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2008年4月13日 (日)

辺見 庸氏の講演(続き)

  辺見氏は講演でテレビの馬鹿番組の多さ、というよりテレビという装置に対する嫌悪感を顕わにしていた。しかしアカショウビンの日曜日は朝の音楽番組、将棋・囲碁トーナメントと見るのが習慣。内容によってはNHK教育テレビの「こころの時代」という番組も見る。だいたい宗教者の「ご高説」が多いが、本日は「離散者として生きる」という題で徐 京植(ソ キョンシク)氏が自らを「離散者(ディアスポラ)」として語っていたので見させられた。

 1970年代から80年代の韓国の学生運動で二人の兄、徐 俊植(ソ ジュンシク)、徐 勝(ソ スン)が逮捕され懲役刑に処される。徐 勝は焼身自殺を図るが失敗し生き残る。その経過はテレビや新聞でも報道された。しかし二人の兄たちとは離れ日本で生きた京植氏は母親と共に兄たちへの韓国政府の仕打ちを弾劾すべく市井で行動を続ける。その過程でアウシュヴィッツの生き残りの一人であるイタリア系ユダヤ人プリーモ・レーヴィの「アウシュヴィッツは終わらない」という著作に出会い、レーヴィの生と自分は「離散者(ディアスポラ)」として同じだと考える。

 辺見氏の視線は、そのような韓国の歴史と人々の生き方にも届いている。かつての著作には、韓国を取材した時のレポートもあり興味深く読んだ。その話題もいずれ論及することがあるだろうが、ここでは先の記事で書き漏らした講演の主題について補足しておきたい。氏が日本独特の時空間だとして唾棄する「世間様」についてである。先の記事の最後でも引用したように、日本の「世間」は西欧で言う「公共空間」とは似て非なるものという指摘だ。

 氏は講演の構成をS・キューブリックの初期の作品「スパルタカス」(1960年)を援用することで起承転結を整えていた。詳細はレンタルDVDで観られるので説明は省く。しかし、辺見氏が言いたいのは次のような理由からだ。

 日本の社会の「個人」の希薄さ、とでも言うようなもの。そこに氏は執拗にこだわる。と言うより、著作でもそうだが講演でも日本社会には「個人」という概念がない、という苛立ちとなって言明された。この「世間」は権力という外圧と対抗することなく或る意味で結託している、とでも言ったらよいだろうか。それは「ちくり(告発)」として社会の隅々にまで行き渡り、外圧を撥ね退けるネットワークとして機能せず、同胞を「売る」共同体として、網の目のようにかつて組織され、その「縛り」は現在も抜き難く人々の意識層に存在している、とでも言えようか。

 東京都の教師達の「君が代」斉唱に対する言動を見てもそう。「靖国 YASUKUNI」という映画の上映中止の経緯を見てもそう。その「空気」は恐らく戦前から通底している、というのが辺見 庸の告発なのだ。そこには一人の「スパルタカス」がいない。共和制ローマの兵士がスパルタカスというのは、どいつだ?と格闘士の奴隷達に問い質す。氏はその問いを講演のところどころに挟み最後に答えを明かした。映画がS・キューブリックの創作によるもので史実とは異なるとしても、その答えは彼の国の社会と日本とでは残念ながら異なるだろうと氏は述べた。

 「死刑制度の廃止」というテーマは重い。アカショウビンにしても辺見 庸の著作を読み続けるなかで、そのテーマに思考を巡らすだけである。或る人は言うだろう。辺見 庸はともかく、知り合いや近親者に死刑囚がいるわけでもない、あんたとは何の関係もないことに何であれこれ論じたり考えたり嘴を入れるのだ、と。或るブログの遣り取りでは、肉親や親戚が祭られているのでもないのに「靖国神社問題」について私に語る資格はない、と。そうした姿勢は、肉親や親戚や友人や知人に死刑で殺された者がいない私に死刑制度を(本質的に)論じる資格はない、という言説にもつながる。しかし、そうだろうか?

 韓国の現代史の映像を観ながら徐 京植氏の語りの重さは決して他人事として受け取って済ますことのできない言葉を紡ぎだす。その声を受け止めることはアカショウビンという個の生き方とも関わってくる。それはまた日本の社会、「世間」とも根深く関わってくることだと思うのである。

 死刑制度の存廃について、かつて西欧で論争があった時に一人の詩人と一人の思想家が皮肉たっぷりに、次のように問いかけたそうである。これをアカショウビンも今後の考察の契機とし思索していきたい。

 「死刑廃止を主張することはおまえたち自身にとって利得があるのではないか?」

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