« この世の悲苦 | トップページ | 森田童子の世界 »

2008年9月11日 (木)

暗黒星雲的森田童子

  先日、ミクシイ・サーフィン(という術語が流通しているのか知らないけれども)「森田童子」のコミュに遭遇した。さっそく加入。先日も立ち寄ったら次の書き込みを発見した。真偽はともかく彼女は、なかにし礼氏の姪っ子である、という。これは熱心なファンには周知のことかもしれない。事実かどうかウラを取る気はない。しかし森田童子の歌は学生時代に少しそそられた。というより驚愕し、ナルホド、かつての学生運動のシュプレヒコールは今やこのような抒情としてメッセージされているのか、と共感した。それは井上陽水や中島みゆき、他の人気シンガーたちとは異なる感性である。当時のアカショウビンにとって、森田童子という個性は、人気歌手たちとは異なる暗黒星雲の如き存在だった。
 大袈裟な、と呆れるなかれ。歌い手と聴き手の出会いは、そういうものなのではないだろうか。書物との出会いも人との出会いも、それが奇遇で何か決定的な閃光のようなものであれば、それは衝撃であり運命のようなものだ。そして、その経験は人の生涯を貫き間欠泉のように噴出する。それが多くの人々に噴出すれば世代を超えて波及し感性の共同体となる。
 今から想い起こせば60年代から70年代は坩堝のなかの水のように沸き立っていた。それは学生運動のなかで三島由紀夫や幾人かの右翼思想家が対峙し、三島は敢えていえばピエロのように、或いはトリックスターのように振る舞い、若い左翼世代から冷笑された。しかし自らの死をもって思想を表現する苛烈さに若者達や国民の多くは動転し白けた。それから時代は潮が退くように沈静化し日本人は金儲けに狂奔し始めた。
 そのころ太宰好きの友人が井上陽水や岡林信康のフォークに心酔していた小生に、聴け、とばかりに持ってきたカセットテープが童子だった。いかにも太宰好きを狂喜させる旋律と歌詞にホホウと挑発された。アカショウビンは友人の感性に共感しレコードを買った。売買で失った多くのレコードの中で今も残っている。
 当時は今や伝説のキャンディーズの全盛時代。テレビは天地真理か彼女達の踊りと歌が食卓を賑わしていた。アカショウビンはといえば大学の授業をサボり、アルバイトで得た金で名画座、将棋道場通い。そこが学校のようなものだった。レコードで聴く童子の声と歌詞は暗黒星雲から発される幽かな電波のように暗く切なかった。しかし深夜放送で聴く北原ミレイや八代亜紀、谷山浩子と同じように童子の歌はアカショウビンの心に沁みた。
 アカショウビンの記憶の中で「森田童子」はノスタルジーの世界の点景だが時に間欠泉のように声と歌詞が脳の奥で響く。「もの思えば澤の蛍もわが身よりあくがれ出づるたまかとぞみる」。保田與重郎が和泉式部の絶唱と激賞する平安の宮廷歌人の熱情とそれは異なる。しかし童子のか細い声はこの国の女たちの呪詛や哀切のように強い磁場を発する声とも聴こえる。

|

« この世の悲苦 | トップページ | 森田童子の世界 »

コメント

森田童子
これまた懐かしい名前に釣られて読ませていただきました。
あの当時、わたくしよりも若い親しい友人が、「聞いてみて、先輩だっららきっとスッゴク感じると思うから」と、
アカショウビンさんと同じような、森田童子との出会いでした。
もう学生ではない25~6歳のワコウには、残念ながらアノ旋律も歌詞も感傷的過ぎて、、、、。

ワコウの人生にとっては、一、二を争そう辛い辛い時代でした。
孤独や、切なさ、悲しさなんてことじゃ言い切れないやりきれなさ。
どこまでいってもどんよりとした鈍色にワコウ自身も世界も染まっていました。
「そんな言葉じゃ言い切れないよ、この辛さは」(笑)と心に染みませんでした。
彼女とは、童子の歌詞について、色々と話をした記憶があります。ワコウが喜ぶと思って持ってきてくれたのに、
案に相違しでガッカリと不満を漏らしていました。
申し訳ないことをしたかなと、ちょっぴりそのことで切なくなったことを思い出します。

>というより驚愕し、ナルホド、かつての学生運動のシュプレヒコールは今やこのような抒情としてメッセージされているのか、と共感した。

そうでしたか。

家族5人の家で四人の苗字が違う家庭環境で育つと、“君と僕”との繋がり、関係が、あのような抒情には決して思えませんでした。(悲しいことかもしれませんね)

また、68年1月以降チリチリバラバラになり、72年のアノ出来事を目の当たりにしては、アカショウビンさんが仰るようには、
彼女のメッセージは、ワコウの心にはあまり響きませんでした。
アカショウビンさんやワコウの友人との5~6歳違う世代のズレなのでしょうか。

>この国の女たちの呪詛や哀切のように強い磁場を発する声とも聴こえる。

それなら、ワコウの場合は、淺川マキです。
童子には、<哀切>の甘い感傷はあっても、この国の虐げられてきた<女達のもつ呪詛>のような凄さは感じられませんでした。

これも、世代の相違としか思えませんね。

ぼくがどこまでも
ぼくであろうとし
ぼくがぼくで
ぼくであろうとし
ぼくはどこまでも
ぼくであろうとし
ぼくがぼくで
ぼくであろうとし
やがてぼくはモデルガン改造に
熱中していた
もうすぐ憎愛に変わるだろう
ぼくの孤独の情念は
壁を突き通す一発の弾丸に
なるはずだったー。

この詩はだけは心に残っていて好きです。

投稿: 若生のり子 | 2008年9月14日 (日) 午後 08時08分

 ワコウさん、コメントありがとうございます。

 >それなら、ワコウの場合は、淺川マキです。童子には、<哀切>の甘い感傷はあっても、この国の虐げられてきた<女達のもつ呪詛>のような凄さは感じられませんでした。これも、世代の相違としか思えませんね。

 ★これはまた実に的確な御批評を頂きました。「女達の持つ呪詛」は各世代の女性の皆さんの人生を安易に括りすぎた判断と反省します。童子の歌と声は、あの当時の幾多のフォーク・シンガー達の中ではワコウさんのおっしゃる「甘い感傷」が際立っていたように思います。それは確かに「呪詛」にまでは到達していませんね。ミクシイのコミュには衝動的に入ったのですが手持ちのレコードを聴き直したわけでもないのです。
 私は噂に聞いた淺川マキは恐れ多くて(笑)殆ど素通りでした。

投稿: アカショウビン | 2008年9月16日 (火) 午前 12時24分

仰るとおり、あの当時は、彼女はスゴイ人でしたよ。
わたくしの極親しいとてもハンサムな友人に、ゴールデン街の酒場で、酔って言い寄っていましたから。
決して三角関係ではありません。念のため(笑)

浅川マキでした、変換のミスです。

投稿: 若生のり子 | 2008年9月16日 (火) 午前 12時44分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/42442525

この記事へのトラックバック一覧です: 暗黒星雲的森田童子:

« この世の悲苦 | トップページ | 森田童子の世界 »