« 大拙とエックハルト | トップページ | フェルメール展 »

2008年8月 6日 (水)

奇妙な符合

 昨日、上野の東京都美術館で開催されている「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」を観て来た。昨年は「牛乳を注ぐ女」の1点に圧倒されたが、今年は7点も!その中では「牛乳~」と同じように画面左側の窓から光が射す画家得意の構図の「手紙を書く婦人と召使い」が絶品だ。

 それにしても不思議な縁というものだろうか、奇妙な符合である。前回エックハルトの福音書説教録でルカ伝のマルタとマリア姉妹の評価の仕方が通常とは逆でエックハルトの真骨頂は・・・と上田閑照氏の論説を興味深く読んだばかりだが、何と今回の展示会にフェルメール初期の大作「マルタとマリアの家のキリスト」(1655年頃)が展示されていたのである。それはユングの説く<共時性>という概念で説明されるものかもしれない。あるいはハイデガーが説く<世界・内・存在>として世界に頽落しているアカショウビンという現存在が無意識を介して出会った表象に過ぎないとも。

 それはともかく。ルカ伝ではイエスの足元で話に夢中になっている妹のマリアこそイエスの意を汲むよき娘で、家事にかまけ姉を手伝わない妹に不満を言う姉マルタはイエスを理解しない平凡な女というのがルカの記述を解釈した大方の理解だ。しかしエックハルトは独特の直感と言説でマルタこそイエスの意を体現した女なのだ、と説く。エックハルトの教説の解釈が奇を衒ったものでなく、眼を洗われるような論理説明が可能であることは上田氏の禅に対する洞察と西洋哲学の深い学識による。本家のドイツではどうなのだろうか?恐らく研究者の間ではともかく一般的にエックハルトは中世の異端の神秘主義者として黙殺されているのではなかろうか。

 ルカの記述はフェルメールも熟読しているだろうが、エックハルトの教説を読んでいたのかどうか?興味あるところである。フェルメール描くキリストと向き合う姉のマルタの表情には何やらエックハルト説を知っている気配がなくもない。解説を読むと、イタリアなどで伝統的に多いこの画題の殆どがマルタを背を向けて描いているのに対しフェルメールは伝統に逆らうようにマルタを正面に描き、しかもキリストを覗き込むように話しかけ、キリストも優しい表情でマルタに顔を向けているからだ。

 異教徒にはどうでもよいことのようなのだが、エックハルトという説教師の福音書読解の複雑さと深さというものを上田氏によって知らされるとアレコレ考えながら愚考を走らすことにもなる。しかし作品の仕上がりとしては、若い頃にイタリアの巨匠たちの構図を学びつつある画家という制約内の作品として円熟期の作品ほどの感銘は残念ながらアカショウビンにはなかった。それよりも、例えば「リュートを調弦する女」の表情の生命感と、くすんだ全体のトーンの渋さは正にフェルメールの神技であり、神韻縹渺の趣を呈している。

 アカショウビンのように過激でなくとも世にフェルメール・ファンは多い。日本にも世界の美術館に散在している作品を求めて大金を費やし旅したという少し羨ましくもなる熱烈なファンや評論家もいる。会場ロビーのパンフレットを読むと秋にフェルメール・ツアーが企画されているらしい。ヨーロッパと米国でそれぞれ数十万の費用がかかるようだ。それくらいの金なら両方参加するというお金持ちもいらっしゃるであろう。アカショウビンにそんな余裕はない。それからすると同展は12月14日までやっているのだから、閉展までに2~3回、訪れるなら安いものだ。

 それにしても二年続けて向こうから作品がやってきてくれる日本という国は何と幸なるかな。

|

« 大拙とエックハルト | トップページ | フェルメール展 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/42078519

この記事へのトラックバック一覧です: 奇妙な符合:

« 大拙とエックハルト | トップページ | フェルメール展 »