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2008年11月 1日 (土)

ママ・・、パパ・・

 大島 渚と小山明子ご夫妻のドキュメンタリー・フィルムをテレビで放映していた。途中から、たまたま観た。野坂昭如との有名な殴り合いのシーンもあらためて見た。小山明子が笑いながら(さすがである)、大島監督の親友だという澤地久枝さんが割って止めにはいったシーンもストップモーションでよくわかった。男二人は直立して口論しながら大島が反撃に出る。それが原因でもあるまいに、大島は1996年に脳出血で倒れ、その後、野坂も倒れ、ご両人ともに身体が不自由であられる。

 こういう喧嘩は市井では特別でもなかろうが日本を代表する映画監督の一人と過激で個性的な発言も繰り返してきた作家の姿がテレビという茶の間で日常的に放映される時代にマスコミは面白く囃し立て庶民がコメントもする。その良し悪しはさておく。しかし小山明子の自らも鬱病を患いながらの大島に対する献身的な介護の姿は多くの夫や妻たちの共感するところだろう。世界的な名声を得た映画作家の苛酷な現実はファンにとっても他人事ではない。

 あの先鋭で剛直で誇り高い大島 渚が不自由な恥ずかしくも思うであろう姿をテレビキャメラに晒すことは了解のうえだろうが苛烈な映像である。小山明子の献身は程度の差こそあれ多くの妻や近親たちが経験している日常でもある。

 気ままに歩き、普通に食べることもできない生の不如意は誇り高い男にとってさぞや悔しいものであろう。しかし妻や子供達や友人が彼を支えてくれているだけ恵まれてもいる。周囲の面白い話に言葉で会話もできず口を空けて笑うしか応答できない姿は痛ましい。

 自分の意思を「ママ・・」と伝えるしかない男の生き様はしかし惨めであろうか。妻は「パパ・・」、と幼い我が子に接するように甲斐甲斐しく、それがかえって世話される姿を哀れにする。しかし、その表情には頑固で意固地な監督で夫で父親である男の誇りが残されている。口をへの字に曲げた顔つきは往年と変わらない。

 恐らく新作のアイデアは脳裏に溢れていることだろう。誰かそれを映像にしてあげられる者はいないのだろうか。幾つかの作品に共鳴したこともあるファンとしては渾身の作品が観てみたい。喧嘩相手の野坂氏は新聞に近況を掲載しているのだから。

 人の生き様はかくも苛烈な場合がある。我が身も推して知るべし。

 先日、「宮廷画家ゴヤは見た」というミロス・フォアマン監督の新作を観て来た。苛酷な歴史に翻弄された画家と周辺の人々を描いた佳作だ。先月で封切館の上映は打ち切られたようだから「崖の上のポニョ」並みのヒットはしなかったが面白く観た。ゴヤの描き方は少し物足りないのが正直なところだが男優も女優も渾身の演技と思えた。新作を観たのは「アマデウス」(1984年)以来で76歳の今もご壮健を確認し悦ばしい。奇しくも大島と同年の生まれである。齢90を過ぎてもカクシャクたる新藤兼人監督からすれば大島 渚もミロス・フォアマンもまだ若いほうだ。新藤氏は特別のようにも思えるが、大島も身体はともかく創作意欲が衰えているとも思えない。ゆっくり時間をかけて新作を期待したい。自らの生をダシにも使えよう。創作者に、それを期待することは酷な願いでもないと思いたい。  (以上、敬称は略させて頂いた)

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