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2009年1月23日 (金)

母へ

母よ、私とあなたや家族が共に暮らしたのは十五年間だけだった。今、あなたは病の床につき弟の世話で苛酷な手術のあとの療養の過程を生き抜いている。老いによる体の不如意の苦しさに加えて病の苦しみにも苛まれている現実を私は救ってやることができない。その歯がゆさは自らの生き方と暗澹たる心の深淵を覗き絶望の周囲を彷徨う思いだ。

父が逝ってからも、私たちは離れて暮らしてきた。共に暮らせなかったことは、ひとえに私の不徳であり精進不足と怠惰によるものだ。そのことが取り返しのつかない所業であったことを私は手術後の病院のベッドであなたの姿を見た瞬間に察し悔いた。その姿を見た時に私は、親子の生の尊厳は、あらゆる利害を超越したものであることを察知した。であれば母親の尊厳をどのように文字にすればよいのだろう。

 病とたたかう、あなたの思い出や夢の中には、幼児の私が海水浴場の浜辺の浅瀬で溺れかけ大騒ぎしたことや、幼稚園の入園式の時にあなたの姿を見失い大泣きしたこと、弟がひきつけの痙攣を起こし動転したこと、娘時代に祖父と一緒に乗っていた船が米軍の戦闘機に銃撃され九死に一生を得たことなども時に出てくることだろう。父と共に家業で必死の思いで二人の息子を育ててきたことも。この寒さが弥増す日々に、あなたは病と生活の厳しさに耐え、生涯の記憶は走馬灯のように脳裏を過ぎっているはずだ。

 あぁ、この世で親子として生きてきて、子らしい恩返しもできぬまま、あなたは人生の最後を苦しみのなかで、小さな身体をよじりながら、自らの痛みと子たちの生にまで心を痛めながら耐え抜いている。この世には、もっと苦しんでいる人々がいるだろう。しかし人の肉体と心の苦しさに果たしてどれほどの差があるのだろうか。あなたは言う。人生は苦楽共にあるもの、苦楽共に思い合わせて祷れ、と。それで苦しみが癒えるなら私も祷るしかない。

 あぁ、私達が暮らした故郷の家は未だあるだろうか?あなたが元気になれば、浦島太郎のようになって、一度そこを訪れてみたい。

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コメント

アカショウビンさんのお母様に対する心の奥底の吐露(こういう言い方をしますことをお許しください、他に適切な言葉が思い浮かばなかった故です)を拝読しますと、私の母とダブって、「人の生とは何か」とまたまた思わざるを得ません。
母は母の人生を楽しんだのだろうか?どんな夢を持っていたのだろうか?娘時代には何を感じていたのだろうか?とか。
あの時のわたくしは母を母として観る方が強く、気がついていたのに、人間として、または女としてはどうだったか?とかを話し合う機会を逸してしまいました。(無念)
母(大正3年生れ)の人生の丁度ど真ん中に個人を越えた出来事「戦争」があり、ご多分に漏れず、その戦争に翻弄された我が一家でした。(父方は軍人の家系でしたから)
また人の親となって、我が母を追い越し、生きながらえている無様な自己を見つめざるを得ません。

>親子の生の尊厳は、あらゆる利害を超越したものであることを察知した。であれば母親の尊厳をどのように文字にすればよいのだろう。

アカショウビンさんは、充分にお母様の尊厳を文字に行間に表していらしゃいます。少なくともそれをわたくしは感じます。

>あなたは言う。人生は苦楽共にあるもの、苦楽共に思い合わせて祷れ、と。

お母様ならではのお言葉です。

投稿: 若生のり子 | 2009年1月27日 (火) 午後 12時30分

 若生さん、コメントありがとうございます。

 >母は母の人生を楽しんだのだろうか?

 ★私の母は楽しんだ、というより病を抱え、たたかいながら楽しんでいる、と私は信じています。おっしゃるように戦争をくぐり抜け地獄も見た女たちの一生は、私のような、親たち世代の苦闘の恩恵だけで生きてきた阿呆よりは凡百の小説以上の面白さを経験したはずだと嫉妬さえ覚えます(笑)。それは私などが知る由もない、あえて言えば波乱万丈の人生だと思うのです。母娘と母息子関係は、また異なるでしょうが私は母親の子に対する愛は至上のものと思います。もちろん世の中には、いろいろな親子関係があります。そのなかで私の母親は生来の優しさに加えて強気の、前向きの女の一生のように見えます。あまり時間はないかもしれませんが、私は少しでも、この世での母の姿を心に刻み、朗らかに昔を思い出し、自らの余生の励みにしたいと考えています。

投稿: アカショウビン | 2009年1月28日 (水) 午後 01時46分

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