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2009年1月28日 (水)

現状の凌ぎと切り抜け

 仏教哲学では人の人生は生老病死という過程を踏む。世に棲む日々というのは喜怒哀楽で過ぎるというものだろう。しかし、その間には戦争もあり事故もあり生殺与奪もあるのが常である。生老病死の過程は決して安楽とはいえない。

 米国主導の人類の歴史過程も100年単位で俯瞰すれば、ゆっくりとマグマの移動のように大きな変化の過程にあるように思える。

 先日、NHKで先の大戦で悲惨な地上戦が現出した沖縄戦の証言テープが放送された。軍隊が守るべき地元民を斬首という残虐な方法で殺したという事実は政治家も国民も忘れてはならぬ歴史的事実だ。それに刺激されたわけでもないが、嘉手苅林昌という沖縄の歌い手のCD3枚組み「嘉手苅林昌 BEFORE/AFTERE」を購入し聴いた。昨年聴いた奄美の唄者、里 国隆の「奄美の哭きうた」でも共演していた。里の奄美の島唄には最近の洗練された若い歌い手たちの甘い声にはないブルースのような呻きと叫びがあった。嘉手苅林昌の琉球音楽にもキューバや、その他の国々に通低する民族の音楽が営々として流れている。半分も理解できない沖縄方言はユーモラスで標準語と混交した言語の姿は国家が明白に侵入している異相もありありと見える。それは痛ましくもあれば、我が身を振り返れば意識するとしないとに関わらず自らの在り方にも自ずと現われているであろう。

 先日は知人からNHKのテレビ番組をコピーしたDVDが送られてきた。別の友人に頼んでおいた、正月に放送された吉本隆明氏のものかと思ったら、さにあらず。同じNHKで放送された1969年1月、東大安田講堂での学生たちと機動隊の攻防戦の模様と何人かの学生の、その後の人生を追ったものだ。「“あの日”から40年 安田講堂落城」というタイトルが付けられている。

 

 当時の学生たちの中には投獄され出所したあと医師となって地域医療に貢献したが既に斃れた学生もいれば、大学教授として若い学生たちに当時の模様を伝える人もいる。日大全共闘の闘士としてアカショウビンも微かに記憶している秋田明大氏は故郷の呉で自動車整備工場をかつかつに経営している。同世代の知人にとっては、そういった映像が懐かしかったのかもしれない。或いは現在も政治的な関心で生活の場で戦っているのであるのかもしれない。

興味深かったのは、第19回駒場祭での有名なポスター「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」を制作した橋本治氏が当時の加藤一郎総長代行にインタビューしている場面だ。橋本氏の問いに加藤氏は「今、10年前を思い起こせば(中略)ひと昔前の懐かしい思い出となっているわけですが・・・」と答えた。橋本氏は「そうすると先生にとって東大闘争は何だったかというと、思い出に・・・」と訊ねる。すると加藤氏は沈黙したまま返答ができなかった。それは大学の「体制側」と学生たちとの立場の相克を表して象徴的な場面だった。そういった映像のなかに三島由紀夫との討論の映像がなかったのは何か理由でもあるのだろうか。番組の主眼は当時の学生たちの、その後であるにしても三島対学生という構図は明治以降の日本国の政体を含めて刺激的な渡り合いがあったのだから少しは映像で見たくもあったのだが。

中学生だった私たちの世代にとって当時の記憶はテレビで見る映像としてしか残っていない。それはまた沖縄戦の苛烈もまた同じである。

 この世で生きる時間の濃淡は人それぞれだ。戦争後の復興と繁栄の恩恵を受けた私たちの世代はある意味で恵まれた国民である。しかし昨今の現実には綻びも生じてきている。

 余談だが、ゲバラの映画が若い人たちの間でも評判になっているようだ。当時の学生たちの意識には当然ゲバラも或る一つの象徴であるだろう。中東や中南米諸国はともかく我が国の現状は全共闘の学生たちの姿を今の学生たちを対比し現在の政治の茶番を見れば、こちらの気力が失せるのも正直なところだ。しかし現実は公私共に真綿で首のようにジワジワと不安に獲り込められる気分に領されている気もする。この現状をどうやって凌ぎ、切り抜けるか。のんびりもしていられない。

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