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2008年11月30日 (日)

眼と耳の快楽

 日曜日の楽しみは、朝の「題名のない音楽会」、NHKの「日曜美術館」、将棋、囲碁、それにたまに「笑点」、「篤姫」、「N響アワー」である。

 ところが本日は「題名のない~」を見たあと「第34回将棋の日」の特番を泣く泣く諦めて池袋へ。11月23日から新文芸座で上映されている「マキノ雅弘 生誕百年記念上映会」を観に。本日は「次郎長三国志 次郎長売出す」(1952年)と「次郎長三国志 次郎長初旅」(1953年)。先日はマキノ雅彦監督によるリメイク版が上映されたばかり。それを観る前にオリジナルを見ておこうという算段。本日は午後2時15分より映画評論家の山根貞男氏とブックデザイナーで映画評論もされている鈴木一誌氏のトークショーも見聞できてお得。マキノ雅弘は「次郎長三国志~」を3年間で9本撮っている。残りを観るのが楽しみだ。

 その前に2日続けて池袋に日参。26 日(水)の「江戸の悪太郎」(1939年)、「すっ飛び駕(かご)」(1952年)、27日(木)に「ハナ子さん」(1943年)、「いれずみ半太郎」(1963年)の4本を観た。「ハナ子さん」は何と戦時中のミュージカル仕立てである。主演はマキノ夫人の轟 夕起子。その4年前、昭和14年の「江戸の悪太郎」では若かりし嵐 寛寿郎が主演。轟は信州の富裕家の娘役で親の強いる結婚に抵抗して江戸へ逃げ来て少年に変装した彼女が貧乏長屋の芝居に駆り出されぎこちなく踊りながら、そのうち朗々と歌い喝采を浴びる!正に戦後の青春歌謡映画の先駆の作品と思われる。「ハナ子さん」は1960 年代の任侠やくざ映画のマキノ雅弘のイメージからは想像も出来ない洒落たミュージカルである。実にアッケラカンとした国策映画だが欧米のミュージカル映画に対抗しようという意図がアリアリ。マキノ雅弘の才覚面目躍如である。

 トークショーも面白かった。アカショウビンは山根氏の映画批評は信用している。

 夜は「篤姫」を観てから「N響アワー」。大阪で地元ファンに支えられている関西フィルハーモニーのドキュメンタリーとコンサートを楽しんだ。オーケストラは土地の人々の幅広い後援に支えられ育てられていくものだ、ということを実感した。西洋のクラシック音楽も正にそういう環境で継続しているものだと思うからである。本日は誠に眼と耳の快楽に浸った一日であった。

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2008年11月27日 (木)

松井冬子と上野千鶴子

 今年4月20日にNHKテレビで松井冬子という新進画家の特集というのかドキュメンタリー番組を放映していた。実に面白く驚愕し凝視した。作者が作品を描く場面や解説で登場した上野千鶴子のコメントも興味をそそった。作品についてはテレビ映像を通してであるから詳細は述べられない。評判の作品の主題は幽霊や内臓をさらけ出した女性である。上野によると「自傷系アート」というジャンルになるらしい。テレビも大きな反響があったらしく画集やDVDも販売されて好評とは悦ばしいかぎり。いずれ展覧会でお眼にかかれる時が楽しみだ。

 そのお二人が「婦人公論」12月7日号で対談している。フェミニスト最強タッグの面目躍如、と言えればよかったが物足りなさも。もっと話は盛り上がっただろうに編集部の意向がはたらいているのか、お行儀よくまとめてしまった、という読後感は残念。NHKの番組でもカットされたかなりの部分があったはず。対談では、それでも、そのような箇所への若干の説明やテレビではカットされても文章では公開した、といったところも確認できたのは収穫と思った。

 NHKTVでも紹介されていた筈だが「浄相の持続」という平成16年の作品がある。両眼をこちらに向けて優しげに見開いた女が横たわっている。その胸下から腹部は切り開かれている禍々しい作品だ。この作品は、松井が恋人から受けた暴力のトラウマ解消のための残虐性だ、と評されたらしい。それは違う、と反発するように上野は「あなたの絵は抽象度が高く、主題が昇華されています」と語る。

 松井も上野も母親ゆずりの女自立主義者(こんな術語があるか知らないが)のようだ。そのためでもないだろうが男からは暴力も差別も経験していることをさらりと話している。さすがである。対談の様子はお二人のモノクロームの写真が付いている。それでは色合いがわからないけれども上野が落ち着いた歳相応(これは賞賛です。怒らないでね上野先生)の和服。松井は恐らく艶やかな白であろう。テレビでも白が鮮やかで颯爽としていた。お二人の様子は少しお澄ましだったがナカナカよろしかった。

 テレビで上野が松井のことを語るなかで「ジェンダー」という術語を使っていた。アカショウビンは、それが上野流のインテリ臭がして不満だったことは、このブログで書いた。それに類した批判を業界や周囲から受け取ったのであろう。この対談では「何もかもジェンダーに回収していると批判された」ことを明かし、それについては「『男女の問題』と表現すればわかりやすかったかもしれませんが、女性であることの苦悩こそ松井さんの主題です」と応えている。アカショウビンはフェミニストではない。社会の中で知らず差別の側に位置していることもあるだろう。男である特権を無意識に享受しているのであろう。同じようなアホ男は大学教授の中にも日本国という近代国家の中にも厳然として残っているという事実は脳裏に刻ませていただく。

 

 フェミニズムは若き上野たちが駆使して論壇を風靡した業界用語の如きものだった。昨今ではあまり聞くこともなくなった。そのころも重要なテーマだっただろう<性>がセックスやセクシュアリティ、ジェンダーというカタカナ語と共に飛び交い業界用語がいつの間にか大新聞やテレビでも流通するようになった。飛びつくのも早いが飽きるのも早いのがマスコミである。談笑のなかで上野が「私たちの世代から男女関係は変わっていないんですね・・・」と語りかけ、「若い女も避妊してくれと言えない」と述べ、「セックスは対等でも妊娠はまったく不平等。中絶では全部女性が傷を負い、ズタズタになる」と述べる。今の若い男どものどれくらいにこの事は理解されているだろうか?今となっては性機能が極度に減退し生殖能力さえあるかどうか覚束ないアカショウビンには幸か不幸か関係ない話であるが。

 この対談で初めて知った事は次の通り。松井が4年も浪人して入学した東京芸大という国立大学の日本画クラスの募集人員は25人。松井が合格した時の受験者は700人。そのうち何と女が600人という。ところが合格者は男13人、女12人。これは日本という国家の差別構造の一端である。男女雇用均等法などという制度の実態も同じようなものだろう。現場には善良な教師も多くおられることではあろう。しかし社会構造の中で国家の将来を決定する「教育」の場で国立大学の実態はかくの如し。時の首相は己の無学を含めて恥を知るべきである。以上、敬称は略させて頂いた)                      

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2008年11月25日 (火)

備忘録

 米長邦雄・将棋連盟会長のホームページを読んでいたら、24日が棋士・真部一男の一周忌であることに気づいた。詳細は昨年のブログで縷縷述べたので繰り返さない。そのあとを追うかのように今年、最初の夫人であった草柳文恵さんが自殺された。

  25日は「憂国忌」である。今さら三島由紀夫でもあるまい、という声も聞こえる。しかし、その頃まだ多感な高校生だったアカショウビンは、ひりひりするほど時代錯誤に見えたこの事件に強いショックを受けた。それで三島礼賛にはしったわけではない。けれども作家が煩悶していた問題領域には、その後ゆるゆると様々な文献を渉猟しながらいまだに捉えられている。付かず離れず、この問題圏域の周囲を徘徊しているといってもよい。あの頃、巷ではベトナム反戦運動が盛り上がり左右の対決も現在より明確で熱い政治の時代だった。

 三島が自裁する前年の1969年5月13日、東大全共闘との公開討論(この日の討論内容は「美と共同体と東大闘争」角川文庫 平成12年7月25日に両者の討論後の感想の文章を含めて収められている)で事前に拵えて臨んだ若者たちへの五つの問いを、命日に因み書き写し、しばし感慨に耽る。①暴力否定は正しいかどうか②時間は連続するものか非連続か③三派全学連はいかなる病気にかかっているのか④政治と文学との関係⑤天皇の問題

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2008年11月23日 (日)

記憶の往還

ヒトの脳に記憶はどれくらい残されているのだろうか。先祖の記憶や、それ以前のものまで含めると、夢の中には、それが変形されて出て来るものもあるだろう。父や母や祖父母から更にそれ以前のものまで遡って脳に受け継がれる記憶とは何か?それは脳だけでなく肉体の細胞の一つ一つにさえ受け継がれるはずだ。身体と脳の連関でヒトの肉体は決定され現在を生きる。そこで精神は記憶を駆使し時空を往還する。それは文字を通して或いは語りで後の世までヒトに継承される。人間という生き物は、そこで他の動物と異なった進化の道筋を辿った。

 そして、この世に棲む時というものの不可思議さと或るとき人間たちは格闘する。

 「在日一世の記憶」(集英社新書 2008年10月22日 小熊英二・姜 尚中 編)を読むと、そのようなことを思い巡らすのである。二世や三世に、その苛酷な記憶はどのように伝えられるのか詳らかにしない。それは記憶と場所と個人の語りと遺伝子で引き継がれていくのであろう。聴き取られた記憶は千差万別であり、それはごく一部でしかない。鬼籍に入った人も含めて51人のそれぞれの記憶が一冊の書物にまとめられた。これらの記録を通して編者たちは、読者に語り手たちが生きた時を、読む者のなかで往還させ、何事かを読み取らせようと意図している。何事かとは差別された者たちの声であり、その反照としての差別した者たちの姿でもある。その反照は読む者の想像力に託される。

 記憶と体験が必ずしもすべて後の世の人々に伝えられるわけではない。ところが時に新たな発見として過去の或る時の光景が生々しく明るみに出される。本日の毎日新聞の書評欄で鷗外が日露戦争に従軍した頃の日記に記された詩が紹介されている。評者の川本三郎氏の文章を引用させていただく。

 中国のある村で逃げ遅れた娘が兵士に犯された。娘は恥をさらして生きるよりはと罌粟(けし)の花を大量に食べて自殺を図る。それを見た母親が罌粟を吐かせようと娘に人糞を食べさせるが、どうしても吐けない。そこで通訳から鷗外に知らせが入り、催吐剤を飲ませた。

 この詩を鷗外は「罌粟(けし)、人糞(ひとくそ)」と名づけ「うた日記」に残しているらしい。

 川本氏は鷗外が日清戦争に従軍したとき旅順の日本軍の民間人虐殺を知っていた可能性が高いと指摘している。しかし軍医として国家に忠実であった鷗外は戦争に勝利するため全力を傾けた。ところが文学者としての鷗外の中で国家と個人がせめぎあい、川本氏は、「森鷗外と日清・日露戦争」(平凡社)の著者の末延芳晴氏は、その「切実な魂の劇を、戦場にあって鷗外が書いた日記や詩、漢詩や和歌を丁寧に読み込んで浮かび上がらせてゆく」と評している。

 保田與重郎は「蒙疆」の中で昭和13年5月から一月余に半島の慶州から満州、蒙古を師の佐藤春夫らと旅した記録を残した。それは鷗外の視角とは異なる文学者の記録である。戦争の悲惨と苛酷だけではない暢気な日常もそこには記されている。一方、「在日一世の記憶」は苛酷な歴史の現実を生き抜いた市井の人々の語りの集成である。

 これらの記録と文章を読むことで果たして歴史の視界はどれほど開かれてくるのか。それはひとえに読む者の想像力に任せられている。

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2008年11月19日 (水)

死生観

 18日の毎日新聞夕刊 統12版 オピニオン4面で中村敦夫氏(俳優・作家)が、10月30日の夕刊に掲載された上智大学名誉教授であるデーケン神父の「デーケンさんの死生学」という記事を批評している。その箇所は次の通り。

 <木々も枯れ葉を落とすこの季節、時には立ち止まって「生きる」こと、そして「死ぬ」ことの意味を思うのも悪くない>

 この箇所に中村氏は<たまには温泉につかって、仕事のことを忘れるのも悪くない>みたいな、ノウハウものの手軽さを感じた、と書いている。

 さらに氏はデーケン氏が人生を次の三段階に分けていることを引く。第一の人生は、自立するまで。第二は引退するまでの社会人時代。第三が引退後。さらに神父は中年期には<四つの危機>が訪れるという危機も引用する。

 ①時間意識の危機(つまり残された時間があまりないという発見)②役割意識の危機(子育てが済んで役割を失う)③対人関係における危機(年をとると、協調性や柔軟性が失われる)④平凡な人生の危機(人生は同じことの繰り返しと気づいて、無気力となる)

 中村氏は、「こうした危機の指摘は間違いではないが、神父はなぜ四つに限定したのだろう?」と問いかける。「経済的危機や病気の危機はより深刻で現実的である」からだ。そして記者の踏み込みが甘く記事は「肝心の死生観に到達しないで、周辺整理でまとめてしまった」と歎いているわけだ。

 中村氏の批評はともかく、この四つの指摘は記事を読んだ個々人に突きつけられ考えこませたことではあろう。アカショウビンも、その年代の渦中に生きる者として他人事ではなく自らの事として考えさせられる。

 ①については何かの切っ掛けがないと危機感を持つには至らないだろう。たとえば自らの病や親や近親、友人の病気、死などによる。②は或る年齢になり子育てが終わり独立していったり自らも勤め人であれば定年で退職すれば仕事関係の役割は一応終えることで実感することだ。③これはアカショウビンも経験として実感する。以前なら我慢できただろう事柄にキレやすくなっている。今年になり2回も職を変えた(笑)④これはキルケゴールが「死に至る病」と論じたものである。

 先日、4月に大腸ガンの手術をした母が半年後の精密検査の結果、肝臓への転移が確認され春までの命と余命を宣告された。81歳の老母に再手術は無理である。また髪が抜けるなど副作用が怖いから抗ガン剤などは飲みたくないと言い張る。しかし座して死を待つわけにもいかぬ。倅としては出来るだけの治療は施したいのが人情というものだ。しかし医師の判断は冷酷である。あとは延命治療でしかない、と。それは職業的な経験と判断によるものではあろう。余命。残酷な術語である。ここで人は死すべきものといった一般論を喋々するわけにはいかない。一人の人間が残り少ない生きる時間を限定されたわけである。本人と家族は、この世で共に生きた時間の終焉を告げられたわけだ。それを受け入れることは簡単ではない。まして親不孝な息子からすれば後悔に苛まれ針の筵に座る思いである。

 この歳末、年始は親子にとってまさしく正念場となった。世間から見れば81年の人生は決して短くはない。しかし本人にとっても子供たちにとっても腹を括らなければならぬ人生の土壇場である。どのように母の晩年を飾ることが出来るか?苦しみ少なく、彼岸・来世へ送り届けるには。

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2008年11月15日 (土)

川島雄三監督特集

 8日から池袋の新文芸座で没後45年の映画作家・川島雄三の特集を上映していて昨日の最終日の二本「喜劇 とんかつ一代」(1963年)「イチかバチか」(1963年)と前日の「接吻泥棒」(1960年)「夜の流れ」(1960年)と4本だけ観てきた。上映されたのは14本。他にも未見の作品があったが4本観られただけでもよかった。

 川島ファンでなくとも映画ファンなら「幕末太陽傳」は観ているのではなかろうか。日本映画史に残る作品である。アカショウビンは、この2~3年に川島作品がレンタルDVDで見られるようになり、その才能・才覚に改めて驚いた。早世したとはいえ映画産業華やかなりし頃に存分に才能を発揮したとも言える。筋萎縮症を患いながら45年の人生だった。

 亡くなる1963年の遺作が「イチかバチか」だ。傑作である。主演の伴 淳三郎の名演が光る。伴淳にとっても生涯の傑作数本に入るのではないだろうか。この年に、もう一本撮っているのが「喜劇 とんかつ一代」である。前者はモノクロ、後者はカラーで内容によってカラーとモノクロームを見事に使い分けている。後者は主演の森繁久彌はじめ錚々たる喜劇人名優が出演している。森繁と淡島千景の夫婦役も「夫婦善哉」(豊田四郎監督 1955年)を思い出させてくれる名コンビだ。加東大介、三木のり平、フランキー堺、山茶花究が脇を固めて秀逸。

 「イチかバチか」は城山三郎の原作を菊島隆三が脚本化した遺作というより傑作である。正直言ってタイトルであまり期待はしていなかったが実に面白かった。鉄に賭けた男の恐らく実話ではないだろうか、主人公を伴淳が見事に演じた。川島雄三の才能が随処に横溢していて飽きさせない。

 1918生まれの川島雄三は1938年に松竹に入社し戦中の44年に監督デビューした。既に病魔は進行していたようだが喜劇の名手として評価を得る。1954年、日活に移籍し57年、代表作の「幕末太陽傳」を撮る。それから6年、職人のように仕事を続け1963年、遺作の「イチかバチか」封切5日前の6月11日に逝った。日本映画界は、つくづく惜しい才能を失ったものと痛感する。時間と金があれば他の10本も観るべきだった。全作品も観たい。各映画会社の垣根を越えて全作品をまとめてDVD化してくれないものだろうか。

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2008年11月12日 (水)

時の流れに

 時の流れに、とくればテレサ・テン、と反射的に答えるのがオヤジのサガか。それは暗黙の了解だろうが、と周りを見渡しても若い女性連や諸淑女からは鼻でせせら笑われるのだろうな。そう思いながらもそう書かないと話が進まないのがオヤジという生き物なのである。あはれオヤジ、涙流れて止まず。最近とみに涙腺がゆるくなっている。つまらないテレビドラマでも或るシーンは脳裏でストップモーションに。しばし勝手に妄想し時に嗚咽、時に号泣。どうも生来の分裂症(とは言わないそうだ統合失調症。そんな訳のわからない日本語が何でまかり通るのか!日本語の乱れも正さねばならぬ!と叫んでも鳩に豆鉄砲か)がまたぞろ発症か。などと時が過ぎれば己を冷笑する。

 「生きる時間」というのは「限られた時間」でもある。オヤジという生き物は生きている時間が残り少なくなっている人々でもある。体の不調をしばしば経験すると無理も段々利かなくなる。人生とは、と柄にもなく少なからず焦りだす。そこらのニイチャンやネエチャン達にはわかるまい、と毒突いても蛙の面に小便か(はしたなくて恐縮)。

 米国の大統領が代わろうが国会で前航空幕僚長が己の信ずるところを不敵に弁じ言論の自由が喋々されようが先ずは我が身である。この島国は景気が落ちようが政府がアホのように国民をナメて金をばら撒こうが、ミサイルでも飛んでこない限り昭和元禄から平成太平と根底からの変化は生じそうもない。

 芭蕉が野ざらしの旅に出た時に記している文章が心に沁みる。

 「長月のはじめ、故郷に帰て、北堂の萱草も霜かれ果て、跡だになし。何事もむかしにかはりて、はらからの鬢白く眉皺よりて、只命有てとのみいひて、ことの葉もなきに、兄の守袋をほどきて、母の白髪おがめよ、浦島が子の玉手箱、汝が眉もや老いたりとしばらく泣て、手にとらば消ん涙ぞあつき秋の霜」

 

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2008年11月10日 (月)

私たちの生きる時間と現実世界の時間との乖離

 ここのところベトナム映画と中国映画、台湾映画を続けて見ていて何ともいえぬトーンとリズムに心安らいだ。ベトナム映画は初見、中国映画は見ていたことを忘れて改めて見直した。台湾映画は小津安二郎監督生誕百年を記念して制作された侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の「珈琲時光」(2003年)。ベトナム映画はトラン・アン・ユン監督の「青いパパイヤの香り」(1993年)と「夏至」(2000年)。中国映画はフォ・ジェンチイ監督の「ションヤンの酒家(みせ)」(2002年)。 いずれも佳品だがトラン・アン・ユン監督の2作は素晴らしい。その勢いで「珈琲時光」を観て、作品を流れる時間の感覚にハリウッド映画にはない「東洋」とも「アジア」とも概括できる風土に生きる人々の生活時間とでもいうものを実感したのである。

 ベトナムは日本からすれば距離があり過ぎて幾らかの違和感もある。ところが「珈琲時光」は台湾の監督が敬愛する小津安二郎監督を意識して日本人俳優(主役の一青 窈はハーフらしいが)で撮ったところが面白い作品だ。侯監督が意識しているのは小津作品のテンポでもあるだろう。このテンポは私たちが日常で経験している時間ととても近く感じられる。それが外国人の作品で意識されたということが面白く思った。若い役者二人や喫茶店の店主は市井の日本人を「演じて」いるが侯監督の狙いは小津作品で出会った日本人を俳優や電車の中の日本人の姿と日本の風景の中で描きたかったと思われる。それは半ば以上成功しているように思った。それは私たちの日常の時間の流れであり、多くのサラリーマンたちが生きている仕事の中での時間の流れとは異なる時間感覚なのではないだろうか。それは書店の店主や主役のフリーライターという職業が醸しだす時間感覚かもしれないが侯監督は小津作品の時間感覚を強く意識していたはずだ。

 そこでしばし考えるのは私たちの生きる時間感覚と現実世界の時間、あるいは社会的な場での時間と言い換えてもよいが、そのギャップというか乖離感ということである。

 私たちが、この世で過ごす時間の意味は個々人で違うが人生は限られている。その乖離の仕方に、映画作品を見ていて気付くことはありがたいことだ。内外のエンターテインメントを観て時を消費するのもよいが、その「時」の意味をしばし考えるのに上記の作品は良い切っ掛けとなった。それはまたトラン・アン・ユン監督の作品に横溢する、生き生きとした自然の中に生きる人々と生物、植物とのゆるやかな共生ということでもあるし、文明に汚染された高層ビルの間の職場へ朝夕の満員電車で消耗しながらも黙々と往復する多くの日本人の姿でもある。

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2008年11月 7日 (金)

人の生きる時間

 人がこの世で生きる時間ということを時に考えるのだ。そんな暇があったら仕事しろよ、という声は承知のうえで。キリスト教徒が「神」を信じると公言するようにアカショウビンは「神」という存在を信じるわけではない。仏教でいう「仏」は「神」とは異質の、それは概念というのか存在というものであろう。大拙を読み禅者の「悟り」という境地も俗世間の垢にまみれたアカショウビンには茫然とするしかない境地である。端座し瞑想し或る境地に至る可能性とは禅を通じて仏教の伝統の修行法である。念仏や題目は形は違えど仏教の衆生救済のひとつの形であろう。

 洋の東西を問わず生と死という対概念で人は現世と彼岸を知ろうともがく生き物なのだ。大拙の説く「霊性」という概念はキリスト教の神とも通底して思考される時空を共有していると思われる。

 肉親の死で人は何を了解するのだろうか。それはそれぞれの個人の数だけの多様性をもつものではあろう。しかし、さて次の世はあるのだろうか、と問うことはナンセンスのようにも思えるが生死の土壇場で人は深く己の生をふりかえざるをえない思考に絡めとられる。俳優やニュースキャスターの死が報じられ人は少し我が身をふりかえるが土壇場ではない。他者の死を人はどれくらい自分のものとして了解できるか、という問いに対する答えはどれほどの意味を形成するのか。哲学で死は了解できても人間ひとりの生の幾分かにも達することはできない。

 では宗教的にはどうか。来世や天国、極楽浄土は存在するのか。それはひとえに信仰の厚薄によるのであろう。しかし歳を経てますます懐疑と不安とに支配されがちな人間にとって残された生きる時間を含めて、それは喫緊の問いでもある。

 病に倒れた人が余命を宣告された時に何を考え、行動に移すかは千差万別であろう。彼や彼女は来世を思考するだろうか、それとも家族や友人との別れを準備するであろうか、あるいは自ら死へ衝動的に走ることもあるだろう、自らはどうかと問うてみても簡単に回答はできない。その問いの周辺を巡るだけだ。

 アカショウビンは道元が正法眼蔵の「生死」で次のように記しているのを繰り返し反芻し思索の縁としている。

 生より死にうつると心うるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきあり、のちあり。かるがゆゑに、仏法の中には、生すなわち不生といふ。滅もひとときのくらゐにて、又さきあり、のちあり。これによりて、滅すなわち不滅といふ。生といふときには、生よりほかにものなく、滅といふとき、滅のほかにものなし。かるがゆゑに、生(しょう)きたらばたこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。いとふことなかれ、ねがふことなかれ。(「正法眼蔵」(四) p467 岩波文庫版)

 道元の境地は遥かの高みにあるとしても、人は限られた生きる時間の意味をまさぐる。今、この時間にも生死をさまよう人々が共時的に存在している。その幽明境はいかばかりか。私たちは祷るしかない。祷る、ただ祷る。道元が、ただ座れ、というより私たちは祷る。あぁ、この祷りは彼や彼女に届くだろうか。届かぬとしても私は祷るしかない。共に世に棲んだ日々を哀切をこめて懐かしみ苦しみを越えて彼岸に達し心安かれ、と。

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2008年11月 5日 (水)

歴史と責任

 ベルリン・フィルハーモ二ー管弦楽団の創立125周年を記念して制作したという「帝国オーケストラ  ディレクターズカット版」(97分)というドキュメンタリー・フィルムを観てきた。スペイン生まれのエンリケ・サンチェス=ランチ監督(1963年生まれ)が、ベルリン・フィルの現存する古参の団員にインタビューしたものだ。主な語り手は1936年にコンサートマスターになったハンス・バスティアン氏(96歳)とコントラバス奏者のエーリヒ・ハルトマン氏(86歳)。他に団員の息子さんや娘さんがコメントを述べている。

 ネットの感想を読むと20代から30代の若い人たちにはショッキングな事実のようだが、フルトヴェングラーの若い頃から1954年に亡くなるまで戦後も連綿と続くファンには殆ど周知の事実である。今回初めて見る映像もあって1700円の入場料は、いずれDVDにして荒稼ぎするだろうことを想定すれば安くも感じた。

 フルトヴェングラーファンの方なら察しがつくだろうが、なぜかカラヤンが出てこない。恐らくカットしたのはカラヤンの出ている箇所なのかもしれない。フルトヴェングラーとカラヤン、それにチェリビダッケの三つ巴の確執はアカショウビンも断続的に関連本で読んでいる。チェリビダッケのカラヤンへの痛烈な毒舌は爽快だった。昨年は「カラヤンとフルトヴェングラー」という新書も読んだ。その著者の中山右介氏が薄い解説冊子に自著のPRも兼ねて「エッセイ」を書いている。カラヤン・ファンの黒田恭一氏も。中山氏の著書はとりたたて驚く主張があったわけでなく冊子でフルトヴェングラーがカラヤンに嫉妬したという根拠は著作を読んだときにも違和感があったし今回もそのように記している。ベルリン・フィルとフルトヴェングラー、カラヤン、チェリビダッケの確執を改めてまとめたお手軽本という感想は正直なところだ。黒田氏はアカショウビンにとって仇敵みたいなものだ(笑)。解説で用いている「罪」という言葉はどれほどの中身を理解して使っているのか不明。カラヤン礼賛や評論家で稼いでいる文章をそれほど信頼しているわけでもない。

 監督は本作品を商売上か、あるいはアンチ・カラヤンの攻撃と反発を想定してカットしたのかもしれない。新作を撮る切っ掛けとなったのは「ベルリン・フィルと子供たち RHYTHM IS IT!」(2004年)で1933年から1945年までのベルリン・フィルの「盲点」に気付いたことによると自作を振り返ってコメントしている。「この宿命的な期間が、終戦60年の今、再評価をいまだ待っていることに驚いた」と。先行作品はアカショウビンも劇場で観た。それはとても面白かった。肌の色は違えど子供たちの無垢な姿と共にベルリンの富裕層が住む界隈とは違う、貧しい家庭からベルリン・フィルのイベントに参加する子供達が住む裏町の決して美しいとはいえない都市の姿も映像に収めていたからだ。そして何よりサイモン・ラトルがベルリン・フィルを指揮して実に生き生きとした音楽作りの姿が興味深かった。

 しかしナチ党員だったカラヤンはともかく、ナチと最後まで闘ったフルトヴェングラーとベルリン・フィルとの付き合いは新資料が出てきたわけでもなかったのは残念。強いて収穫を挙げればクナッパーツブッシュがベートーヴェンの「英雄」交響曲の終楽章を彼の通常のテンポからすると驚愕する快速テンポで終えるところ。フルトヴェングラーの指揮ぶりが決して格好の良いものとはいえないのと比べてクナッパーツブッシュは見事な指揮ぶりだった。

 フルトヴェングラーとナチとの関係は丸山真男も論じていた。フルトヴェングラーの指揮した音楽はともかく「政治的」には戦争責任がある、という判断だった。これは難しい判断だというのがアカショウビンの考えだ。やはりフルトヴェングラーはドイツ人としてヒトラーとナチスにギリギリの抵抗をしたことは様々の証言が明らかにしている事実である。ヒトラーの誕生日を祝う演奏会に主賓は来なくてもハーケンクロイツの旗の前で第九を熱狂的に指揮したとしても、それはベートーヴェンの音楽に対する畏敬の為せる行為でしかないのも明白であろう。それをもナチ礼賛だと見做すとしたら何をかいわんや、だと思うが如何であろうか。

 それはともかく、アカショウビンは戦時中のフルトヴェングラーの緊張感漲る演奏に驚嘆、震撼されるしフルトヴェングラーとは犬猿の仲だったらしいクナッパーツブッシュの飄々たる正しく人を食ったような演奏にも驚愕し魂消るのである。

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2008年11月 3日 (月)

不思議な絵

 休日中日、上野へ。国立西洋美術館で12月7日まで開催されている「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」を観に。何せ「北欧のフェルメール」と評されているのだから、いちおう見ておかねば、という変な衝動から。アカショウビンにはまったく未知の画家である。

 それにしても不思議な絵ではある。風景画は寒々とした調子が画面を支配している。代表作と思しき作品は、妻である人物をピアノやテーブルと共に部屋の壁の前に配置し、女性(妻)はたいてい背を向けていて顔は見えない。フェルメール作品の多くで人物は表情豊かに描かれている。どこがフェルメールと共通しているのだろうか。

 それは一つには画面の「静謐さ」とでもいうものか。画家は時に旅行には出ても生涯を首都コペンハーゲンのストランゲーゼ(25番地・30番地)という地区に住み続け、ひたすら室内の様子と背を向けた妻を描いた。

 一度会場を順路通りに一渡り眺めたあと、気になった作品の前のソファ(と称するのだろうか背もたれはないのだけれども)に腰かけ、しばらくぼんやりと5つの作品を見ていた。会場は噂に聞く最近のフェルメール展ほどには混雑していないと思われる。それでも来場者の静かなざわめきが会場を満たしていた。おとなしい哀しげな眼をした盲導犬とその主人が前を横切ったりもする。盲目の主人は介添え人に案内されて音声ガイダンスを聴いているのだ。

 ところで、その5枚というのは、一枚が視線を画面の左斜め前の本に向けていて珍しく顔が書き込まれている「読書する女」。他の4枚は壁を背にして女性(妻)がピアノを弾いていたり、左手でお盆を持って右腕が壁の前を拭き掃除でもしているかのような構図のもの。同じ人物と家具の配置で壁に掛かっている絵が二枚だったり四枚だったりする。その些細な違いと作品の醸しだす気分は何か神秘的でもある。或る評者はメランコリックと称したらしいが何か的を外しているようにも思える。

 こう書いてくると何だ面白くなかったのかよ、と呆れられそうだがさにあらず。この5枚は間違いなく傑作である。それともう一枚。やはり女性が後ろを見ていて画面の焦点が女性のうなじにあてられている作品。これらは神韻縹渺と形容してもよい完成度である。

 もう少し踏み込んで詳述したいが後日に。実は購入した図録で解説などにも眼を通して、この不思議というより奇妙とも言える絵の謎に迫るつもりだった。ところが或る事情ですぐには出来ないことに。その理由を少し。

 閉館の午後5時半を過ぎ会場を追い出され坂をとぼとぼと降りた。何やら、さっき観たハンマースホイの作品を少し人に語りたくもあった。そこでアカショウビンが近況を報告し気にしてくれていた高校の同窓のN君に電話。古本祭りで神田に来ているという。それなら、ということで秋葉原で会い一杯。彼は10月1日より本社勤務から福島県の郡山に転勤になっていて土日と祝日は東京に戻る生活に。絵のことや仕事を辞めたことなどあれこれ話し別れた。ところがほろ酔い気分で電車に乗り、座れたので安心し居眠り。あぁ~あ、それ見たことか乗り過ごしてしまった。上りの終電には間に合ったが電車を待っている間にカバンの脇に美術館で買い求めた図録を並べて置いた。ところが上り電車が到着し、よろよろと電車に乗ったときにカバンだけ取り、図録を駅のベンチに忘れてしまった。駅員には届け出たが、たぶん出てこないだろう。というわけでヴィルヘルム・ハンマースホイ作品については詳細が書けなかったというわけである。

 追記 ハンマースホイ展を観終えて約30分間、常設展を観た。二階の会場には神話に題材を採った絢爛たる宗教画が展示されていた。ハンマースホイの沈んだ調子とは何という違い!彼はイタリアへは旅したことがあったのだろうか。イタリアの空気は画家ばかりでなく北欧やデンマーク、北ドイツの作家たちにも憧れだったようなのだから。

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2008年11月 1日 (土)

ママ・・、パパ・・

 大島 渚と小山明子ご夫妻のドキュメンタリー・フィルムをテレビで放映していた。途中から、たまたま観た。野坂昭如との有名な殴り合いのシーンもあらためて見た。小山明子が笑いながら(さすがである)、大島監督の親友だという澤地久枝さんが割って止めにはいったシーンもストップモーションでよくわかった。男二人は直立して口論しながら大島が反撃に出る。それが原因でもあるまいに、大島は1996年に脳出血で倒れ、その後、野坂も倒れ、ご両人ともに身体が不自由であられる。

 こういう喧嘩は市井では特別でもなかろうが日本を代表する映画監督の一人と過激で個性的な発言も繰り返してきた作家の姿がテレビという茶の間で日常的に放映される時代にマスコミは面白く囃し立て庶民がコメントもする。その良し悪しはさておく。しかし小山明子の自らも鬱病を患いながらの大島に対する献身的な介護の姿は多くの夫や妻たちの共感するところだろう。世界的な名声を得た映画作家の苛酷な現実はファンにとっても他人事ではない。

 あの先鋭で剛直で誇り高い大島 渚が不自由な恥ずかしくも思うであろう姿をテレビキャメラに晒すことは了解のうえだろうが苛烈な映像である。小山明子の献身は程度の差こそあれ多くの妻や近親たちが経験している日常でもある。

 気ままに歩き、普通に食べることもできない生の不如意は誇り高い男にとってさぞや悔しいものであろう。しかし妻や子供達や友人が彼を支えてくれているだけ恵まれてもいる。周囲の面白い話に言葉で会話もできず口を空けて笑うしか応答できない姿は痛ましい。

 自分の意思を「ママ・・」と伝えるしかない男の生き様はしかし惨めであろうか。妻は「パパ・・」、と幼い我が子に接するように甲斐甲斐しく、それがかえって世話される姿を哀れにする。しかし、その表情には頑固で意固地な監督で夫で父親である男の誇りが残されている。口をへの字に曲げた顔つきは往年と変わらない。

 恐らく新作のアイデアは脳裏に溢れていることだろう。誰かそれを映像にしてあげられる者はいないのだろうか。幾つかの作品に共鳴したこともあるファンとしては渾身の作品が観てみたい。喧嘩相手の野坂氏は新聞に近況を掲載しているのだから。

 人の生き様はかくも苛烈な場合がある。我が身も推して知るべし。

 先日、「宮廷画家ゴヤは見た」というミロス・フォアマン監督の新作を観て来た。苛酷な歴史に翻弄された画家と周辺の人々を描いた佳作だ。先月で封切館の上映は打ち切られたようだから「崖の上のポニョ」並みのヒットはしなかったが面白く観た。ゴヤの描き方は少し物足りないのが正直なところだが男優も女優も渾身の演技と思えた。新作を観たのは「アマデウス」(1984年)以来で76歳の今もご壮健を確認し悦ばしい。奇しくも大島と同年の生まれである。齢90を過ぎてもカクシャクたる新藤兼人監督からすれば大島 渚もミロス・フォアマンもまだ若いほうだ。新藤氏は特別のようにも思えるが、大島も身体はともかく創作意欲が衰えているとも思えない。ゆっくり時間をかけて新作を期待したい。自らの生をダシにも使えよう。創作者に、それを期待することは酷な願いでもないと思いたい。  (以上、敬称は略させて頂いた)

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