« 辺見 庸氏の講演(続き) | トップページ | 画鬼 »

2008年4月20日 (日)

松井冬子という画家

 いやいや、凄い画家が出現したものである。NHKで、その作品と制作過程のドキュメンタリーを興味深く見た。その伎倆は傑出している。日本画の伝統を継承した凄い画家だと思う。それは応挙であり北斎でもあると思われる。その描かれた画像と作品タイトルの響き合いに画家のメッセージが伝わる。

 松井作品への若い女性の共感の拡がりに注目する上野千鶴子氏が言う「自傷系アート」という評は代表作ほか幾つかの作品を見た限りではあるが、作品の持つ深淵のようなものと凄みの一部をしか評していないように思う。もっと多言を費やしただろうに、編集された一部の発言をもってして上野氏の松井評に異議を唱えるわけにはいかないのを承知で言えば、松井氏の作品が「ジェンダー化された痛み」という上野流の批評にアカショウビンは大いに物足りなさを感じる。恐らく松井氏が受けたであろう「暴力」への女性としての痛みに対する共感から発する強いメッセージは聴き取るのだが。

 キャメラが追った新作の制作過程は実に興味深いもので、最近は用いる画家が少なくなったと言われる古来の日本画の技法を駆使して作品に集中する姿は画家の仕事現場が垣間見られて興味深かった。作品の女の表情はダ・ヴィンチの「モナリザ」の笑みさえ想起させるではないか。番組最後の上野氏のメッセージは同性として心からのものと思われるもので好ましいものだった。

|

« 辺見 庸氏の講演(続き) | トップページ | 画鬼 »

コメント

恥ずかしながらこの画家は全く知りませんでした。日本画でこのような「すさまじい」というようなインパクトのある絵ははじめてみました。殆ど知らない画家の事なので感じた事も全く論外かもしれませんが、私が日本画から求めるものとは全く方向性の違う日本画という印象を受けました。こちら(US)のアート関係のBlogにも紹介されているようですのでもう少し調べてみたいと思います。NHKでのドキュメンタリーではどのように紹介されていたのか非常に興味あるところですが、上野千鶴子氏の「ジェンダー化された痛み」というのは具体的にどういうことだったのでしょうか。

投稿: Sarah 28 | 2008年4月21日 (月) 午前 08時37分

私はこの人の絵を見る限り、いまのところ、美というよりは禍々しさを先に感じてしまう。

ゴッホのごとく、自己の感性の発酵を絵に照射するほどの、天然野性の個性を持て余すにはあまりに技巧的にすぎる。

歳を取るとわがままになるせいか、不快なものにはより敏感になっていくようだ。
手元において飽かず眺めていたい絵ではない。

投稿: スタボロ | 2008年4月23日 (水) 午後 03時22分

 Sarah28さん
 
 上野千鶴子氏の評は松井冬子の体験を知った上でのものですからテレビのコメントだけからでは「具体的な」ことは私もお伝えすることができません。しかし、それは左耳が難聴になってしまったことに起因することのようではあります。いずれこのブログでも採り上げることがあると思います。

 スタボロさん

 おっしゃるように、作品は実に「禍々しい」ものです。私も決して好みの作風と言えないことはお伝えしておきましょう。技巧的に過ぎる、というご指摘もほぼ同意ですが、その技術は傑出しているように思います。またアカショウビンは「美」とは何か?という問いにも行き当たります。「禍々しい」ものに「美」はありやなしや?。それは論議の余地があるような問いに思えますがいかがでしょうか?先のブログで辺見 庸氏が説いた、本当の「愛」とは個々人に対して都合のよいものにだけでなく、不都合なものにまで注げられるものが本当の愛だ、という主張は、ここにも同様な考察の余地があるように思うからです。つまり、「美」とは「手元において飽かず眺められるもの」だけがそうなのか?というように。

投稿: アカショウビン | 2008年4月25日 (金) 午前 06時02分

絵にはメッセージがあると思います。画家の想い、伝えたい事、その表現手段が画家によって違うわけですがそれぞれのメッセージを見る側がどう汲み取るかは案外画家にはどうでもいいことなのではないでしょうか。この画家はその技巧の凄さを見るにつけ「どうでもいい、あっけらかんとしたようなもの」それとは正反対にあるように感じました。
でもそこから先は見る側が、好きか嫌いか、そのメッセージを肯定的に受け取れるかどうか、という事だと思います。絵を全部見たわけではありませんが、私の部屋には。。。。飾りたくないです。これからも気をつけて見たい画家ではもちろんあります。

投稿: Sarah28 | 2008年4月27日 (日) 午前 04時16分

彼女の描く絵が好きです。禍々しさを感じるというのもモチーフや色調を見ればもっともな意見であると思います。しかし私はそれらに作者の優しさや、そのものが持つ美しさを感じます。
松井さんは決してスプラッター映画を日本画に再現し、そのスキャンダラスなモチーフで人の目を惹きたいわけではないはずだ、と。久しぶりにネットにつないで松井さんの作品批評を見てみると男性からの誹謗中傷がしたいだけとしか思えない批評が数多く見受けられました。でもそれすら彼女が望んでいるようにも思えました。作者のあまりの美貌や、正視しかねる衝撃的なモチーフにとらわれた表層的な意見の羅列ばかりだったからです(少なくとも私にはそう思えました)。
松井さんはこうした批判に対してはしてやったりと思っていてほしいですし、これからも彼女の作品に期待します。

投稿: 道野 | 2009年1月26日 (月) 午後 11時23分

 道野さん、コメントありがとうございます。

 >しかし私はそれらに作者の優しさや、そのものが持つ美しさを感じます。
 松井さんは決してスプラッター映画を日本画に再現し、そのスキャンダラスなモチーフで人の目を惹きたいわけではないはずだ、と。

 ★まったく同意です。あの細密な具象の技術を通じて画家が意図したものは、おっしゃるように優しさであり、美であり、また怨念や仏教でいう業というものであるのかもしれません。それら、人間という生き物が抱えるものを作品は描出しているのではないか、と私は驚嘆し挑発されたのでした。私はテレビ画面でしか見ていませんから、細部は実物を見れば更に驚愕するだろうと期待しています。
 松井さんの作品が含意するところは上野さんの分析の通りでしょう。しかし私はもっと単純に松井さんの作品に驚きました。モナリザの微笑に相通じ、日本画の名匠に通じる、と評したのは決して誇張ではありません。松井さんの作品にはテーマを超えて新たな世界を感じ取ります。

 >松井さんはこうした批判に対してはしてやったりと思っていてほしいですし

 ★女性で新進画家というのでは、そういった雑音も気になるでしょうが、テレビを見ていますと繊細さと共に何か女性特有の胆力をもった方のようにもお見受けしました。批判などに煩わされず画業に専念され新たな境地に踏み込んでいく力も。上野千鶴子という心強い戦友もおられます。私は心を鬼に、いや観音様の境地に澄まし傑作をものされるものと期待しております。

投稿: アカショウビン | 2009年1月28日 (水) 午後 12時50分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/40943173

この記事へのトラックバック一覧です: 松井冬子という画家:

« 辺見 庸氏の講演(続き) | トップページ | 画鬼 »