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2008年7月25日 (金)

放浪芸人、里 国隆

 暑い。しかし夏はこれでいい、とも思う。夏の光線に際立って映える樹木や空には生命と自然が生き生きと息づいているのをアカショウビンも柄にもなくあらためて実感するからだ。前回書いた、里 国隆という唄者が放浪した奄美の島々や沖縄の樹木と空は本土以上に自然と生き物が激しく息づいていることだろう。今朝、近所を散歩していると蜜柑の木に遊ぶナガサキアゲハ(雌)に出会った。以前は近畿以南から奄美の島々や沖縄にしか分布していなかった蝶だ。温暖化のためか今世紀に入り神奈川あたりでも確認されているらしい。あわててカメラを取りに帰ったが戻ったときは既にいなかった。

 ネットで里の関連ページを見ていたら路傍に腰を下ろし愛用の竪琴をかき鳴らし歌い叫ぶ(それは、さけぶでなく、おらぶというように)口を空けている写真があった。「1963那覇」と記されている。「おらぶ」とは万葉集で「天(あめ)仰ぎ叫びおらび地(つち)に伏し牙(き)噛み猛(たけ)びて~)」(第9巻)と表記されているように感情を全身で伝えようとするときの声だ。沖縄で里の姿を4~5歳のときに強烈な印象で覚えているという書き込みがあった。孫の手を引いていたオバアは立ち止まる孫の手を引いてその場を去った、と。さもありなんと思った。放浪芸人は社会からそのように扱われている。正しくそれは河原乞食という存在なのだろう。しかしその芸は小沢昭一氏の言うように刃の如きものでもある。里のアルバムを聴いたネットの書き込みで里の声はブルースだと言った人がいた。ブルース。なるほど、それは米国で生き延び続けるアフリカを故郷に持つ人々の底辺の音楽と共通する諦観や怒りや苦しみとそれから逃れようとする複雑な感情の凝集があるのかもしれない。

  里は寒さが嫌いだったという。だから日本本土から台湾に至る点々と連なる南西諸島という琉球弧(@島尾敏雄)の中では北に位置する奄美大島のその中でも北の笠利という集落で生まれた里は徳之島、沖永良部、与論、沖縄と南へと流れていったようなのだ。その里が竹中労やマスコミに取り上げられ沖縄の歌い手達との縁もあったのだろう1975年の夏に東京の杉並のスタジオと新宿のコマ劇場でおらび続けた姿を想像する。それは盲目の唄者にとって晴れがましい思いもあっただろう。しかし沖縄や奄美の島々の路傍で道行く人々に蔑まれながらも彼らの、里からすれば格段に恵まれた日常に竪琴と声で楔を打ち込むように喉の奥から声をふり絞り、おらぶ行為は浮世の憂さと危うさをも伝えようとする意図があったのかもしれない。それは風土は異なれども東北の同じ放浪芸人の津軽三味線弾き高橋竹山の姿とも呼応するものであるに違いない。

  里は奄美の名瀬で所帯も持ったらしい。子供はいたのだろうか。そこから少し離れた集落には田中一村が棲んでいた。一村は里と行き交ったことがあっただろうか。蝙蝠傘を杖にテクテク歩く一村が路傍でおらぶ里の姿をチラリと見据えながら擦れ違う光景を夢想する。それは娑婆世界の哀れと何やら面白くも可笑しさと人の世の縁の不可思議さにも思いを馳せらせる楽しい時をも生み出す。

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