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2008年3月30日 (日)

響き合い木霊する問い

 2006年、秋の彼岸に父の墓に詣でたときアカショウビンは親鸞の言葉を想起し一文を書いた。

 親鸞は、父母の孝養のために一返たりとも念仏を唱えたことはない。その理由は、人は一切の有情とつながっているのだから父母のためにのみ念仏するのは仏法の考えに背く。親鸞は一切の有情の為に念仏するというのである。

 NHKテレビで太田 光氏と高 史明氏が親鸞を語っていた。 高氏も、その親鸞の「歎異の強い言葉の力に触発されたと話す。12 歳で自殺されたご子息の死に対する後悔と不憫から高さんは試行錯誤の末に親鸞に出会う。

 子供の自殺は親にとって耐えられない苦しみであろう。少年や少女の死は、なぜ起きるのか?番組は自殺未遂の16歳の少女が他人のためにご飯の炊き出しをすることで感謝され喜びを見い出す。その姿に高さんは子息に対する無念を幾らかでも晴らす思いを持たれたのだろう。

 先日、関西に住むアカショウビンの母が入院し昨日と本日、見舞ってきた。病は過酷である。かつて母は「死ぬのは怖くないよ」と、ぽそりと呟いたことがあった。その言葉に愕然とした。子達と離れて一人住む母に親不孝の限りを尽くしていることを改めて悔いた。昨年亡くなった叔父の葬儀に母は上京し弟と別れを告げた。その母が一年も経たぬうちに病に倒れた。医師の見立ては大腸ガン。部位が難しいところで手術は慎重を要すると言う。来週か早ければ今週にも手術が必要です、と外科医は説明した。昨日、内科医の説明を受けた後、母の棲むアパートの部屋に一泊した。室内は小奇麗に整理されていた。今朝、家を出て病院を再訪し電車を乗り継ぎ新幹線で戻ってきた。

 素面では耐えられず、アルコールを飲み不安と鬱をかわそうとし、うたた寝をして目覚めたらその番組が放映されていた。中学生達に高氏は死とは何か?生とは何か?と、ゆったりと問いかけ、回答を発していく。その語りは親鸞に触発されたご自身の生を通し息子を亡くして33年後の生の現在を映す。それはまたアカショウビンの現在への問いかけとなって反響した。

 それは、人という生き物が発する言葉とは何か?という問いにもなり、太田氏と高氏の対話・問答は、そのように形を変えてアカショウビンに木霊する。

 人の言葉と語りは他者との間で時に痛烈に哀切に交わされる。それはアカショウビンをも生とは何か?この世とは何か?という問いに導く。

 そのような疑念に、携帯した本の次のような文章が響きあう。

 人間の偉大な本質は、それが有の本質に帰属しており、有の本質をその真理のうちへと守るのに必要とされている、という点に存する。それゆえ、第一に必要なことは、こうである。まずは有の本質を、思索に値する事柄としてそもそもはじめて熟考すること。まずはそのような事柄を思索しつつ経験すること。まずはそのような経験に分け入るための小道の跡をさぐり、その小道を切り拓いて人跡未踏の地へ踏み入ること。

 およそこうしたことをわれわれがなしうるのは、次のときにのみである。つまり、見たところつねに最も近くにあり唯一差し迫っているように見える、われわれは何をなすべきか、という問いに優先して、われわれはどのように思索しなければならないか、という問いをわれわれがはじめてひたすら熟考するときにのみである。というのも、思索とは、本来的な行為だからである。行為という語が、元有の本質に手を貸して、そこに入っていけば元有がおのれとその本質を言葉にもたらすような場所を準備する、という意味であるとすれば、そうである。言葉なしには、熟慮しようとどんなに意欲しても、いかなる道も小道も欠けたままである。言葉なしには、あらゆる行ないに、それが立ち回り現実に影響を及ぼしうるはずの次元が、ことごとく欠如してしまう。この場合、言葉とは、まずもって思考やら感情やら意欲やらの表現であるのでは決してない。言葉とは、有に応答する原初的次元なのであり、その内部でこそ人間存在は、有の語りかけてくる要求に応答して語り、この応答的語りにおいて有に聞き従う、ということがそもそもはじめてできるのである。この原初的な応答的語りがことさらに遂行されると、それがつまり思索なのである。思索しつつわれわれは、有の運命の耐え抜き、つまり総かり立て体制の耐え抜きが出来事としておのずと本有化される領域の内に住むということを、初めて学ぶ。(「ブレーメン講演とフライブルク講演」 有るといえるものへの観入 創文社 ハイデガー全集第79巻 p89)

 「総かり立て体制」とは、戦後にハイデガーが哲学界に再登場した時にテレビや飛行機、原子爆弾や水素爆弾に象徴される時間を短縮する道具や、途方もない武器として人類に新たな不安をもたらした「技術」という概念に対し「存在と時間」以来継続する思索を開陳したものだ。そこには西洋の近代哲学史を「存在の忘却」と看取し思索した哲学者の独特の思索が展開されている。

 病床に横たわる母の姿を通してアカショウビンは、そのような文章に触発される。母の80年の人生とアカショウビンは相対し、この世での縁を不可思議に思うのだ。

 人とは何か?この世とは何か?親鸞やハイデガーの思索・考察は何をどのように切り拓いたのか?鼻から細い管を入れられ、弱々しく横たわる母の姿を見ていると、そのような問いが脳の奥で木霊のように響きもするのだ。それは病む母に、どう応えられるというのか?この世に棲む日々に母は確信とも言える回答を持っているようにも思えた。しかし息子は悶々と、その回答を探り求め、悶え苦しむのである。

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2008年3月21日 (金)

懲りない世界

 中国のチベットに対する仕打ちは、かつてのソ連や現在のロシア、米国の暴挙と同じで大国の暴政をまたぞろ起こした失態だ。先日も中国嫌いの友人と話していて居酒屋での酒の席だが喧嘩ごしの議論になった。この惑星での国家間の軋轢は日常茶飯事、呑気な日本人には時に降って湧いたように起る他人事のようでもある。それにしても懲りない大国の横暴というしかない。しかしこの半世紀から百年の歴史を振り返れば我々の両親や祖父母の経験した歴史事実である。それは感情的なもつれにも歴史認識の齟齬にも至る。果たして人間という生き物の未来は遥かな視点から見ればどのような結末になるものか。

 ヤスパースの問題提起は、今回の事件とも呼応している。ナチズムの所業は国際紛争の中で規模は異なれども現実化している事実である。

 先日観てきた概ね好評の「明日への遺言」も見方によっては甘い認識の作品とされかねない。山田洋次監督の「母べえ」がヨーロッパの映画祭では殆ど黙殺されたのと同様に。しかし昨今の邦画のなかでは異彩を放つ真摯な作品としてアカショウビンは評価する。それはC・イーストウッドの先の大戦を主題にした作品とも呼応する、我々が生きる現実に向きあわさせられるメッセージ性を有しているからだ。先の大戦から何を学ぶか。一本の映画作品の印象を超えて原作者と監督の抱いた問題意識を追跡・追求する作業が私達には課されていることは自覚しよう。

 このブログは情勢論とは距離を取っている。しかし時に現実と切り結ばねばならない局面にも出会う。しかし、それで視野狭窄にならず考察する姿勢は堅持したい。アカショウビンも一年ぶりに来週から再びサラリーマン生活に戻る。この一年で「充電」が出来たかどうか。呆けが戻らず社会復帰が叶わぬかもしれない(笑)。しかし人間はカスミを食って生きてはいけない。出来るものならそうしたいのだが(笑)。この金満大国はアフリカや経済的に貧しい諸外国からすれば天国みたいなものだ。けれども不幸は形を変えてこの国にも遍満している。この歳になれば余生のようなものである。残された時間を如何に納得して帳尻を合わすか?これが喫緊の課題となり覆い被さってくる毎日だ。岡田中将のように「ちょっと、隣に行って」くる境地には達せられないだろうが、心残りなく言うべき事と書くべき事はやっておきたいと思う。

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2008年3月12日 (水)

戦争の罪・再考

 本日、話題の「明日への遺言」(2008年 小泉堯史監督)を観てきた。たまたま午後2時の回の終了後に小泉監督と海老名香葉子さんのトークショーも行われ拝聴した。小泉監督の説明によると昭和20年3月12日は名古屋大空襲の日ということ。10日の東京大空襲は別ブログでも話題になり東京の人はじめ知名度は高いが不覚にもアカショウビンは12日が名古屋大空襲であったことは知らなかった。先の記事で言及した小田 実がこだわった大阪空襲も連想された。(以下の文中、出演者俳優の敬称略)

 ネットの各資料を散見すると、米軍は3月9日までの空襲で空爆を一段落し日本へ降伏を勧告したらしい。しかしそれを無視されて東京大空襲を決行。続いて名古屋、大阪はじめ大都市空襲を大規模に行い日本を焼夷弾で徹底的に焼き尽くす作戦に変更する。作戦は更に大艦隊で沖縄戦に臨み鉄の暴風と畏怖させた砲弾で沖縄を現世の地獄に変え、帝国の切り札、戦艦大和の特攻を轟沈で返り討ちにした。そして終に米軍は本土上陸へ向け降伏を勧告しながらヒロシマ・ナガサキに原爆を落とし大日本帝国の息の根を止める。

 作品の冒頭はピカソのゲルニカを映したあと約150時間分の当時のドキュメンタリー映像を小泉監督が数分に厳選した映像が映される。そこには東京大空襲の悲惨な映像から連合軍のベルリン・ハンブルク・ドレスデン大空爆の映像、ヒロシマ・ナガサキの原爆投下、被爆者の惨澹たる映像が映される。

 映画の主人公は監督が15年前から温めていたという「ながい旅」(角川文庫 大岡昇平著)で描かれたB級戦犯で昭和24年に絞首刑にされた第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官親補の岡田 資中将である。作品は岡田中将が横浜裁判で主張した米軍の無差別爆撃の罪を巡る遣り取りを主題化し、米側と争った岡田中将が指示したとされる、撃墜されたものの生き残ったB29の搭乗米兵37人の略式裁判による斬首刑の非道に対する告発をめぐって検察官と弁護士の熾烈な裁判劇が展開される。一部の箇所の演出は時に甘いと感じざるをえなかったが制作上での制約もあったのだろう。しかし作品全体としては基本的な重厚さを持続して観る者に迫る。この裁判シーンは作品としてもっとも力が入っていて見ごたえがある。セットは恐らく当時の状況を綿密にリサーチし拵えたものだろう。日米の俳優たちも主役の藤田まこと、富司純子はじめの熱演・秀演で場の空気がこちらに伝わってくる臨場感を醸し出した。

 それにしても、この映画の緊張とメッセージがあるとするなら戦争の悲惨さを感情的に描くのでなく、無差別爆撃の違法性を問う日米の主張の渡り合いにおいた事であろう。それはベトナム戦争から先のイラク戦争における米軍のアフガニスタン・イラク空爆にまで持続する米国の戦争の違法性と非道である。

 最後のシーンが見事だった。絞首台に向かう岡田中将に付き添う田島教誨師が話しかける。「では、本当にお別れですね」。それに答える岡田中将の言葉と藤田まことの台詞が素晴らしい。それはぜひ劇場で味わっていただくしか伝えられない。「なーに、本当に、ちょっと隣へ行くようなもんですよ」。武人としての責任を取る人間の言葉の重みと悟りのような境地の軽みが見事だ。田島教誨師は真言宗豊山派の僧侶。宗派は異なれど岡田氏の日蓮宗徒として日蓮譲りの胆の据わり方は感嘆するしかない。幽明を分かつ時の会話とは、かくありたいものだとアカショウビンは賛嘆する。岡田中将の法華経信仰への参入は顕本法華宗の僧侶たちとの出会らしい。裁判を「法戦」と見做した岡田中将は、日蓮の幕府への諫言やライバル宗派への激烈な論戦のひそみに習った趣がある。この詳細はネットのhttp://www3.cnet-ta.ne.jp/o/otowatid/p4c3.htmlで知った。

 そこでアカショウビンは、戦争の罪、またいわゆる罪とは何か?と、それは欧米キリスト教文化の圏域の内での問いが我々のような東洋の異教徒には、どのように関わり、共振されるだろうか?という問いを立て考究してみる価値があると思うのである。それは、このブログを始めた頃の2005年6月に読み感想を書いた、ヤスパースが「戦争の罪を問う」(平凡社ライブラリー1998年)で提示した四つの罪に立ち戻って考えてみることでもある。原題は「Die Schuldfrage」。同書の最初の翻訳・出版は「責罪論」(1965年3月 理想社)である。

 ①刑法上の罪②政治上の罪③道徳上の罪④形而上的な罪

 この著作は戦後1945年から1946年の冬学期に行った講義を記録・出版したものだ。最初に「ドイツにおける精神的状況に関する講義の序説」としてヤスパースが戦後の「大学の現状、新たな自由」について話したものである。「(前略)われわれは第二にドイツ人としての問題への道を探求する。われわれはわれわれの現実的な立場をわれわれの精神的な立場の源泉としてはっきり意識にのぼせ、ナチズムの特徴づけを行って、さていかにしてナチズムが可能であったか、いかにして事態がナチズムまで進展したかを問い、最後に罪の問題を論ずる」(同書p39)と講義の論述の骨組みを説明する。そこでヤスパースは「罪の問題」の箇所に注釈を加え、「この最後の、罪の問題に関する節だけを、内容に推敲を加え、講義の形式を取り除いて以下に発表することにした」(p41)と書いた。それがヤスパースの思索・思考・追求する「罪の問題」だ。

 アカショウビンには解題を書かれている福井一光氏のヤスパースとハイデガーの確執の経緯の説明が興味深かったが、それはさておく。

 この書物には戦後ドイツに対する哲学者の真摯な論考が読み取られる。別ブログでは高橋哲哉氏の「靖国問題」やV・E・フランクルの「夜と霧」の書評コミュで若い人たちも参加しアカショウビンも感想を書き込み思索を重ねている。その成果も含めてヤスパースの提示した問いについて更に考察していきたいと思う。

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2008年3月 9日 (日)

世に棲む日々と別れ

 NHKでチョン・ミュンフンがマーラーの交響曲第9番を振っている。このマーラーの最後の交響曲は、かつて小澤征爾氏がウィーンの国立歌劇場の音楽監督に就任するためホーム・グラウンドのボストンを去る時に選んだ作品だ。その模様をアカショウビンはテレビで観た。小澤氏は万感迫る表情で汗と涙で指揮した。曲が終わりヴァイオリンのパートの女性がそっと涙を拭っていた姿が忘れられない。アカショウビンにとって別れの曲として、こんなに哀切な曲は幾つもない。

 先日、或るブログで、ガンで余命あと二ヵ月と宣告された知り合いの人と会って・・・という感想を読んだ。お歳は存じないが、その方にとって、この二ヵ月は人生でもっとも大事な時間を過ごすことになるだろう。もしかしたら半年、一年生き延びるかもしれない。しかし余命は医学的に予測される。ここで私たちは科学的な予測と一人の人間として最後を全うする科学的ではない覚悟を求められる立場に自分が立った場合、どのように振る舞うだろうか、という思いに向き合う。

  マーラーの最後の交響曲は洋の東西を問わぬと感じる哀切がある。人が死にゆく時に音楽は必要ないかもしれない。死とは現世でのあらゆる感情を超越して人を掬い取る出来事かもしれないからだ。しかし残された者たちは、哀切な音楽を奏して死んだ者たちを悼む。マーラーの晩年は不幸だった。しかし彼は何と深い哀切な作品を生んで世を去ったことだろう。そのことに心からの感謝を込めて作品に聴き入るしかない。

 その後は、昨年亡くなった小田 実の特集番組だ。そうか、小田さんが亡くなって半年以上もたつのだ。アカショウビンは若い頃に小田 実の著作と行動に触発された。その後、ベトナム戦争も終結し反戦運動と不可分に結びついていた小田 実の名もかつてほど聞かなくなった。アカショウビンも氏の著作とは次第に縁遠くなっていった。西宮に住んでいて阪神・淡路大震災では自らも危うく死ぬところだったと話し、これは天災でなく人災だ、と熱く語る小田 実の姿を久しぶりにテレビで見た。バイタリティは健在だった。その後が昨年はじめ頃の末期ガンで余命半年という新聞記事だった。医師の予測通り夏に小田 実は逝った。

 あの大柄な体躯が痩せ衰えて妻と娘に看護される姿が痛ましい。テレビ・キャメラに弱々しく語りかける姿が哀れではある。しかし話す内容は往年の熱情と激しさに満ちている。半生の行動を共にした鶴見俊輔氏が絶句しながら小田を語る。ナレーターは在日の舞台女優・李麗仙だ。病床で妻に未完の仕事を口述する姿は壮絶としかいいようがない。その映像を魂に刻みつけよう。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番のアダージョが美しく死を弔うように響く。小田さんよ、死もまた一定だ。人は死ぬ。たとえ心残りでも。あなたの「難死の思想」は若い頃にアカショウビンを挑発した。それは、その後、反対者や同調者を触発し、揉まれ揉まれて現在に至っている。後に続く人々は、そのあなたの思想の骨組みの一つを思索の縁にするだろう。

  愛妻や愛嬢はじめ、あなたには多くの同行者たちがいる。というより日本や世界にはあなたに続く多くの人々がいる。アカショウビンも既読と未読の著作に眼を通していこう。改めて、あなたの晩年の著作に参入し生きる力を得たいと心から思う。番組に流れるベートーヴェンが力強く美しい。小田さんよ、75年生きられてよかったではないか。ベートーヴェンより長く生きられ、書き続け、行動し続けてきたのだから。

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2008年3月 8日 (土)

3月の映画評

  先月から今月にかけて劇場やレンタルDVDで幾つか観た中で興味深かったのは「キムチを作る女」(2005年 張律〈チャン・リュル〉監督)だ。原題は「芒種」。監督名は韓国読みではチャン・ユルのようだが多くが左記の表記なのでこちらを採用する。芒種とは6月6日前後の種まきの時期を意味する季語であるらしい。英語名はGrain in ear。直訳すれば「穂の出た穀物」だろうか。

 物語は中国の東北地方で朝鮮人として不法にキムチを作り売ることで生活する母と長男の日常を淡々と描く。観客を楽しませようとする作品ではない。観る者に何かを突きつけようとでもするかのような映像だ。観客を楽しませる音楽もない。しかしこの作品は余計な説明をせず人間が孤独で或る時に絶望から思いもよらぬ行動に走ることを描く。それは悲劇としても観ることが出来るし我々がテレビで観たりする異常な事件の経過を描く作品とも言える。しかし人間という存在が理不尽な生き物であることにも改めて気付かされる作品である。

  ヨーロッパの各映画祭でも高く評価されたという。恐らくフランスで北野 武の作品が受け入れられたのと同じような評価があったのではないか。その理由を探れば一カット・一シーンの映像に横溢する緊張と弛緩とも言えるだろうか。北野作品では殺人や死に至る緊張が随所に用意されているが、それとは異なる緊張を強いる作品である。そこに共通するのは我々の日常に瀰漫する不気味さとでもいうものだろう。それがチャン作品では異国における異民族の生きる殺伐とした孤独を現わす映像の乾き方となって表現されている。主人公は最後に悲劇的な行為に走る。それは復讐だろうか?それとも心の内に広がる虚無が衝動的に殺意へと走らせたと監督は伝えたいのだろうか?それは、恐らく文化土壌の違いを超える人間に共通な心象風景と行為の偶然性とでも言えるのではなかろうか。

  この作品を観る者は退屈するだろうか?それとも虚無感に襲われるだろうか?あるいは絶望的な気持ちになるだろうか?そのどれでもあるように思われる。この作品はエンターテインメントではない、という評がある。エンターテインメントでない、ということは、どういう事か?ネットでの批評を読むと「商業主義を排した作品」という評も散見される。それは、つまり大衆受けを狙っていない作品という意味でもあるだろう。しかし、それを観て何やら挑発される私は大衆の一人であるが、それはどういうことなのだろうか?「受け」に私はハマッたということであろうか?それとも作品が批評の如く商業主義を排した作品ではないのではない、ということなのか?なにやらアレコレ考えさせられ作品であることは確かだ。

  作品に漂う孤独感と絶望感は我々の日常からは隠されている。我々は、そういった孤独と絶望から逃れるように日常を生きている。しかし映像として、それに対すると我々の日常が如何に危ういものか、という問いを突きつけられるのだ。
 舞台は吉林省の小さな街。この街の風景が、かつて訪れたことのある山東省の田舎の風景と人々の姿とも重なり興味深く見た。

  ロベルト・ロッセリーニ監督の「ドイツ零年」(1948年)は絶望的な内容である。父殺しと12歳の子供の自殺といった暗澹となる物語だ。しかしイタリアの監督が何故異国で、しかもイタリア語で撮ったのだろう?それは出演者たちがイタリア人俳優であるせいか?その奇妙さは避けられなかったのか?ロッセリーニは、かつての同盟国の悲惨な風景の中で生きる異国の人々の生き方を正確に新たなリアリズムで撮りたかった、ということかもしれない。戦争の傷跡も生々しいベルリンの風景も作品の中で活きている。ヒトラーが自殺した建物というのも撮影されて戦争の傷跡の生々しさを醸しだしている。それにしても監督は台詞も音楽も実に雄弁に悲劇を物語った。

「主人公は僕だった」(2006年 マーク・フォスター監督)は米国流のファンタジー。上記の作品に比べて、食べるのには困らないが、うだつのあがらない男を主人公に意表を突く発想で面白おかしく仕上げた佳作だ。そこにはチャン作品にあるような観る者への研ぎ澄まされた挑発や語りかけ方はない。それはエンターテインメントとして私達を楽しませてくれる作品だ。

 「女帝(エンペラー)」(2006年 フォン・シャオガン監督)は面白かった。原題は「夜宴 Banquet」。主演のチャン・ツイィーに役柄もあるだろうが風格と威厳が滲み出てきている。佳作の「初恋のきた道」(1999年 チャン・イーモウ監督)以来、女優として成長するうえで様々な作品に出演し毀誉褒貶の批評にも晒されてきただろう。しかし本作は力作として楽しめた。飛んだり跳ねたりのCGにはうんざりしたが物語は周到に練られている。脚本家出身のシャオガン監督の脚本が優れているせいだろう。

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2008年3月 2日 (日)

沖縄という磁場

 前回の記事は、ここのところの記事の流れからして唐突であり恐縮する。これは昨年の少女レイプ事件で沖縄が激しく怒りを顕わにしたのと、本土(ヤマト)の反応の鈍さが訝しいという或る女性のブログで若い男たちとの応酬に刺激されたこともある。それとは別に昨年から継続している集団自決の軍命令の有無を争う日本人の戦隊長らと大江健三郎氏の訴訟も呼応して興味深い展開を見せていることにも触発されたからである。

 その裁判とは大江氏の著作「沖縄ノート」中の記述に対し虚偽の記載をされたとして、旧日本軍の戦隊長らが大江氏と岩波書店に対し出版差し止めと慰謝料を求めたものだ。被告の大江氏は大阪地裁に出廷し尋問に答えた。原告は座間味島での戦隊長だった梅沢 裕氏(90)。原告は自決命令を出したことを全面否定。判決は春に出る。

 この訴訟の契機ともなったのが曽野綾子氏の軍命令ではなかった、と主張する著作でもあり、この著作が「沖縄ノート」を誤読したものであることも指摘され、曽野氏や原告者たちの著作や発言内容の真偽の検討と旧日本軍人、沖縄の地元民の各証言を通して喋々されている。沖縄の地元紙では沖縄出身の作家、目取間俊氏と漫画家の小林よしのり氏の応酬にまで拡大しているのである。

 1970年に岩波新書として出版された「沖縄ノート」の記述が今頃になって何故訴訟騒ぎになるのか?それは沖縄の島々の歴史で特に近現代史が発する磁力・磁場である。その詳細は追々このブログでも書き継いでいくとして、これが保守論壇の歴史記述に関する論説の是非にも関わってくる経過も炙り出す。原告と曽野氏、小林氏らはそれぞれの関係する雑誌等で論客の発言や沖縄の地元民の証言を引き或いは孫引きして集団自決に関し「軍命令はなかった」と主張する。対して毎日新聞の記事によると大江氏は「日本軍という大きな構造体の命令として書いた」と主張したとして記事の見出しは「大きな意味で『軍命令』」としている。

 アカショウビンが関係者間の応酬のブログを読んでいて前回なぜコピーの一部を掲載したのかの理由は大江氏が同書で次のような米国の意図を明確に認識していることにもよる。

 >すなわち沖縄の民衆は、そこに核基地をおいて威嚇しようとするホワイト・ハウスとペンタゴンの人々の想像力において、報復核攻撃によって殲滅されるべき者たちとして把握されているということである。この核基地が抑止力として機能しているということがもし事実であるなら、それはアメリカが沖縄の核兵器によって威嚇している相手国の政治指導者と軍部の想像力においても、沖縄の民衆が潰滅するという状況を、安い犠牲とみなす者たちが、そこに置いた核兵器で自分たちを威嚇しているのだ、という実態がはっきり了解されている、ということである。それではじめて、あの剥きだしの小さな島の核基地が、脅迫の武器、恐怖の焦点として実在しはじめるのだ。(「沖縄ノート」p65 1980年版)

 先のコピーはアメリカ側から、大江氏の認識が事実であることを裏付けている。これを「パワーポリティックス」といった術語で論議するのは容易い。しかし沖縄に住む人々の生活実感・心境・歴史に想像力をはたらかせるなら事の深刻さは身震いせずにはいられないだろう。ハイデガーは戦後1949年にブレーメンで行った講演で既に次のように述べている。

 >原子爆弾の爆発とともにこれからやって来そうなことに、人間はみとれている。だが、もうずっと前から現に到来してしまっており、しかも現に生起してしまっており、しかも現に生起してしまっている当のものを、見ようとはしない。原子爆弾とその爆発といえど、せいぜい、この本体から吐き出された最後の噴出でしかないというのに、である。(中略)そんな途方にくれるしかない不安に襲われていながら、何を呑気に待ちかまえようというのか。戦慄すべきものが、もう現に生起してしまっているのだとすれば。(「ブレーメン講演とフライブルク講演」 2003年 創文社 p6)

 現今の米国のアジア・中東・アフリカにおける国家戦略に同調し沖縄での先の大戦の禍根と失態を日本は二度と繰り返してはならないだろう。しかし政府の姿勢と左右マスコミの論調は限りなく後退しているようにしか見えないのはアカショウビンだけだろうか?先日の“もののあはれ”を考えるなかで引用した小林秀雄と江藤 淳の遣り取りのあと江藤は急激に保守論客としてその言説は激烈になっていく。それは将来を嘱望された若き大江健三郎と若き批評家の確執となっても展開していく。

 沖縄についてアカショウビンの考察の契機となった資料に吉田 満氏の「戦艦大和ノ最後」というご著書がある。これは実に奇跡的に戦後に残された生々しい戦闘記録である。これが記録を超えて見事な文学的記述ともなっているところに作家や批評家は共振した。この記録を涙で読んだ作家は吉川英治だ。出版に尽力したのは創元社にいた小林秀雄である。出版に漕ぎ着けるまで占領下の検閲の目は厳しく吉田氏は何度も書き直した。吉田氏の原文の苛烈さに対する過大な影響を考慮し検閲者は却下したのだろう、出版まで数年以上を要した。検閲制度の真相は小林に続く文藝批評家、江藤 淳が尽力し明かした。戦後の、占領した側が占領された国家の言語空間を如何に支配するか。江藤は生涯の後半生を賭して取り組んだ。

 アカショウビンも江藤や保守論客たちの言説と高橋哲哉氏らの対抗者たちの言説も眼を通し考察していこう。

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