する思いの強さと深さを噛みしめ心で手を合わせた。親不幸な息子ではあるが、親の愛の深さは以前にまして慈愛という言葉と共に実感するのである。

母の人生の一端を文字に残しておくつもりで話を聴いた。アカショウビンが子供のころから聞かされて、母の戦争体験で子供心にも、現在も、もっとも興味を持っている話のひとつである。

昭和19年、母は芳紀17歳。大戦も敗色濃厚のころだ。すでに祖父や母たち家族は、生まれてから幼少期を過ごした島根県から祖父の故郷である奄美諸島の徳之島へ移住している。島根で四人の子供を残し先妻は病死。祖父は徳之島で後妻の祖母と再婚した。祖母は産まぬ四人の子を抱え、それは苦労したのよ、と母は昔話のなかで話していたものだ。巡査から印刷業に転じた祖父の仕事は決して順風満帆だったわけでなく、母は長女として昨年亡くなった叔父と共につらい仕事もやらされたと話していた。妹は4歳で病死。成績優秀で祖父も期待をかけていた兄も結核で早世した。生まれ育った土地とは異なる海で隔てられた徳之島で生活の苦労もしながら母は娘時代を生きた。そんなころに母は祖父の白内障の治療に付き添い、有名な眼科医のいた奄美大島の名瀬へ貨客船渡った。徳之島の亀徳という港から名瀬までは数時間かかる。本土の人々に島というイメージは小さな孤島のような感じを持たれるだろうが奄美大島は沖縄、佐渡に続く広さを持つ島で、山あり谷ありの起伏の大きい地形なのである。名瀬の港は入江になっていて天然の良港ともいえる。

ところが名瀬の港に入る頃に敵機に襲撃される。最初は日本機の訓練と思ったそうだ。ところが戦闘機は、こちらに矛先を向ける。民間の船にも関わらず攻撃は熾烈を極め、船の甲板は屠殺場のようだった、と母は眉を顰めた。「台風のような」銃撃を頭部に受けた知りあいの若い女性は機銃痕から脳漿が染み出て眼は白目を剥いていた、とも。また尻から腹に銃弾が貫通した若い女性もいた、とも。負傷者や死人を、言葉から鹿児島出身と思われる兵隊が応急処置に奮闘したそうである。祖父は娘を抱きかかえて守った。機銃掃射の銃弾の破片は母の腹をかすったが命は助かった。そのお陰でアンタや弟を産み、今もこうして生きていられるのだよ、と。その船旅には空襲も多くなっていたので本当はあまり行きたくなかったのだけどね、と話し、4人の子供の中で生き残った長女である母と叔父をこよなく愛した祖父が一人で行くことも気がかりだったので、紬を買ってあげるから、という誘いにのった振りをして同行したのよ、と微笑んだ。

母は話し出すと、次から次と思い出すことが溢れてくるという風情だ。術後の疲労と膝の痛みで動きは鈍くなっているが、記憶は明瞭。声も若い娘のように楽しげだ。これから、どれくらいの余生が残っているか知る由もないが、これまでの親不幸のいくらかは返していきたいと思うのである。

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コメント

おめでとうございます。

いやー流石、アカショウビンさんらしく門出から豊穣な世界を闊歩なさっていらしゃいますね。
アカショウビンさんの感覚の中の暖かさを感じて、こちらもそのおこぼれをいただいて、様々な思いに浸っています。

もっちりしているけれど歯切れのよい米朝のこと。

>「天国」を、庭作りを通して実現しようという意思は洋の東西で通底するのかもしれない。

おっしゃるとおりですね。
わたくしの夢です。植物や動物に囲まれて、その純粋で透明な豊かさの中で暮らすことは。
その超ミニ版を、少しづつ実践しています。
あの深さには程遠いお粗末なものですが(笑)
イギリスのその伝統に培われたガーデニングを、昔、ロンドン郊外のコッツウォルズを訪れたときに、そのセンスのよさと品格を堪能しました。
お外から程よい広さのある素晴しい手作りのお庭を眺めていた時、その家のご婦人と思し召す方が丁度お出ましになり、その品いい風情が正にそのお庭にぴったりマッチして、ため息が出ました。
お互い微笑を交わしました。

お里帰りなさり、高齢のお母様との和やかなお正月のひと時を過された由、羨ましい限りです。

>祖父が心配で、紬を買ってあげるから、という誘いにのった振りをして同行したのよ、と微笑んだ。

お母様の心根の暖かさを感じて、何故かしんみりと感無量になります。
おじい様とお母様の父娘の間柄は、小津監督の映画、笠智衆と原節子のようですね。

>声も若い娘のように楽しげだ。

何よりです。
愛息子との楽しい語らいに、心が弾んでいらっしゃるご様子が、手に取るように見えます。

>これまでの親不幸のいくらかは返していきたいと思うのである。

わたくしは親不孝のしどうしで、それを挽回するまもなく母は亡くなってしまいましたが、それのできるアカショウビンさんを羨ましく思います。
精一杯お母様を愛してください。

投稿: 若生のり子 | 2009年1月 9日 (金) 午前 11時30分

 新年おめでとうございます。そしてコメントありがとうございます。

 >イギリスのその伝統に培われたガーデニングを、昔、ロンドン郊外のコッツウォルズを訪れたときに、そのセンスのよさと品格を堪能しました。

 ★それは羨ましいことです。英国庭園は、庭造りが大好きでエピキュリアンを自称していた林 達夫も高く評価していたと記憶しています。

投稿: アカショウビン | 2009年1月 9日 (金) 午後 03時00分

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