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2008年11月10日 (月)

私たちの生きる時間と現実世界の時間との乖離

 ここのところベトナム映画と中国映画、台湾映画を続けて見ていて何ともいえぬトーンとリズムに心安らいだ。ベトナム映画は初見、中国映画は見ていたことを忘れて改めて見直した。台湾映画は小津安二郎監督生誕百年を記念して制作された侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の「珈琲時光」(2003年)。ベトナム映画はトラン・アン・ユン監督の「青いパパイヤの香り」(1993年)と「夏至」(2000年)。中国映画はフォ・ジェンチイ監督の「ションヤンの酒家(みせ)」(2002年)。 いずれも佳品だがトラン・アン・ユン監督の2作は素晴らしい。その勢いで「珈琲時光」を観て、作品を流れる時間の感覚にハリウッド映画にはない「東洋」とも「アジア」とも概括できる風土に生きる人々の生活時間とでもいうものを実感したのである。

 ベトナムは日本からすれば距離があり過ぎて幾らかの違和感もある。ところが「珈琲時光」は台湾の監督が敬愛する小津安二郎監督を意識して日本人俳優(主役の一青 窈はハーフらしいが)で撮ったところが面白い作品だ。侯監督が意識しているのは小津作品のテンポでもあるだろう。このテンポは私たちが日常で経験している時間ととても近く感じられる。それが外国人の作品で意識されたということが面白く思った。若い役者二人や喫茶店の店主は市井の日本人を「演じて」いるが侯監督の狙いは小津作品で出会った日本人を俳優や電車の中の日本人の姿と日本の風景の中で描きたかったと思われる。それは半ば以上成功しているように思った。それは私たちの日常の時間の流れであり、多くのサラリーマンたちが生きている仕事の中での時間の流れとは異なる時間感覚なのではないだろうか。それは書店の店主や主役のフリーライターという職業が醸しだす時間感覚かもしれないが侯監督は小津作品の時間感覚を強く意識していたはずだ。

 そこでしばし考えるのは私たちの生きる時間感覚と現実世界の時間、あるいは社会的な場での時間と言い換えてもよいが、そのギャップというか乖離感ということである。

 私たちが、この世で過ごす時間の意味は個々人で違うが人生は限られている。その乖離の仕方に、映画作品を見ていて気付くことはありがたいことだ。内外のエンターテインメントを観て時を消費するのもよいが、その「時」の意味をしばし考えるのに上記の作品は良い切っ掛けとなった。それはまたトラン・アン・ユン監督の作品に横溢する、生き生きとした自然の中に生きる人々と生物、植物とのゆるやかな共生ということでもあるし、文明に汚染された高層ビルの間の職場へ朝夕の満員電車で消耗しながらも黙々と往復する多くの日本人の姿でもある。

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