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2008年5月31日 (土)

広き廈

 新聞のコラム氏が四川省の大地震に苦しむ人々を思いやり杜甫の詩を引用していた。「茅の屋(いえ)の秋風に破られし歎き」(吉川幸次郎、三好達治共著 岩波新書 昭和49年7月25日版)と訳されている作品の一節だ。大風で屋根が壊れ、雨が漏る家での詩人の嘆きと願望が記されている。観光名所となっている杜甫の草堂も破損したらしい。その博物館内に詩の碑文があるとも。一海知義氏は次のように訳されている。
 安(いず)くにか広き廈(いえ)の千万の間(へや)ありて 大いに天下の寒(まず)しき士を庇(かば)いて倶(とも)に歓(よろこ)ばしき顔し 風雨にも動(ゆる)がずして安らかなること山の如(ごと)きを得(てにい)れん
 コラム氏は、「広いしっかりした家に世の貧しい人々をすべて住まわせたいというのだ。さらに詩人は続ける――もしいつの日か、そんな家が眼前に現れたら、自分の家など壊れ、自分は凍死してもいい」と書いている。
 その詩人は、といえば乞食のような生活をして、近所の悪童共から嘲られ、幾ばくかの所持金品を盗まれる惨澹たる暮らしなのである。詩の全文を引き、時を超えて詩人の作品から読み取られる心境と気概を昧読しよう。
 茅屋為秋風所破歎           茅(かや)の屋(いえ)の秋風に破られし歎き  
 八月秋高風怒       八月 秋は高(た)けて風は怒り号(さけ)び
 卷我屋上三重茅       我が屋(むね)の上なる三重の茅(かや)を卷く
 茅飛度江洒江郊       茅は飛んで江を渡りて江郊に洒(そそ)ぎ
 高者掛長林梢       高き者は長き林の梢(こずえ)に掛かり罥(まと)い
 下者飄沈塘       下き者は飄い転びて塘(いけ)の坳(くぼみ)に沈む
 南村群童欺我老無力    南の村の群童は我が老いて力無きを欺(あなど)り
 忍能対面為盗賊       むごくも能くまのあたりに盗賊をはたらき
 公然抱茅入竹去       公然と茅を抱き竹に入りて去る
 脣焦口燥呼不得       唇は焦(ただ)れ口は燥(かわ)けども呼ぶことかなわず
 帰来倚杖自歎息       帰来 杖に倚りて自ずから嘆息す
 俄頃風定雲黑色       しばらくにして風は定まり雲は黒色に
 秋天漠漠向昏黑       秋のそらは漠漠として昏黑に向う
 布衾多年冷如鉄       布のしとねは多年の間鉄の如く冷かなるに
 驕兒悪臥踏裏裂       驕児は臥ざま悪しくして裏を臥みて裂く
 牀牀屋漏無乾処       床も床も屋漏(やもり)して乾きし処は無く
 雨脚如麻未断絶       雨の脚は麻の如くにして未だ断絶せず
 自経喪乱少睡眠       喪乱を経て自(よ)りは睡眠少なきに
 長夜沾湿何由徹       長き夜に沾湿しては何に由りてかあかさん
 安得廣廈千萬間       安ずこにか得ん広き廈(いえ)の千万間
 大庇天下寒士倶歓顔    大いに天下の寒(まず)しき士を庇いて倶に歓しき顔し
 風雨不動安如山       風雨にも動かずして山の如く安きを得ん
 嗚呼何時眼前突兀見此屋 嗚呼 何の時か眼前に突兀として此の屋を見ば
 吾廬独破受凍死已足    吾が廬は独り破れて凍死を受くともけすもすでに足らえり

    (「新唐詩選」岩波新書 昭和49年 吉川幸次郎・三好達治著 p51~p52)

 この作品には老いた詩人の貧しい暮らしぶりも垣間見られて哀れを感ずる。
 ウサギ小屋と欧米の民草から嘲られようと、われわれ日本人の多くは雨風をしのぐ屋根と温かい部屋のある家屋に住んでいる。この幸を改めて言祝ごうではないか。そして何かできることはないだろうか?詩人の気概の幾ばくかを心に刻むのであれば。周囲は少し静かすぎるのではないか。まさか、チベット弾圧の罰が当ったくらいに受け流しているのではあるまい。
 先日、仕事でT県のA市郊外の鄙びたMという土地を訪れた。創業55年余というガソリン・スタンドの初老の経営者の話を伺うためである。昨今のガソリン価格の高騰は周知のとおり。以前に比べ格段に若者は車に乗らなくなった。庶民も自家用車を使うことをひかえている。今に始まったことではないが、スタンド経営はカツカツですよ、と氏の口は重かった。幸に、といえるかどうか、ご子息が昨年スタンド経営を継いでくれた。しかし、継いだ方の未来は明るく展望が開けているわけではない。父親は「苦しんでいるのは裾野にいるわたしたちですよ。漁業、農業に従事している人々がもっとも苦しんでいる。この国はあとは坂をころがり落ちるだけですよ」とボソリと呟いた。
 「坂をころがり落ちるだけ」。そこには55年間、スタンド経営を続けて、良い時もあっただろうが、今はカツカツで生活をしのいでいる経営者の正直な感慨が込められている。
 昨年、亡くなった小田 実氏も、この国は、どんどん悪い方へ向かっている、と闘病のベッドからテレビキャメラに訴えていた。 
 氏の説く、戦後の日本が大金持ちも極貧の民草も比較的少ない、「中流の人々」を国民として醸成してきた事に対する期待感をアカショウビンも持つ。ただ、それは両刃の刃でもある。氏の警鐘は75年間の人生から生じるものである。そこには過激も逸脱も過ちもあっただろう。氏の遺書とも言える「中流の復興」(2007年5月15日 生活人新書 NHK出版)を興味深く読んだ。 
 小田 実が神戸の大地震の時に国家に対し市民として仕掛けた行動は、杜甫の気概を受け継ぐものである。氏の生涯と行動、思想は、恐らく時を経るごとに輝きを増すものと察する。それは詩人の慨嘆と気概に呼応する姿勢が生涯を一貫しているとアカショウビンは共感するからである。
 「雨の脚は麻の如くにして未だ断絶せず 喪乱を経て自りは睡眠少なきに 長き夜に沾湿しては何に由りてかあかさん 安ずこにか得ん広きいえの千万間 大いに天下のまずしきおのこをかばいて倶に歓しき顔し 風雨にも動かずして山の如く安きを得ん 嗚呼 何の時か眼前に突兀として此の屋を見ば 吾が廬は独り破れて凍死を受くともけすもすでに足れり」
 今や綻びを露呈しながらも、経済大国と諸外国から羨望と時に揶揄の眼差しでも見られているだろう日本人の一人として、決して幸せでもないが、と己の身過ぎ世過ぎを振り返りながら、杜甫の慷慨と気概と、小田 実の「大風呂敷」と時に揶揄もされた構想の幾らかなりを、アカショウビンも引き継ぎたいと思うのである。

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