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2008年12月28日 (日)

今年読んだ本ベスト10

 ミクシイで10冊を挙げたがコメントは長くなるので敢えて入れなかった。順位はミクシイ用に少し作為したが内容をそれほど吟味して順位をつけたわけでもない。まぁ、とにかくコメントしながら作品を想い起こしてみよう。

 ①「日本侠客伝 マキノ雅弘の世界」(山田宏一)

 池袋の新文芸座で11月23日から12月6日まで「マキノ雅弘生誕百年記念上映会」が行われ14日間で29本が公開された。マキノが生涯に撮った作品は260本余というから約一割に過ぎない。そのうち8日間通い17本を観た。お目当ては「次郎長三国史」全9作。昭和27年の第一作から評判を呼びシリーズ化されたのだろう。3年間に9本というから人気のほどが偲ばれる。“早撮りマキノ”の面目躍如である。

 山田氏の著作は、その時に新文芸座の売店で購入した。マキノ監督や森繁久彌(以下敬称は略させていただく)へのインタビューが実に面白かった。藤 純子(現在は富司純子さんだが)を時代のヒロインに育て上げていくエピソードや高倉 健他の当時の姿が彷彿としてたまらない。

 ②「非神秘主義-禅とエックハルト」(上田閑照)

 このブログで既に書いたけれども上田氏の禅やドイツ哲学、ドイツ神秘主義者たちへの造詣の深さと踏み込みかたがわかる渾身の作である。碩学が生涯の仕事を後人のために編集している。鈴木大拙のエピソードなど初めて知る事実も多く実に興味深く読んだ。

 ③「在日一世の記憶」(小熊英二・姜 尚中 編)

 今や死に絶えようとしている在日一世の人々へのインタビューと自ら綴った文章が胸を打つ。正史には現れない個人の歴史、人生の叫び、歎き、歓び、慟哭、告発が行間に溢れている。心して読まねばならぬ声の集成である。

 ④「ブレーメン講演とフライブルグ講演」(ハイデガー)

 戦後にハイデガーが公に姿を現した時の言説が読み取れる。繰り返し精読し考察すべき講演だ。平凡社から出版されている「形而上学入門」(川原栄峰訳)も繰り返し読み新たな発見がある。今年は「芸術作品の根源」(関口 浩訳)も出版された。これも面白く読んだ。翻訳の微妙な相違は創文社全集と比較すると著者の意図はほぼ掴める。ゴッホの「靴」に対するハイデガーの迫り方は小林秀雄のゴッホ論と対照させても面白い。「ブレーメン講演~」は戦後ドイツや世界の現状をハイデガー流にギリシア以来の「技術」に対する本質論を展開したもの。現在の世界の現状を見渡しても少しも色褪せぬどころか鮮やかな視角が切り拓かれている。今を生きる私とは何者なのか?という思索と反響させて考察していくべき講演だ。次々と公刊されている創文社の新全集と共に読み解きながらハイデガーの全貌を明らかにしていきたい。

 ⑤ 「三島由紀夫の死と私」(西尾幹二)

 著者はアカショウビンが現在の保守論客の中では未だに関心を持って著作に幾らか眼を通す評論家というより学者である。ニーチェなどドイツ哲学に集中すればよいのにチンピラのような連中と同調しテレビでは道化の如き姿が情けない。しかし新著は面白く読んだ。氏は三島が割腹したときドイツ帰りの新進批評家として登場している。三島への批評は当時面白く読んだ。時を経て当時は封印したという論考も収載している。その批評は今読んでも良質の批評として読んだ。

 ⑥「愛と痛み 死刑をめぐって」(辺見 庸)

 今年九段会館で行った講演の補筆版である。感想は講演後に書いたので繰り返さない。アカショウビンは講演を然と聴講したので興味深く読んだ。闘病生活の中での渾身の著作である。これほどの怒り、憤り、気概を持つジャーナリストは、この国にいかほどいらっしゃるのか寡聞にして知らない。テレビを見る限りアカショウビンは氏が「糞蝿」と唾棄する御仁が殆どなのではないかと邪推するのだが。

 ⑦「思想の危険について」(田川健三)

 有数の聖書学者がまとめた吉本隆明への痛烈な批判書である。オマージュが含意されているのが氏のスタンス。今や晩年を過ごされている吉本氏への氏の感慨も邪推されて面白く読んだ。

 ⑧「小高へ 父 島尾敏雄への旅」(島尾伸三)

 この作品も感想はブログに書いたけれども、昨年亡くなられた、著者の母親のミホさんにも言及しているので興味深く読んだ。それにしても行間に読み取られる親子の愛憎が痛ましくも切ない。

 ⑨「日本の文學史」(保田與重郎)

 保田ならではの日本文学史である。「右翼」と称される人々だけでなく日本という国土に生まれた「国民」の中核とも見做せる思考と思索が展開されている。上記の辺見氏らとは対極に立つ批評家だが、この言説を読み解かなければ国史も天皇も三島も理解はされないだろう。

 ⑩「故郷七十年」(柳田国男)

 小林秀雄が講演で引用している箇所を確認するため読んだ。柳田の神秘体験ともいえる少年時代のエピソードが興味深い。小林は柳田を引用し大嫌いな花袋らの自然主義作家を切って捨てている。小林の気迫溢れる語勢が凄い。 

昭和498月5日に小林秀雄は㈳国民文化研究会主催の夏季学生合宿教室で柳田国男の「故郷七十年」を引用して話している。

柳田は明治20年秋、13歳の時に茨木県の布川というところに開業した新婚の兄をたよって住んでいた。そのころの話である。(以下、抜粋)

布川にいた二ヶ年間の話は、馬鹿々々しいということさえかまわなければいくらでもある。何かにちょっと書いたが、こんな出来事もあった。小川家のいちばん奥の方に少し綺麗な土蔵が建てられており、その前に二十坪ばかりの平地があって、二、三本の木があり、その下に小さな石の祠(ほこら)の新しいのがあった。聞いてみると、小川という家はそのころ三代目で、初代のお爺さんは茨城の水戸の方から移住してきた偉いお医者さんであった。その人のお母さんになる老媼を祀ったのがこの石の祠だという話で、つまりお祖母さんを屋敷の神様として祀ってあった。

この祠の中がどうなっているのか、いたずらだった十四歳の私は、一度石の扉をあけてみたいと思っていた。たしか春の日だったと思う。人に見つかれば叱られるので、誰もいない時、恐る恐るそれをあけてみた。そしたら一握りくらいの大きさの、じつに綺麗な蠟石の珠が一つおさまっていた。その珠をことんとはめ込むように石が彫ってあった。後で聞いて判ったのだが、そのおばあさんが、どういうわけか、中風で寝てからその珠をしょっちゅう撫でまわしておったそうだ。それで後に、このおばあさんを記念するのには、この珠がいちばんいいといって、孫に当る人がその祠の中に収めたのだとか。そのころとしてはずいぶん新しい考え方であった。

 その美しい珠をそうっと覗いたとき、フーッと興奮してしまって、何ともいえない妙な気持になって、どうしてそうしたのか今でもわからないが、私はしゃがんだまま、よく晴れた青い空を見上げたのだった。するとお星様が見えるのだ。今も鮮やかに覚えているが、じつに澄み切った青い空で、そこにたしかに数十の星を見たのである。昼間見えないはずだがと思って、子供心にいろいろ考えてみた。そのころ少しばかり天文のことを知っていたので、今ごろ見えるとしたら自分らの知っている星じゃないんだから、別にさがしまわる必要はないという心持を取り戻した。

 今考えても、あれはたしかに、異常心理だったと思う。だれもいない所で御幣か鏡が入っているんだろうと思ってあけたところ、そんなきれいな珠があったので、非常に強く感動したものらしい。そんなぼんやりした気分になっているその時に、突然高い空で□がピーッと鳴いて通った。そうしたらその拍子に身がギュッと引きしまって、初めて人心地がついたのだった。あの時に□が鳴かなかったら、私はあのまま気が変になっていたんじゃないかと思うのである。(昭和34年のじぎく文庫p3536

アカショウビンが巣鴨の三百人劇場で聴いた小林秀雄の講演で、氏は、その文章を張りのある声で音読した。昭和49年の講演テープは同じ気迫で、やはり柳田の文章を引用している。

奥さんを亡くし14歳になる子供と他からもらった女の子がいる炭焼きの話である。彼は生活のために山で炭焼きの生業としている。作った炭を麓の村で売りに行くが生活は楽ではない。炭は売れない。売れても米一合にしかならない。ある日も手ぶらで帰ってきた。そうすると子供たちの顔を見るのが恐ろしいので、こそこそと部屋に入り昼寝した。ふっと眼が覚めると音がする。そうすると子供が炭焼きの鉈を研いでいる。それを女の子が見ている。そのとき夕日が一面にあたっていた。そして子どもたちは近くにあった丸太を枕に横になり「おとう、俺たちを殺してくれ」といった。そのときクラクラと眩暈がしてわからなくなり鉈で子どもたちの首を切ってしまった。そして自分も死のうとしたがうまくいかないで里でうろうろしていたところを警察(巡査)に捕まった。この話を柳田は序文に代えた。

この逸話に小林は鋭く反応した。講演で聴いた小林の語勢は気迫に満ちていたことをアカショウビンは今でも鮮やかに想い起こす。それは氏が当時の時代状況の中で並々ならぬ意識で、その文章を読んだ事が直感されたからだ。

49年の講演テープの中で小林は次のように語っている。

そのころ文壇はつまらん心理的な小説を書いて自然主義文学が威張っていた頃に柳田さんは苦々しく思い「何をしてるんだ諸君」と柳田さんは言いたかったのだ、と僕はそう思う。人生とは囚人の人生にあるようないくつもの悲惨なことを抱えているものだ。つまらない恋愛小説を書いて、それが人生の真相だと言っているものに真実などはない。その子供は、こんな健全なものはない。

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2008年12月25日 (木)

今年観た映画ベスト10

 今年を振り返り面白かった映画を想い起こし記憶に留める。ただし必ずしも今年発表された作品とは限らない。劇場とDVD、旧作・新作が混在している。暮れも押し詰まり暢気にしてもいられない。ミクシイというSNSではコメントを入れなかったが、何でこんなのを?と訝る御仁もおられると思うので注記する。

 「蜂の旅人」(テオ・アンゲロプロス監督)②「紅夢」(張 藝謀《チャン・イーモウ》)「この自由な世界で」(ケン・ローチ監督)、④「告発のとき」(ポール・ハギス監督)⑤「靖国YASUKUNI」(李 纓《リ・イン》監督)⑥「イチかバチか」(川島雄三監督)⑦「夏至」(卜ラン・アン・ユン監督)「長江哀歌(エレジー)」(賈樟柯《ジャ・ジャンクー》監督)⑨「西の魔女が死んだ」(長崎俊一監督) ⑩「落語娘」(中原 俊監督)

 ①春に北千住の自治体ホールで観た。昨年その会場では同じ監督で長年未見だった大作「旅芸人の記録」をやっと観ることができた。その時は二日酔いで途中不覚にも居眠りしてしまった(笑)

 作品の内容は、かつて教師として家族をもち人並みの生活をしていた男が或るとき家族を捨て衰退の一途の養蜂家になり各地を移動して暮らす姿を描く。導入部は教師業からすれば中年男には苛酷ともいえる生業にうらぶれた風情を醸しだす中年男が娘の結婚式に出席するところから。結婚式での夫と妻、父と娘、母と息子の姿、親戚や友人たちの姿が織り込まれたあと物語は旅に出た男の姿をテオ・アンゲロプロス独特の映画用語でいう「長回し」で撮り続ける。その間にはヒッチハイクで拾った若い家出女との出会いと別れの逸話も挿入され老いた男と若い女の性的魅力が対照的に描かれるのが哀れである。女と別れた男は最後に子供の頃に遊んだ土地を訪れ思い出を呼び起こす。そして自らの生業としている蜂を解き放ち彼らに刺されて死ぬ。

 こんな要約では作品の豊饒な世界の何の説明にもならないのは承知のうえ。アカショウビンは書き留めることで記憶を呼び起こし作品の各場面を想起しているのをご理解されたい。

 ②レンタルビデオで観た。ぜひともデジタル修正してDVD化してほしい張 藝謀の傑作である。物語は昔の中国の金持ちの商人の愛妾として一生をおくった女の生を辿るだけの簡素なもの。しかし今や世界的な人気監督に駆け上がった天才の才覚が画面の端々に溢れていることは場面に向き合わないと感得できない。日本人からすれば異文化の風習と、中国人からすれば描かれた時代の政治的背景や空気まで監督は吹き込み得ているのではないか。実に完成度の高い出来栄えに感嘆する。絶妙な色彩感覚を持つ張 藝謀の面目躍如。主演のコン・リーが美しく気高く哀れだ。

 ③ロードショーで渋谷の劇場で。監督は英国の「社会派」と見做してよい作風を主張として有する映像作家である。英国からのアイルランド独立戦争に身を投じる少年達の悲劇を描いた「麦の穂をゆらす風」(2006年)という作品に感嘆しファンになった。英国でのロシア移民たちの生活を描いて現実の苛酷に暗澹となる。かつてのドイツにおけるトルコ移民問題が今や英国でロシア移民問題となり現実化している現状を告発している。前作と比べると現在の社会問題を扱っているためドキュメンタリー的要素を盛り込み工夫するところに才覚を感じる。

 ④これもロードショー館で。主演のトミー・リー・ジョーンズとスーザン・サランドンの名優の演技に感服。イラク戦争の実態の一端を、かつてヴェトナム戦争での米国の横暴と悪事と罪を暴いた諸作に連なる作品とも見做せる。現実はこんなメロドラマタッチでは済まされないだろうが。

 ⑤このブログでも書いたので繰り返さない。

  ⑥天才川島の遺作。伴淳三郎が内田吐夢の傑作「飢餓海峡」での刑事役を彷彿させる名演技で見事。「喜劇映画作家」と分類される川島が「社会派」として新たな展開が期待される作品だが筋萎縮性側索硬化症(米国の有名野球選手、ルー・ゲーリッグが罹患して亡くなったため当時はゲーリッグ病とも呼ばれていた)という難病で早世したのが惜しまれる。

 ⑦実にしなやかで繊細でアオザイのように鮮やかなヴェトナム映画だ。戦後の荒廃から30余年、蓮の花のように美しい作品が生まれたさいわいを言祝ぎたい。処女作「青いパパイヤの香り」(1993年)も素晴らしい。

 ⑧生まれた村がダム建設で水没してしまった女性の或る頃の生き様を描いた作品。主演女優の憂い顔が切ない。

 

 ⑨平日の新宿の映画館は女性たちで満席だった。なるほど長崎監督の女性的ともいえる細部にまで気配りがゆきとどいた演出の賜物であると納得した。原作は読んでいないので比較はできないが映画は素晴らしい出来栄えと感嘆した。主演のサチ・パーカーの姿がえもいわれぬ気高さと美しさを醸し出している。祖母と孫娘の関係の理想はああいうものであろうと思う。DVDで観直してみよう。

 ⑩中原監督の円熟ぶりが実感できる作品だ。このような中堅ベテラン監督の存在は日本映画界の将来に幽かな光を期待させる。主演の女優の熱演もいいが、それを上回るのが津川雅彦の怪演だ。落語はきらいだという諸氏にも楽しめる仕上がりではないだろうか。落語が好きなら更に味わい深く楽しめる。

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2008年12月18日 (木)

問答の可笑しさと神秘的思考

  桂 枝雀の落語を聞いたことのない方には、その絶妙の面白さが伝わらない。だけれども、文字にして面白い場合がある。そうすると何やら別な意味をもって何かが現れるような気もする。書き写して眺めてみよう。 話は「鷺とり」。昭和56年10月6日、「大阪サンケイホール」での収録である。話のマクラに続く以下の枝雀節が可笑しい。

 「おまはん、あの何じゃで、どこにいてなはんねん。いっぺん聞こうと思たんやけども」

 「何ですか」

 「おまはん、今どこにいてんねちゅうねん」

 「えぇ、えぇ、どこにいてんねて、あんたの前にこうして座ってますけどね」

 「え、そうそう、いや、ま、そらわかったるけどな、お尻はどこに落ちつけてんね」

 「ええ、こうして座布団の上へ落ちつけてますけどね」

 「いやいや、寝起きしてるとこを尋ねてんねん」

 「おかげさんで、布団のなかです。まだ表で寝るところまでは落ちぶれてまへんねん」

 「いやいや、違うがな。お前の住んでるとこを尋ねてんねん」

 「住んでるって、人、狸みたいに言いなはんな。それやったら十かいの身の上でんね」

 「え?」

 「十かいの身の上でんねん」

 「お、これこれ、何じゃで、わしゃ、二階建ての家ちゅうのはちょいちょい見ることあるけど、十階とはまた高いとこへ住んでんな」

 「いやいや、私も二階ですけどね、よその二階に厄介になっていますので、二階とやっかいと合わせて、もう」

 「ややこしいもん合わせなはんな、これ。何ぞやってんのか」

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 それは問いと答えの間に生ずるズレの面白さというものである。ぜひ、CDなりDVDで楽しんでいただきたい。その面白さは文字でも可笑しいが枝雀の声と語りで聴けば卒倒しかねない。

 同様な、「隔靴掻痒」と例えられもしよう、不満とも苛立ちともなって読む者に興味と関心を掻き立てる次の文章の不思議な不可解さは、先に挙げた枝雀の噺と、底というか裏というか、そういうところで、合い通じるものも関知されそうな。とにかく写しておこう。

 そして有(以下の文の同語の右側には、すべて黒点が付されている)の接合条理の内へと接ぎ合わせつつ、われわれは接合の指示に従って神々に仕える。(注 「接合~」は強調の読点が付されている)

 探求することそれ自体が目標である。そしてそのことが意味するのは、「諸々の目標」がなおもあまりに前面に出過ぎたものであり、いつも有の前方で設定されてしまい-したがって必然なものを埋め塞いでしまう、ということである。

 接合の指図に従って神々に仕える(「接合~」は強調の読点が付されている)-これは何のことなのか。神現(GÖtterung)の開けがまずはなおも語り拒まれたままであるがゆえに、神々が決定されざるものであるとすれば、どうだろうか。上記の[接合の指図に従って神々に仕える]語が意味するのは、この開けを開き明けることのなかで任に用いられることGebrauchtwerdenのために、接合の指図に従う、ということである。そして、まずこの(「この」に強調の読点)開けの開性をあらかじめ気分において調え、この開性に向けて気分の調えを実行しなければならない者たちは、最も苛酷な任に用いられている。そのことを彼らは、真理の本質を究思して問いへと高めることによって、なすのである。「接合の指図に従って神々に仕える」-この語が意味するのは、遥か離れて外に-「有るもの」とその諸解釈の(世間的)通用性の外部に-立つということであり、最も遠い者たちに属すということである。これら最も遠い者たちにとり、神々の出奔は、その最も遠方への脱去における最も近いものでありつづける。

 これは我が国の祝詞ではなく、また呪文でもなく、哲学的言説というにも、あまりに神秘的な衣を纏った姿をしている文言である。それは、「これは、このような意味なんですよ」と説明、解説すれば事足れることを語ろうとしているものなのだろうか。どうも、そうでないようにも思える。それで済むものではない響きを聴き取るのは錯覚だろうか。それは、この記述の前に次の文章があることによって、かろうじて、その難解さに挑ませる力を掴む気がするからでもある。

 稀なる者たちのために。彼らは孤独への最高の勇気を携えて有の高貴さを思索し、その唯一性について語る。

 稀なる者たち、というのは記述者が待ち望む人類の歴史の遥か先に出現するであろう人のことである。それは喩えは適切ではないが釈迦やイエスのような人なのかもしれない。そのような人たちを想定して記述者は彼らと有について何事か、それは神秘的としか受け取れないような言い方で述べるのである。

 では、先に写しとった枝雀の落語をCDで聴いて面白さがよくわかるように、果たしてこの文言が書いた人の原語として、また言葉として聴かれれば理解できるだろうか。翻訳された文章を読むよりは幾らか理解が深まるかもしれないが、かえって更なる深みにはまっていくような(笑)疑念も湧いて来る。それよりは、ドイツ語から日本語に翻訳された記述として眺め、あぁなのか、こうなのか、と今のところは繰り返し昧読するのが神秘の奥に何か灯りのようなものを発見する生兵法のようにも思うのだが。

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2008年12月14日 (日)

「篤姫」の最終回を楽しむ

 今年は実に久しぶりにNHKの大河ドラマを楽しく観て一年が早く過ぎた。昨日は先週観逃した回を再放送で観た。そして本日の最終回に臨んだ。通常の放送時間を超えて放映されたのも納得。宮尾登美子氏の原作を演出スタッフ、主役から脇役まで出演者たちが熱演したことを言祝ぎたい。最終回は回想シーンを挟みながら小松帯刀の死には号泣。36年の生涯は今から思うと短いようだが薩摩武士らしく太く短く生きたとも思える。自らを振り返り忸怩たる思い(笑)にも。西郷・大久保の最期もサラリと。脚本やスタッフ諸氏と宮尾氏の(原作は未読だが)幕末観を示し、ナルホドと思った。好みや視点、史実に対する異見はあろうが、実に新鮮な幕末史だったと思う。出演者はじめスタッフ諸氏の御健闘を心より賛嘆したい。

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2008年12月11日 (木)

任侠ヤクザ映画を楽しむ

 先週、映画監督マキノ雅弘の作品を集中して観たあと、引き続き高倉 健(以下、敬称は省略させていただく)、藤 純子主演の加藤 泰監督が受け継いだ任侠やくざ映画の未見の作品をレンタルDVDで続けて観ていると何か血が騒ぐ(笑)。アカショウビンが学生の頃は学生運動が収束の過程にある頃だった。映画といえば当時の欧米作品から黒沢作品や小津の往年の日本映画にも親しんでいった。そして、たまに上映された吉永小百合特集の日活映画や東映任侠映画はリバイバルで観た。

 しかしマキノの戦前・戦中、戦後のモノクロ作品から昭和30年代以降のカラー作品を観ていると、映画がいかに大衆娯楽であったかという思いを新たにする。当時の庶民の楽しみの一つは映画だったのである。地方で旅役者たちの芝居を楽しみにしていた人々には映画は安くて楽しめる娯楽として登場した。マキノ正博がマキノ雅弘に改名して取り続けた戦後の作品は正に玉石混交の時代といえる。

 マキノ雅弘は生涯に何と260本余の作品を撮っている。正に活動屋、映画職人である。会社の方針・計画に従い何でも撮る。それは寡作で完全主義者の小津安二郎ら芸術派とも称される巨匠たちとは対極に立つ映画監督である。敗戦後の物資不足の世に映画という娯楽を届ける使命感でマキノは作品を撮り続けた。その過程で国は復興の息吹のなかで観衆の好みも変容していく。その大きな、うず潮の中に古い映画作家たちも翻弄される。黒沢や小津は自らの作品への完璧主義から世界に通用する作品を完成させることが出来た。しかしマキノはどうか。晩年の任侠映画路線で到達したのは芸術性とは無縁に撮り続けた人の様式美(@加藤周一)というものである。作品構造は、どれもさほど複雑ではない。利権にまつわるヤクザと侠客の確執に絡む義理・人情など多くの日本人の感性に訴える内容である。

 それが加藤 泰らの次の世代の監督たちに継承され加藤周一や三島由紀夫らの知識人、小説家に礼賛され斜陽になりかけの映画館が久しぶりに若い観客を獲得する。

 その作品群は、加藤周一が藤 純子の引退に際し「ヤクザ活劇の光栄は(・・・)正に即自的に社会的・美的過去を要約しながら完璧な様式美に昂めたことである。すべての完璧な美のように、そこに未来はない。故に曰く、藤 純子よ、さらば」とか三島が「日本文化の伝統を伝えるのは、今ややくざ映画しかない」と絶賛したことに裏打ちされている。

 失業の身の上で映画館通いは家計に響く。しばらくはレンタルDVDでの鑑賞で自粛しよう。とはいえ、健さんの男気や藤 純子の匂い立つような色香は実に感嘆おくあたわずである。

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2008年12月10日 (水)

死刑制度反対の一つの論拠

 EU諸国の中でフランスが死刑制度を廃した論拠のうちにミシェル・フーコーの反対理由も国内では議論された事と察する。辺見氏の新著「愛と痛み 死刑制度をめぐって」(毎日新聞社 p67)には注釈で紹介されている。要約すれば次の通り。

 フーコーは死刑制度と終身刑にも反対する。近代において監視や管理が強化され、公共圏(これは辺見氏が忌避する我が国の「世間」とは異なる、ハンナ・アーレントやユルゲン・ハーバーマスが用いる意味であろう)が縮小してゆく過程を「生権力」という概念を用いて分析し監獄における囚人の待遇改善を求める政治行動にも参加した。フーコーは死刑を刑罰機能や精神医学との関係から捉える。その論旨は、死刑と終身刑は、犯罪者の矯正は不可能だとする理由で行われるが、犯罪者の矯正可能性を判断するのは司法でなく精神医学であるとして、精神医学のくだす判断自体、純粋に中立的な判断とは断定できないのだから、矯正(不)可能性に関する判断を司法は(精神医学自体も)すべきでない、というものだ。

 この論理はフランスやドイツの西洋流とでもいうものである。デカルト、カント以来の近代西洋哲学の主柱ともいえる論理学に鑑みた論理展開といってもよい。敢えて言えば近代西洋哲学の歴史に棹差した論理の内での反対論で、観念論の呪縛から脱却していない消極的反対論と見做しても差し支えないと思う。ハイデガーが批判したカント以来の近代西洋哲学への視角をフーコーが知らないはずもない。しかし現在のところフーコーの論拠は辺見氏の著作の注釈で知る限りであることはお断りしておく。フーコーの著作で辺見氏指摘の箇所を特定し更に考察していきたい。

 それではアカショウビンは、どのように反対論を展開できるだろうか。欧米の近代史は辺見氏もインタビューで対した米国のチョムスキーが告発するように血塗られたものだ。その矛盾を乗り越えるというより偽善とも欺瞞ともいえる論理で制度を廃した。そこには伝統的なユダヤ・キリスト教的土壌やバチカンの意向もはたらいているだろう。それは政治的、宗教的な土壌と歴史過程も踏まえた偽善といってもよろしかろう。それでも我が国のように間接的な殺人に加担することに同意する国民が7割~8割生活している現実の愚劣よりはまし、と辺見氏は唾棄するのだ。

 アカショウビンの反対理由は、かつて小田 実が叫んだ「殺すな」という絶叫とでもいうような声に耳傾けようではないか、というものである。そこに聴こえるのは空襲で焼き尽くされた大阪で無辜の死の姿を目の当たりにした人間の発する声でもあろう。それはやられたらやり返すという職業軍人の冷徹な思考ではなく、虫けらのように親・兄弟を殺戮された人間の根底からの声とも解される。

 それにひとつの説明を加えれば人間以外の動物・植物・生物の生命も含みこみ世界・宇宙を捉えようとする仏教的な生命観が突破口となるかもしれない。大拙の禅を通じた仏教の宇宙観・生命観は西洋にも理解される言説・論説であるようだ。そこに東は東、西は西といった二元論を越える豊饒な思索の可能性が発見できそうにも思うが如何であろうか。それが消極的な死刑制度反対論から積極的な反対論に変容するのは一人一人の思索と行動にかかっていると思われる。

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2008年12月 7日 (日)

加藤周一氏・追悼

 アカショウビンは加藤周一氏の著作の熱心な読者ではない。学生の頃に「雑種文化論」を読んでから興味はあったが熱心な読者のように新刊が出るたびに買い求めることもなく、興味を惹いた本はたまに購入する程度の読者である。購読紙は毎日新聞だから朝日新聞の夕刊に掲載されていた「夕陽妄語」(「夕陽」をセキヨウと読むのは、かなり後で知った《笑》)は駅売りでたまに買う程度で最近はほとんど読まなくなった。別に政治信条が変わったわけでもなく、学生の頃から心情的に左翼や右翼を問わず興味ある論考には眼を通してきている。十年くらい前は吉田秀和氏の音楽評と共にマメに読んでいた。そこで展開される巧みな論説と該博な知識は、本日の朝日新聞で大江健三郎氏が書いておられるように「大知識人」という形容が少しも違和感のない言論人だった。老いてなお護憲派として舌鋒鋭く時局に発言していたことは周知の通りである。

 「夕陽妄語」は1984年から継続して書かれていたらしい。朝日であるから当然政治的発言は左翼的論説になる。しかし、それだけでは収まりきれないのが「大知識人」たるところだ。欧米の実状にも詳しく、母国の歴史、現実を見る眼は、そこらの並みのサヨクやウヨクの言説を遥かに超えていた。著作の不熱心な読者としても新聞に書かれた論説を読むのは楽しみだった。

 5日に亡くなられたのを知ったのは昨年から始めたミクシイというSNSの書き込みで。追悼を書くような読者ではないが気になった論説も思い出され昔の新聞記事の切り抜きを引っ張り出した。1997年10月22日の「夕陽妄語」である。タイトルは「宣長とバルトーク」。その頃に氏が読まれていたという宣長晩年の随筆『玉勝間』を枕に説き起こしている。

 (宣長が)「皇国は万国にすぐれる」という「ナショナリズム」を抽(ひ)きだすことは、論理的にも実証的にも不可能である。宣長が敢(あ)えて不可能を企てたのは、なぜだろうか。『玉勝間』の「ナショナリズム」の内容は、漠然として、とりとめのないものである。しかし同時に、「ナショナリズム」の感情がいかに深く人の心に根ざしたものであるか、を示している、と私には思われる。

 と書いてハンガリーの作曲家バルトークの話に飛ぶ。それは第7回吉田秀和賞を受賞した伊東信宏氏の著書「『バルトーク-民謡を「発見」した辺境の作曲家』(中公新書、1997年)の論説を介するナショナリズム論である。

 バルトークの仕事と宣長の仕事が異なるのは、バルトークがナショナリズムに動機づけられながら民謡を収集し分類する過程で徹底的に分析的な態度をとり、遂に音楽的「ハンガリー心」の内容を、明瞭で普遍的な概念の組み合わせによって、叙述するに至ったからだと説き、ハンガリーのナショナリズムの呪力から免れ、もはや正体不明の『ハンガリー』なるものに振り回されなくなった、という伊東氏の文章を引き次のように述べる。

 そこには「ナショナリズム」を克服する一つの道があった。「『ハンガリー性の核』という考え方」、すなわち「ナショナリズム」の「呪力」の、否定ではなく肯定から出発して、その正体を見きわめることにより、その呪力から自己を解放する。―それはほとんど、「ナショナリズム」の肯定の否定を通じて、それを創造力に転化する、弁証法的過程である、といってもよいだろう。しかるに宣長には否定の契機がなかった。彼の過程は、きわめて複雑だったが、大すじにおいては直線的で、弁証法的ではなかったのである。

 バルトークの「ハンガリー」は日本に、「音楽」は文化一般に置き換えて読むこともできる。宣長の18世紀後半は20世紀後半に、「から心」は「アメ心」に読み代えることもできるだろう。

 このように明晰で闊達な思考を継続できる知性は稀有のものとも思える。氏は小林秀雄が「本居宣長」を上梓したときも鋭い批評を書かれていたと記憶している。今は手元にないが、加藤氏の視角は同書を評した文章のなかでも際立っていた。保田與重郎が絶賛していたのとは異なる角度から明晰に批評されていたように思う。

 右よりの論壇人から見ればサヨクの大御所なのだろうが、半端な知識では太刀打ちできない知識人だった。護憲派からすれば力強い同調者を失った。ウヨクからすれば煩わしい敵が一人いなくなったことになるだろう。

 それはともかく、氏の仕事は、これから全貌が見えてくる。その言説・論説を受け継ぐ人物はいるのだろうか。アカショウビンも少しは著作にも目を通していきたいと思う。

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2008年12月 6日 (土)

マキノ雅弘の映画

 先週まで池袋の新文芸座で特集が組まれた「マキノ雅弘 生誕百年記念上映会」に学生時代以来というくらい通いつめた。代表作といってもよいだろう東宝の「次郎長三国志」シリーズ9本ほか未見の作品を観るために。こういう機会は逃すと後で必ず悔やむ。無職の不安と気楽に領されながらも14日間の会期中8日通った。えらい出費である。反動が怖い。

 このシリーズは1952年から3年間で撮られている。「早い安い面白い第一主義」と評され貶されもした活動屋マキノ雅弘の面目躍如の作品群といえる。仕上がりにはムラがある。しかし映画全盛の時代を活動屋として生き抜いた職人の芸というものが随所に見られて飽きなかった。

 アカショウビンより少し上の「全共闘世代」には東映の侠客やくざ映画が人気を博し一世を風靡した。かの三島由紀夫も大好きで「日本文化の伝統を伝えるのは、今ややくざ映画しかない」と賛嘆しているから、後人は心して観なければならぬ作品群なのである。三島は鶴田浩二が好きで、「あの撫で肩」も「目の下のたるみ」も「知的な」思慮深さに結晶し、「彼をあらゆるニセモノの颯爽さから救っている」と絶賛したらしい。(@山田宏一「日本侠客伝-マキノ雅弘の世界」ワイズ出版 p29) 

 また先日亡くなられた加藤周一氏も藤 純子が1972年に引退したときに東映任侠やくざ映画路線は実質的に終わったとして「さらば藤純子」と題して次の文章を残しているという。(上書p51)

 「ヤクザ活劇の光栄は(・・・・)正に即自的に社会的・美的過去を要約しながら、その完璧な様式美に昂めたことである。すべての完璧な美のように、そこに未来はない。故に曰く、藤純子よ、さらば」。

 今回の特集で見逃してしまい残念だったのが「鴛鴦歌合戦」(1939年)。山田氏の評価では日本オペレッタの快作という。先日のブログにも書いた「ハナ子さん」(1943年)は実にアッケラカンとしたミュージカルだった。上映前に当時の軍部から検閲を受け少しひっかかったらしい。それはそうだろう。戦意高揚ならぬ小市民的な呆れた戦意衰退映画としか思えない(笑)からだ。1960年代の侠客やくざ映画に陶酔した学生運動の闘士を含めた観客からすれば口アングリの作品である。しかし、それがマキノ雅弘という活動屋の面目なのである。

 失業の身の上で時間をもてあましているとはいえ、こんなに文芸座(昔は二館あって現在の新文芸座は洋画が中心で邦画は近くにあった文芸座地下で上映されていた)通いをしたのは学生時代いらい。

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2008年12月 5日 (金)

死刑制度再々再考。

 辺見 庸氏の「愛と痛み 死刑制度をめぐって」(毎日新聞社)が発刊されたのを新聞広告で知りさっそく購入し読んだ。この著書の元になった講演は4月5日に行われアカショウビンも会場の九段会館まで出かけ聴いた。そのときのメモを元にした感想はこのブログにも書いたので繰り返さない。講演原稿を修正して文字にされた著書を読み終えて新たな感想も得た。そこから、この制度への新たな考察を継続してみたい。

 いうまでもなく日本国はこの制度を世界の趨勢にも関わらず頑なに維持し続ける国民国家である。EUに加入するためには死刑制度を排した国家というのが条件である。EUのホームページに記されている文言はアカショウビンも読んだ。しかし、そこにある理念はともかく9・11のときの彼の国々の偽善といってもよい欺瞞は辺見氏も承知している。そのうえで氏は彼の国々と日本国の差異を絶望的な憤りを込めて告発するのである。そこに氏の独特の踏み込みがあり共感せざるをえない。それは間接的な人殺しという制度への加担を偽善にしろ欺瞞にしろ拒絶する国々と、平気にか無念の思いからか敢えて承諾する国民に支えられた国の間に存する何か決定的な違いと見なしてよかろうと思う。

 この国では統計によれば7~8割の国民が制度を認めているといわれる。それは刑の執行を公開にしろ非公開にしろ、それを見せしめにして凶悪犯罪を抑止する意図とそれを容認する国民の合意を元に制度を維持し続ける国の是非が問われていることでもある。絞首にしろ、かつての磔刑、銃殺、斬首(現在もある)という残酷な刑にしろ、それを容認し、その現場を眼にする状況というのは如何なる現象なのか?そこで人は或る種の恍惚境に支配されているのではないか。そこで憎しみは殺人の現場に居合わせ忘我状態になるのであろう。

 江戸から明治にかけて、そのような見せしめの刑が執行された。世界史ではイエスの殺人に為政者と民衆が加担した。EUが死刑制度を廃止したのには宗教的土壌を強く意識した歴史認識がはたらいているはずだ。偽善といい欺瞞と辺見氏が指摘するところは、そのような異文化に対する鋭い違和があるに違いない。その意識をアカショウビンも共有する。しかしながら氏はマザー・テレサというキリスト者の言説 ・行為を引き合いに出し「愛」という優れて西洋的な概念を通して死刑制度を弾劾する。

 氏がこの著作で十分に展開されていない論説があるとすれば死刑制度とキリスト教という宗教土壌の下での様々な論説の展開と確執であるに違いない。それはマザー・テレサという稀有の女性の書かれた言葉と行動に眼配りすることで済むものではない。その視角から更に思考を進めていきたい。

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