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2008年12月 6日 (土)

マキノ雅弘の映画

 先週まで池袋の新文芸座で特集が組まれた「マキノ雅弘 生誕百年記念上映会」に学生時代以来というくらい通いつめた。代表作といってもよいだろう東宝の「次郎長三国志」シリーズ9本ほか未見の作品を観るために。こういう機会は逃すと後で必ず悔やむ。無職の不安と気楽に領されながらも14日間の会期中8日通った。えらい出費である。反動が怖い。

 このシリーズは1952年から3年間で撮られている。「早い安い面白い第一主義」と評され貶されもした活動屋マキノ雅弘の面目躍如の作品群といえる。仕上がりにはムラがある。しかし映画全盛の時代を活動屋として生き抜いた職人の芸というものが随所に見られて飽きなかった。

 アカショウビンより少し上の「全共闘世代」には東映の侠客やくざ映画が人気を博し一世を風靡した。かの三島由紀夫も大好きで「日本文化の伝統を伝えるのは、今ややくざ映画しかない」と賛嘆しているから、後人は心して観なければならぬ作品群なのである。三島は鶴田浩二が好きで、「あの撫で肩」も「目の下のたるみ」も「知的な」思慮深さに結晶し、「彼をあらゆるニセモノの颯爽さから救っている」と絶賛したらしい。(@山田宏一「日本侠客伝-マキノ雅弘の世界」ワイズ出版 p29) 

 また先日亡くなられた加藤周一氏も藤 純子が1972年に引退したときに東映任侠やくざ映画路線は実質的に終わったとして「さらば藤純子」と題して次の文章を残しているという。(上書p51)

 「ヤクザ活劇の光栄は(・・・・)正に即自的に社会的・美的過去を要約しながら、その完璧な様式美に昂めたことである。すべての完璧な美のように、そこに未来はない。故に曰く、藤純子よ、さらば」。

 今回の特集で見逃してしまい残念だったのが「鴛鴦歌合戦」(1939年)。山田氏の評価では日本オペレッタの快作という。先日のブログにも書いた「ハナ子さん」(1943年)は実にアッケラカンとしたミュージカルだった。上映前に当時の軍部から検閲を受け少しひっかかったらしい。それはそうだろう。戦意高揚ならぬ小市民的な呆れた戦意衰退映画としか思えない(笑)からだ。1960年代の侠客やくざ映画に陶酔した学生運動の闘士を含めた観客からすれば口アングリの作品である。しかし、それがマキノ雅弘という活動屋の面目なのである。

 失業の身の上で時間をもてあましているとはいえ、こんなに文芸座(昔は二館あって現在の新文芸座は洋画が中心で邦画は近くにあった文芸座地下で上映されていた)通いをしたのは学生時代いらい。

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